2.
モデスティ湾の北岸に刻まれた谷に機工都市連合の首都ガーディッチがある。
白漆喰を塗った塔のように高い建物が乱立し、そのあいだの空間を通路、足場、水道が密に入り組む。建物はみな六階か七階まであり、それぞれの階に民家、酒場、宿屋、工房、商店が入っている。最上階の半分はテラコッタを拭いた屋根、もう半分は南国の彩豊かな花々や小さな椰子が繁茂する庭園だ。
だが、何よりこの階層都市を性格づけるのは町中にある真鍮や鋼鉄の機械だ。調速機や革のベルトをはめた動輪が激しく動き、機械は水を吸い上げ、門を開け、人や荷物を運び、音楽すら奏でる。
そんなガーディッチの主力産業が漁業であると言われると、意外な気がする。
だが、機械で走る船が魚の群れを執拗に追跡し、他の船ではいけない漁場まで簡単に到達できることを考えれば、むしろ当然だ。
豊かな漁港にはうまい魚料理屋が付き物で、アダムス通り沿いの四階にある〈金の釣り針亭〉では特に銀鯛のローストが有名だ。銀鯛をまるまる一匹、オリーブオイルと香辛料で焼いたもので、今も満員の料理屋のなかで、二人の少年がせっせと骨から身を外して、口に運んでいる。
「あー、もう、ほんと冗談じゃねえっての!」
と、言ったのは鳶色の髪のハンサムな少年だった。おしゃれに気をつかった明るいブルーグリーンの半外套にリボンネクタイ、壁から出っ張った杭にはリボンを黒曜石のブローチで留めた羽根飾り付きのツバ広帽子とマントがかけられている。青い飾り帯の上から剣吊りベルトが腰に巻かれて、細身の剣と左手用の短剣がぶらさがっていた。
「仕方がありません。博士からすると、おれたちの忠義にまだいたらぬところがあるんでしょう」
こっちは黒髪を後ろで結んだ少年だった。端正な顔立ちは中性的で、そのほっそりとした体躯はハイネックの顎下からブーツまでぴっちりとした黒装束に包まれ、投げナイフや辺境風の短剣が革のベルトで腰や腿に縛りつけてあった。興味深いことに魚を食べるのにフォークを使うかわりに同じ長さに切った二本の木の棒で器用に身から骨をつまんで取り除いている。
「忠義? 今、忠義がいたらぬって言ったのか、シンザ?」
「はい。言いました」シンザと呼ばれた黒装束の少年がうなずいた。
「おれたちめちゃくちゃチューギしてるじゃねえか!」鳶色の髪の少年――コルネリスは神もへったくれもないと言った様子で声を荒げた。「巨大トカゲの餌になりそうになりながらバジリスクの卵をとってきて、明らかに人身御供してる怪しげでイカれた宗教団体から死にもの狂いで邪神像をぶんどってきて、さらに朝から晩まで真夏の砂浜で網ィ引っぱって、ルクセム珊瑚をゲットしてやったのに、まだ忠義が足りねえってぬかすか? おい、これからおれがありがたーい教えを授けるから、よくきけ。いいか、こいつは労働犯罪ってやつだ。あのクソジジイはおれたちをめちゃくちゃに働かせて搾り取ってる。おれがレモンなら今頃、汁が出尽くして、種がきしんでる。こんなこと許されるべきじゃねえし、許すつもりもねえ。正当な権利を勝ち取るために階級闘争を仕掛けてやる。お前も手伝え」
「構いませんが、具体的に何をするんですか? おれにできるのは暗殺、攪乱、爆破、拷問――」
「冒険家ギルドに訴える」
「それは無理ですよ」
「そうやって頭ごなしに否定したんじゃ建設的な議論はできねえぞ。でも、一応理由はきいておこう」
「陳情には最低でも三人の冒険家が必要です。おれたちはおれとあなたの二人しかいない」
「ああ、そんなら簡単だ。とっとと三人目を探せばいい」
「どうやって?」
「ここはガーディッチだぞ? 魚を平らげる。外に出る。橋の上から通りを見下ろしゃあ、いくらでもトンマが見つからあ」
魚を平らげ、パンでオリーブオイルをぬぐって口に放り込むと、コルネリスは帽子とマントをつけて、扉のかわりに入口に垂れた布を払って外に出た。シンザがそれに続くが、コルネリスの企みがうまくいくとは思っていないのは顔を見れば明らかだ。
