5.

 トゥーリバー公国はその名の通り、東西の川に挟まれている。

 東のルディム川、西のマルア川。トゥーリバー公国の国民はそれぞれ東西の川を頼りに暮らしてきたので、東と西では商習慣や食文化が異なる。

 東部では治水がしやすいルディム川を利用して、農業が盛んであり、小麦の白パンが好んで食べられ、肉や魚も豊富に採れる。西部ではマルア川は流れが急で時折り決壊して、土壌を根こそぎさらってしまうので、農業に向いていない。

 そのかわり、機工都市連合と国境を接しているため、織物生産に機械が導入されていて、流れの強いマルア川の水車を当てにした軽工業が盛んである。

 農業が盛んな東部人はのんびりしていて、工業が盛んな西部人は勤勉。

 お互い足りないところを補い合って平和に暮らしてきた。

 だが、三年前、トゥーリバー大公エドモンドが六十七歳で死去すると、事情が一変する。

 エドモンドには男子が生まれず、トゥーリバー公国には男系相続の決まりがある以上、次の大公は弟のルメイ伯ということになる。だが、エドモンドには若い妃とのあいだに年老いてから生まれた娘がいた……。

 ここまで書けば、何が起こったのかは分かるだろう。何一つ決めずに死んでいった老君主。娘を大公にしたい野心あふれる妃。男系相続を声高に主張する弟。二つに割れる宮廷。買収された紋章官。誘拐された国璽尚書。激怒する騎士。動員される民兵。買い集められる武器。大急ぎで修復される城塞。そして若干二歳の公女。などなど。

 弟のルメイ伯は東部に領地をもっていたので、東部を支配し、大公妃は西部の出身だったので西部の豪族たちを味方につけた。

 以来、三年間、東西の内戦が続いている……。


「一人一コロナ。金貨で。それ以下じゃあ、舟は出さねえ」

「はあっ? 冗談じゃねえぞ。八クストーザ。それ以上は出せねえ」

「半額? ケチくせえ。じゃあ、トゥーリバー行きはあきらめるんだな。何も好き好んで戦争ちゅうの国に行く必要もないんだから」

 ぐぬぬ、とコルネリスは呻く。

 マルア川沿いの酒場〈こんちき亭〉は川にまつわる怪しげな連中が集まる。密輸人や川盗賊、高飛びするおたずねものとその逃がし屋。

 コルネリスが相手にしているのはもぐりの渡し船の船頭。小柄だが頑丈な樽みたいな体躯をした男で、マルアの激流を棹一本で制するために生まれたような男だった。

 コルネリスは船頭のいるテーブルを離れ、エスレイとシンザが干し鱈の揚げ物をつまみながら待っている自分たちのテーブルへと戻っていった。

「どうでした?」

「話にならん。コロナ金貨一枚だとよ」

 コルネリスはエールのジョッキをひっつかみ、ぐびぐびと喉を鳴らした。

「ぷはあ、ったく」

「参りましたね」シンザが言う。「今回の遠征でもらった額はクストーザ銀貨百枚。一コロナは十六クストーザですから、三かけて、四十八クストーザ。川を渡るだけで手持ちの半分近くがなくなる計算ですか」

「そんなんじゃ、トゥーリバーでカネがなくなって、傭兵でもしなきゃいけなくなる」

「でも、他に方法もなさそうです」

 エスレイの言葉に、二人もウーンと腕を組む。

 マルア川の荒れっぷりは実際に見た。濁った水がなかにドラゴンでも飼っているみたいに暴れまわりながら谷底を走っていた。ちょうど三人が崖から川を見下ろしたとき、流れの激しさに白旗を上げた岩の塊が崖から剥がれ落ち、途方もない高さの水中を上げたのだった。

 そんな川、何も舟で渡らずとも橋があるだろう、と思う向きもあるが、橋の通行料は三コロナもした。

 三人で合計九コロナ。九コロナといえば、八人家族がうまいもの食べて一か月暮らして、さらに貯金もできる額だ。

 そもそも、三人はクストーザ銀貨百枚しかもらっておらず、それもこれまで散々野宿をして、倹約してきたのに、たったの八十六クストーザしか残っていない。どう逆立ちしても九コロナなど払えない。

 それで渡し船である。あの激流を舟で渡るなど不可能だと思うだろうが、世の中にはノミに芸を教える達人もいるのだから、渡し船の達人がいてもおかしくはない。

 で、やってきたのが、酒場〈こんちき亭〉である。

 渡し船は違法なのだ。

 だが、それもそうだろう。エスレイの予想では橋の通行料をそのまま西軍の軍費にあてているに違いない。あの橋が一月にいくら稼いでいるか分かれば、そこから逆算して、西軍の軍勢がどのくらいか分かる……って、違う、違う。もう、わたしは司令官じゃない。昨日だって、乱術談義でついいろいろしゃべってしまったが、違うのだ。今はただの冒険家エスレイ・ローランなんだ……。

「おい! やったぞ! 一人四クストーザで渡すやつが見つかった!」

 いつの間にか席をたっていたコルネリスが顔を上気させて舞い戻ってきた。

「まさかと思いましたけど」と、シンザ。「本当に見つけてくるとは思いませんでした」

「凄腕交渉人コルネリス・リュゼリロさまが本気を出せば、こんなもんよ。明日の朝、出発だ」

「明日? 夜陰に紛れてではなくて?」

「なあ、シンザ。お前、かく乱したり、暗殺したり、潜入したりするのは詳しいが、川渡しのことなんて、なんも知らねえだろ?」

「だから?」

「おれたちの知らない裏技があるってことよ」

「相手はどんな人なんです」と、エスレイ。

「知らん」

 シンザは、ふーっ、と長くため息を吹き、まただよ、こいつまたやらかしたよ、と言いたげな顔でコルネリスを見た。

「なんだよ? 別にどうってことねえだろうが。ここにはいねえ。でも、知り合いだってやつが紹介してくれる。間違いないやつだって。裏技があるんだよ。あと、ついでに宿もとってきた。国境越えるカネがだいぶ浮いたからな。久しぶりに屋根の下で寝たいだろう?」

〈こんちき亭〉は二階の小さな部屋を一晩一クストーザで貸し出していた。シンザは藁をつめた寝台の上に静かに膝を曲げて座って瞑想し、コルネリスは自慢の帽子やマントに染み込んだ酒や揚げ物の臭いを取るために、灯芯に甘苺草を撚った白蝋燭をつけた。

 エスレイは粗末な寝台に座り、小さな窓から見える夜空を見上げた。

 ヴィルブレフに戻るどころか、はぐれたクレセンシアと再会できる見込みもない。どういうわけだか、トゥーリバー公国へと行くことになったが、それが間違っているとは思わない。少なくとも、各国の宮廷をまわって兵を貸してくれと頼んでまわるよりはずっといい。

 なぜなら、この世界には――、

「経験して無駄になることなんてない。今日のことだってそうだ。だから――」

 いつかきっと、ヴィルブレフを、兄さまを止めてみせる。

 少女の思いにこたえるように、窓の外にかかる純白の三日月クレセントが静かに息づいていた。

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