3.

 これはガーディッチに限った話ではないが、世の中には富裕な学者とパトロン契約をして、世界を探検する契約冒険家制度が存在し、そうした冒険家のためのギルドも設立されていた。

 探検によってもたらされる新しい発見や宝物が産業や技術に革命的な影響を与える可能性があることを考えれば、冒険家とそれを後援する碩学を結びつけるこの制度は、機工都市連合にとって非常に益のあるものだ。

 この制度には二百年の歴史があり、数々の英雄が歴史と人々の記憶にその名を残している。

 檻の海から氷づけの竜を持ち帰ったロンギー船長。生涯に三百カ所のオアシスを見つけて数多の街道を拓き商政イフリージャ国の通商に大きな貢献をした砂漠の商人オルメイダ。そして化石樹の鉱脈を見つけた伝説的な冒険家シモン・デ・シモンとそれを元に蒸気機関を発明した錬金術師アスカール。

 ただ、こうした例は氷山の一角であり、契約冒険家制度を構成するのは承認欲求の塊みたいな学者もどきと酔っぱらった山師たちだ。いや、それどころか偉大な冒険家と偉大な碩学は偉大な発見をしたからこそ人々の記憶に偉大なものとして残っている。偉大な発見をするまでの彼らははっきり言ってダメ人間だった。

 ロンギー船長は無茶な航海をしてしょっちゅう船員や水夫たちに反乱を起こされ、しぶしぶ引き返しており、竜を持ち帰った航海のときも船員を三人処刑して何とか航海を達成していた。砂漠の商人オルメイダが三百カ所のオアシスを発見したのは何十回と詐欺で訴えられてほとぼりを冷ますための場所を探してのことだった。シモン・デ・シモンは人妻好きが祟って彼の性器を切り落とそうとする夫たちからの逃走を冒険と銘打っていたに過ぎず、本当の職業は代言人助手だった。錬金術師アスカールは本物の狂人であり、何度か修道院付きの監獄みたいな療養所に入れられているが、ことごとく脱走している。彼は蒸気機関を発明して数か月後、自分を金属と思い込んで、溶けた鉄が煮立つ鍋に頭から飛び込むという壮絶な最期を遂げた。

 錬金術師バンバルバッケは研究所と天文観察台のある家をガーディッチの高い位置に持っていた。廊下や食堂は書物や論文、実験器具で埋め尽くされて、人の動けるスペースは本当にわずかなものだった。

「すごい量の本ですね」

「嘘かほんとか分からないけど、これ全部暗記してるそうだ」

 コルネリスは現在の自分の労働環境にまったく満足していないことを書斎のドアを蹴り開けることで表現した。だが、当のバンバルバッケにそれが響いたかは分からない。バンバルバッケはドアの立てた大きな音にびくともせず、読んでいた本に透き通るくらいに薄く切った鉱石のしおりを挟むと、回転椅子をぐるりとまわして、埋めたはずの死体が地面に転がっているのを見たような訝しげな目をコルネリスに向けた。

「コルネリスくん。入るときはノックをするように、といつも言っているはずだが」

「ほざけっ! くそじじい! 今日が年貢の納め時だぜ!」

「今年の分の人頭税ならもう支払済みだ。それにしても、コルネリスくんが徴税官の下働きをしているとは知らなかった。その仕事は危険で人に憎まれるが、まあ、誰かが損な役を引き受けねば、この世界はまわらない。コルネリスくん。万人のためにあえてその損な役を引き受けたきみの志に、我輩は心からの賛辞を贈ろう」

「へへ、ありがとよ、嬉しいぜ――って違う! そうじゃねえ! 年貢の話はたとえだ、たとえ!」

「では、話の核心に入りたまえ」

「くそっ、このジジイ……いいか、おれたちは賃上げを要求しに来た。さもなきゃ、冒険家ギルドにてめえを訴えてやる!」

「最近、ガーディッチ議会の議事録を読んでないが、冒険家ギルドはいつから二人しかいない陳情グループの訴えを取り上げるようになったのかね?」

「いるんだよ。三人目の冒険家がな。おい、入れ! 入って、このじいさんにその顔を見せてやりな!」

 エスレイは積み上げられた本や天球儀に触れないよう、そうっと入ってきた。

「あの、初めまして。エスレイと申します」

 バンバルバッケは首を少し横に向けた。エスレイは老人とまっすぐ向かい合う位置に立った。髪も長い髭も白く、細面の顔に高い鷲鼻、目はいつも眠たそうに閉じかけている。ただ、その閉じ気味のまぶたの奥には緑の目が静かな熾き火のように光っていた。

「エスレイ。ふむ」バンバルバッケは長い髭を手で撫でた。「下の名前は?」

「――ローランです」

「エスレイ・ローラン」バンバルバッケはまるでそこに自分の記憶の本棚が浮いているかのように宙を見つめながら、「我輩、自分では記憶力はいいほうだと思っている。だから、気のせいかもしれないが、どこかで以前会ったことは?」

「いえ。初対面です」

「そうか。ふむ。じゃあ、気のせいなのだろう。まあ、よい。それより、早速仕事の話だ。三人でかかれば、なに、すぐ終わる」

「だから!」と、コルネリス。「おれたちは仕事しねえんだよ!」

「なぜに?」

「報酬が安いからだ、くそったれ」

「どのくらい安い?」

「相場の半分以下だ、くそったれ」

「それで仕事の話だが、隣のトゥーリバー公国に――」

「だから、行かねえって――」

蒼風そうふうの回廊と呼ばれる高原地帯がある。森をまとった碧い崖が塔のように連なり、そこには高地独特の暮らしを立てるハーシュ人という民族がいる。岩山ごとに氏族をつくり、高原で育つ不思議な根菜とグリフォンの肉を食べているのだが、氏族同士の通商も盛んで岩山を行き来するのに気球を使う。気球は彼らにとって大切な移動手段で、四歳の子どもでも扱えると言われている。その岩山のなかでも――」

「おい、だから――」

「最も高い崖に〈虹の王〉と呼ばれる鳥が棲む。翼を広げれば大陸が陰に沈むほどの大きさで、その体は七色に輝く羽に覆われている……その高貴な王の碧い羽根はそれはそれは美しく、その羽根で撫でるだけで怪我や病が治るといわれている……」

「だから、おれたちはそんなとこにはいかねえっつってんだろ! いいか、こっちには三人目の冒険者がいるんだ! ギルドにてめえを訴えて、てめえのケチぶりを世の中に晒して――」

「その三人目だがね」と、バンバルバッケはエスレイを手で示した。「とてもやる気みたいだよ」

「は?」

 エスレイの目が輝いている。蒼風の回廊、気球、高地の民族、〈虹の王〉。語られたものたちは少女の目の前にはっきりと像を結び、心をときめかせていた。

 ああ、畜生。コルネリスは呪った。バンバルバッケでも、エスレイでもなく、トンマはだまされやすいことを忘れていた自分自身を。

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