〈金の釣り針亭〉の目の前にはアダムス通りをまたぐ木造通路があったので、コルネリスとシンザはそこから通りを見下ろした。経験ではトンマはガーディッチの上ばかり見ながら歩く。この機械が複雑に絡み合う階層都市の街並みに圧倒された田舎者を何とかこちらに引き込んで、頭数をそろえないといけない。
「ところで――」と、シンザ。「なぜ陳情の協力者をトンマに限定するんですか?」
「知恵のまわるやつならこっちの足元見て、協力費とかほざいて法外な値段をふっかけられる。だから、トンマが必要なんだ。この上なくトンマで――お、ほら見ろ! トンマ発見! まんまとペテンにひっかかってやがる。ありゃあ、移民船降りて三分も経ってない新鮮なトンマだ。シンザ、トンマを確保しろ! おれはカネを取り戻してやる!」
コルネリスは手すりに足をかけると、五階の倉庫の入り口から垂れたロープに飛びつき、滑り落ちるようにしてアダムス通りの人ごみに着地した。酢の壺を頭に乗せていた女は危なっかしいコルネリスの行為に文句を言ったが、コルネリスは無視して、黄色いフードをかぶった男へ走り寄ると、肩をつかんで振り向かせ、みぞおちに固めた拳のきついのを一発お見舞いした。
倒れた男の懐から小さいがずしりと重い革の袋を取り上げると、別のロープで降り立ったシンザが通りの坂の始まるところでトンマを確保していた。
後ろから見るトンマは小柄でシンザよりも細い。飾り気のないマントのすそから鞘のこじりが見える。おいおい、剣を佩びてるぞ、このトンマ。
前にまわると、トンマは少女だと分かった。短いが癖のないきれいな栗色の髪とエメラルドグリーンの大きな瞳にめぐまれながら、この少女を印象づけるのは少女らしい可愛らしさよりも、もっと強いもの、やや即物的なコルネリスには理解しがたいものがあるように見える。もっとも詰め物をしていないダブレットとタイツみたいなレギンスで男装しているからかもしれないが。
「ほら、これ」
とりあえずコルネリスは革の袋を返した。
少女はきょとんとしたが、首をふった。
「これは先ほどの人にあげたものです。もう、わたしのものではありません」
「ガーディッチは初めてか?」
「はい」
「この町の名物はな、機械と魚と寸借詐欺だ。これをくれてやったとき、そいつ、なんて言ってた?」
「病気の一人娘の治療費が必要だと言ってました。かわいそうに」
「おれはこないだやつの叔母がひん死の重傷を負ったって言ってるのをきいた。シンザ、お前は?」
「弟が病気だと言っているのをききました」
「お身内に不幸が重なっているんですね」
「違う、詐欺だ」
ここまでトンマなのも珍しいな。
「あいつは鉢合わせるやつ全員にうその身の上話でっち上げてんだよ。あいつの話が全部本当なら、世界中の人間があいつの親戚だし、しかも全員が死にかけてることになる」
「確かに詐欺を働いている方かもしれませんが、でも、わたしに話しかけたときは本当だったかもしれません。わたしはもし、あの人が世界中のだれにも信じられることがなくなったら、最後に信じてあげられる人になりたいです」
「おいおい、まじかよ。予想以上のトンマだな」
「トンマ?」
「いや、こっちの話だ。とにかくペテンには気をつけろってことだ」
「ご忠告ありがとうございます」
「のんびりしてるなあ。お前、どこの出だ?」
「ヴィルブレフです」
「ヴィルブレフ?」
コルネリスの頭の上に疑問符が浮かび上がるのを見て、シンザが補佐する。
「ほら、五月に大虐殺があった国ですよ」
「あー、あー。あったな、んなこと。平民が新しい王さまと一緒になって、むかつく貴族をぶっ殺しまくったって話だろ?」
「そんな簡単に割り切れる話じゃないんです」
「まあ、あんたはそこの出身だからな。朝起きて窓開けたら、全身生皮剥がれた貴族がぶら下がってるってのは一日のスタートとしてはあまり気分のいいもんじゃない」
「そんなふうに伝わってるんですか?」
