7.

 コルネリスはフリントロック・ピストルに恋をした。

 川岸を後にし、ヒゲのような苔が垂れこめる森のなかを歩いているあいだ、ずっとフリントロック・ピストルの話をした。フリントロック・ピストルさえあれば、夢はなんでも叶う。タダで宿に泊まりたくなったら、宿屋にフリントロック・ピストルを突きつければいい。ちょっと小銭を稼ぎたくなったら、そのへんを歩いているやつにフリントロック・ピストルを突きつければいい。国王になりたかったら、王さまにフリントロック・ピストルを突きつければいい。涼しい夜を長く楽しみたいなら、地平線の下の太陽にフリントロック・ピストルを突きつければいい――。

「おれは御免蒙ります」

「なんでだよ?」

「音が大きすぎます。隠密行動の邪魔です」

「ロマンがねえな。なんでも任務遂行優先で生きてたら、人生楽しめんよ。おい、トンマ。トンマはフリントロック・ピストルの良さ、分かるよ?」

「はい、そーですね……」

「おお、いいぞ。お前、今の返答で少しトンマから遠ざかった……って、おい、トンマ。お前、様子変だぞ。おーい」

 エスレイは心ここにあらずでフリントロック・ピストルのことを考えていた。エスレイもフリントロック・ピストルに恋をしていた。

 ただ、ちょっとアプローチは違ったが。

(ハンドガンはクロスボウのボルトよりも強力で射程もある。でも、火薬に直接火縄を手で押し込むので、姿勢の保持の難しさと点火孔から火が噴き出して起こる発射姿勢のブレで命中率が著しく悪い。そして、騎兵が使うことができない。馬に乗ったまま、火縄の火を保ち、点火するのは至難の業で至近距離での発砲すら難しい。でも、あのフリントロック・ピストルなら、騎兵でも簡単に扱える。ハンドガンや強力になったクロスボウが歩兵に装備されて以来、騎士や騎兵の突撃は時代遅れになりつつある。それはヴィルブレフでも問題だったけど、フリントロック・ピストルならそれを解決できるかもしれない。ピストルの一斉射撃と抜刀突撃を組み合わせれば、歩兵の隊形を崩して、追撃も可能。さすが、機工都市連合には新技術がある。問題はピストルの製造コスト。騎兵一人につき、最低二丁は欲しいけど――)

「トンマぁ!」

「ひゃ、ひゃい!」耳元で怒鳴られ、変な声が出た。

「森にいるあいだじゅう、お前、ずっとぽーっとしてたぞ。脳みそとけちまったんじゃねえかと思ったぜ」

 コルネリスの言う通り、三人はすでに森を抜けて、荒野に出ていた。

「すいません。ちょっと考え事をしてました。あと、トンマじゃなくて、エスレイです」

「考え事ぉ? まあ、考えるのは勝手だけど、それでスっ転んだりするなよな。トンマ」

 三人は西に道を取った。というのも、西南の彼方に〈蒼風の回廊〉らしき山々が蜃気楼のようにぼんやりと浮かんでいたからだ。

 ただ、回廊のある高原地帯とエスレイたちのあいだには藤色のヒースがどこまでも茂る不毛の地が横たわっていた。西部地方の特徴である農業牧畜に向かない土地であり、人々は太陽の青みがかった影を映す泥炭の沼のそばに村をつくり、泥炭を掘って、それを売り、穀物や干し肉を買っていた。

 そんな不毛の地で、三人は実りのある会話をしながら旅の道を取った。

「ここの人たちは何を楽しみに生きているんでしょう?」

「交尾だ」

「コルネリスさん。デリカシーって言葉知ってます?」

「馬鹿にすんな。知ってらあ、そのくらい」

「一応、言っておきますけど、食べ物じゃないですよ」

「わかってるって」

「じゃあ、そのデリカシーを発揮してもらえると助かるんですけど」

「おうおう。おれは構わねえぜ。でもよ、それで本当にいいのか?」

「よくない理由はないと思います」

「いや、それがあるんだよ。いいか? ここじゃ明らかに交尾以外に楽しみなんてねえぜ。それをさ、デリカシーのために曲げて、ここの連中は古代語の研究を娯楽にしているなんて嘘こいたら、それは虚飾だ。そいつぁデリカシーの持つ意味を貶めることになるんじゃねえか?」

「そ、そうなんですか?」

「え? お、おれですか? いえ。おれにきかれても――」

「デリカシーは心配りができる人間の繊細さを讃えてる。そのデリカシーを、虚飾の理由なんかにすべきじゃないんだ。そうだろ?」

「そう、なんでしょうか?」

「そうだ。そうなんだよ」

「じゃあ……そうなんでしょうね」

「だからだ、おれはデリカシーという概念のもつ高貴さを守るため、あえて言うんだ。ここの連中の娯楽は交尾だって」

「せめて子づくりと言ってもいいのでは?」

「なるほど。シンザ。お前の言いたいことは分かった。ヤればデキる。そう言いたいんだな?」

「いえ、そうじゃなくて――」

「蝶よ花よと育てられる王侯貴族の赤ちゃんと違って、こんな土地じゃガキも産んでくそばからポンポン死ぬからな。数で勝負しないといけない。交尾は生存のための戦略でもあるわけだ。ここの住人はツイてるな。娯楽と生存戦略がぴったり重なるなんて、そうそうねえぞ」

 結論から言えば、この荒野に住む人々の娯楽は古代語の研究だった。

 というのも、ここにある村はたいていが、大昔の方尖柱オベリスクを中心に集まっていて、その土台に刻まれた古代ロツイール語の意味や詩の解読を何百年も前から泥炭堀りの片手間に行い、仕事終わりの居酒屋で様々な解釈や訳文を論じ合っていたのだ。

「これでデリカシーの意味も守れますね」

「コルネリスの辺境住民への根拠のない偏見も解けました」

「よかったですね、コルネリスさん」

 コルネリスが切れた。

「ごちゃごちゃうるせー! 交尾交尾交尾交尾! どうだ、言ってやったぞ、ざまあみろ! デリカシーなんざクソくらえ! おれはな、生皮剥がされようが、言いたいとき言いたいことを言うんだよ! 誰もおれを止められねえぞ、ウギャー!」

 コルネリスは叫びながら、丘を登り、稜線の向こうへと消えていった。

「ぎゃ、逆ギレされた……」

「しかも叫びながらです。仕方ない」

 コルネリス、あなたはただ交尾という言葉を口にすることで、大人たちの秩序に反抗したかっただけなんですね、わかりました、それは決して恥ずかしいことじゃないんですよ、だから、戻ってきてください――と、懐柔するように呼びかけながら、二人は丘の稜線に立った。

「これは――」

 コルネリスはいない。かわりに二人が見たのは、小さな窪地に溜まり込んだ何千人という人間のるつぼだった。

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