「こことヴィルブレフのあいだにはエディル海がある。海ひとつ挟めば、事実に尾ひれがつくもんだ。その尾ひれのたいていが腐ってやがるわけだけど――あれ?」
通りが騒然となった。気づくと、前と後ろが荷車でふさがれ、棍棒や殻竿で武装したゴロツキがぞろぞろと集まってきている。見れば、さっきのペテン師が音頭をとっている。
「いたぞ、あそこだ! このおれさまをなめやがって。一族総出で思い知らせてやる」
「え? これ、お礼参りか。まじかよ。やつにもほんとに親戚がいたんだな。みんなぴんぴんしてるけど」
コルネリスが剣と短剣を素早く抜く。シンザは武器こそ抜かず手ぶらのままだが素早く目を配り、コルネリスと背中を合わせる。
「前に六名。後ろに七名。どうしますか?」
「どうするってやるしかないだろ」
「わかりました。殺るんですね」
「あ、こら待て。殺すんじゃねえぞ。言葉のニュアンス考えろ」
二人の背に剣を抜いた少女が加わる。
「わたしも戦います」
「冗談。使えるのか?」
「それなりに」
上等、とこたえると、コルネリスが少し位置を動かし、もっと迎え撃ちやすい場所を開けた。
黄色いフードのペテン師が数にまさる悪党ならば必ず言うであろう文句を放つ。
「けっけっけ。おい、お前ら。命乞いするなら、今のうちだぞ」
ふん、とコルネリスがあざ笑う。
「陳腐な台詞吐きやがって。それよりてめえら自分の心配しろよ。よりによって、そんなちんけなペテン師の肩なんざもってよ。かっこわるいったらねえよ。おまけにおれたち全員の年齢合わせても五十に届くか怪しいガキ相手に四倍の数でかかろうってわけだけどいいのか? もし負けたら、めっちゃ恥ずかしいぜ」
「ぬかすな、ガキがぁ!」
暴漢たちがいっせいに襲いかかる。
最初のうちは数で勝っていたが、そのアドヴァンテージは三分もしないうちに失われた。
あるものは正統派騎士剣術の峰打ちを食らって昏倒し、あるものはベルトを断ち切られてズボンがずり下がり、あるものは魔法としか思えない不思議な体術で放り投げられ、三階から伸びるパン屋の看板にぶらさがった。
「ネクタイ曲がっちまったじゃねえか。ったく。それにしても、お前、なかなかやるじゃねえか」
逃げるごろつきたちの背を一瞥し、コルネリスは帽子を取って大げさな宮廷貴族風にお辞儀をしてみせた。
「コルネリス・リュゼリロ。これでも冒険家。覚えていたからっていいことのある名前じゃないが、ひょっとしたらいいことがあるかも」
「シンザです。氏族の名乗りはバクル。冒険家と乱術士を兼ねています」
「乱術士?」
「わたしの故郷のギ国に古来から伝わる技をもつ特殊な戦士です。今はわけあって、ここガーディッチでバンバルバッケ博士のもと、勉強をしています」
「そのバンバルバッケってのが」と、コルネリス。「筋金入りの極道でな。やつの悪辣さに比べりゃ、さっきのチンピラどもなんて聖歌隊みたいなもんよ」
「そんなに悪い人なんですか?」
シンザが首をふる。「コルネリスが大げさなだけです。おれはすぐれた
「いや。あれは学問が人を殺せる生きた証明だ。やつにかかれば、どんなやつでも擦り切れた靴下みたいになっちまう。そんな悪党をおれとこのシンザは糾弾しようとしててな」
「おれも巻き込まれることは確定なんですね」
「そして、それに協力してくれる三人目のトンマ――じゃなくて、同志を探してたところだ。しかし、どこかにいないものかなあ。正義を尊び、悪を討つ正義の味方が」
「し、しらじらしい……」
「あの……」少女はおずおずと手を挙げた。「もしよければ、わたしが……お役に立てるか分かりませんけど、でも――」
「よし! 三人そろった、行くぞ!」
コルネリスはもう千年前からそう決めていたかのごとく手をぱんと打った。
「え? え?」
頭から疑問符をポンポン沸かせながら、少女――エスレイはされるがまま、コルネリスに引っ張られていった。
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