9.
クレセンシアは女性騎士の宿舎で二十名の親衛隊騎士を前にして、隊長としての訓令を述べた。
「今回の戦では姫を守るだけでなく、作戦従事中の市民兵もまた守り切るという困難な任務が与えられたが、諸君らは見事、任務を完遂した。諸君らの働きはわたしの誇りだ。帰還早々にまた任務を申し付けるのは心苦しいが、時節ゆえに辛抱してもらいたい。我々、親衛隊は祭りにおいての治安紊乱に備えて、市内の巡邏を行う。巡邏は二人一組、計十組でまわってもらう。では、まず商業街区は――」
巡邏といっても、町人同士の喧嘩などはその町の自警団が収めることになっているから、巡邏したところで別に騎士の出る幕はない。
ただ、親衛隊の女性騎士たちはみな剣に長け、騎士としての実力は申し分ないが、少しちゃらんぽらんなところがあるので、騎士祭が始まれば、そわそわする。ならば、宿舎に詰めさせるよりは巡邏という口実を与えて、祭りを楽しませて息抜きをさせたほうがいいだろう。ごく普通に、祭りを楽しんでこいと言えない隊長の不器用さは隊員も承知だった。
隊員たちが縁日の食べ物と出し物へ期待をいっぱいにして巡邏に出かけると、クレセンシアはひとり特別任務に従事するべく、宿舎を発った。
特別任務――それはエスレイが庶民の娘に化けて、城下へと遊びに行くのを水際で防ぐことだった。
エスレイはクレセンシアを出し抜いた。以前は厩舎の見習いに化けて、城を出たが、今回は出入りのパン屋の丁稚に化けて、外に出た。クレセンシアが厩舎付近を見張っているあいだに、エスレイは使い古した男子用の服をつけ、厨房で焼かれたばかりのパンを目いっぱい抱えて、顔が見えないようにしたまま、通用口から外に出た。
日が暮れていくシュヴァリアガルドの庶民街では景気よく蝋燭に火が灯され、カンテラがあちこちにぶら下がった。祭りは明日からだが、みな前夜祭を楽しむのだ。もう、屋台では揚げたパンや蜜菓子が売られ始め、喜劇役者が声色で道行く人を笑わせている。少年に変装しているせいか、誰もエスレイの正体には気づかない。
左右に屋台が並ぶ通りを歩いていくうちに市街を抜ける運河の荷揚げ場に行きついた。運河では舟比べが行われている最中で街の区画ごとに代表された八人乗りの手漕ぎ舟を住人たちが喉をからして応援している。
「そらいけ! 鍛冶屋街の連中に負けるな!」
「いけぇ! ぶっちぎれ!」
「あーあ、明日の酒代がパアだ!」
何の肩書きもなく、街に溶け込むと、気が楽でよかった。こうした賑わいは宮殿ではない。宰相が書類をまとめて、今日も民は陛下の御世に暮らせる幸せを心から感謝申し上げております、などという無味乾燥な報告では実際の状勢が分からない。クステノでの民の絶望だって、実際に目で見るまではエスレイは知りもしなかったのだ。
騎士があんなふうに思われている土地が他にもあるとしたら、放っておくことはできない。しかし、いったいどれだけの人が騎士に幻滅しているのか、見当もつかなかった。
でも、兄さまなら、きっと。
「なんだ、貴様ぁ! 騎士にたてつくか!」
ぎりぎりと針金がこすれるような耳障りな罵声。
運河沿いの広めにとった階段で騎士が三人、がなり立てていた。一人は紫の
相手は果汁売りの老人だ。錫製の小さな壺がいくつも倒れ、葡萄のものらしい果汁が流れている。
「見ろ、お前がぶつかったせいで服が汚れたぞ!」
「で、ですから、わしは避けたのです。でも、あなたさまが倒れかかってきて……」
「あくまでも責任をなすりつけるか。ならばなぁ、こちらにも考えがあるぞ」
紫の外套の騎士が剣を抜いた。老人はたまげた声を上げ、許しを乞うたが、足蹴にされ転がされた。残り二人が老人を押さえつけると、紫外套は顔に罪人の印を残してやると言い放った。
酒が過ぎて定まらない手つきだし、剣自体も切れ味や打撃力よりもひたすら軽量さと華やかさを求めたものだ。だが、あんな剣でも人に突けば、大怪我をする。
「やめなさい! それでもあなたたちは騎士か!」
三人が振り向いた。
「なんだぁ、小娘。おれたちが騎士じゃないだと、お?」
「くだを巻いているゴロツキにしか見えない」
「そうかよ」
紫外套は指笛を吹いた。あちこちの横町や小広場から同じくらい酔っ払った良家の子弟らしき騎士たちがぞろぞろと現れた。
「この小娘、おれは騎士じゃなくてゴロツキだとほざきやがる」
下卑た嘲笑が広がる。
紫外套は剣の切っ先を石のつなぎ目に差し込んで、雑草をほじくりかえしながら言った。
「お仕置きが必要だな」
紫外套が剣をいきなり振り上げた。
エスレイはバックステップでかわすと、
ボキッ。
手首が砕け、紫外套は悲鳴を上げた。そこに鳩尾へ突きが繰り出され、飲んだ酒を吐き戻しながら、前のめりに倒れる。
「うおっ!」
二人目は裂帛の気合いを込めて剣を横薙ぎにしたが、警棒にぶつかるとたやすく折れて、膝、胸、顔の順に痛打を食らって階段を転がった。
「囲め、囲め! 後ろからかかれ!」
背後から繰り出された突きを警棒のなかばで受け、身体を反転しながら、刀身を巻き上げる。続けて、急所を知り尽くしたエスレイの膝蹴りが無防備な下腹部へ襲いかかった。二まわりはある巨漢が声もなく腹を押さえながらうずくまり横倒しになる。
酔っ払いたちの太刀筋は不確かで、足取りももつれている。一対一なら敵ではない。
だが、数が多すぎた。息が上がり、吸い込んだ空気が震えている。ざらっとしたような焼けつく痛みが喉から肺にかけて走る。
《残りは九人》
盾も剣もなく警棒だけではいずれ力で押し切られる。
「あっ!」
疲労で注意力が切れたところを狙って、二人が一度にかかってきた。一人の鼻に警棒を叩き込むが、もう一人が繰り出した斬撃をいなし切れず、階段でたたらを踏んだ。
倒れるや否や、黄色い胴衣をつけた騎士に髪をつかまれ、首の後ろを強く殴られた。
「か、はっ」
意識が途切れかける。手から離れた警棒が、カラン、と石段で乾いた音を立てた。
紫外套が折れた手首をかばいながら、剣を手ににじり寄る。
「その顔、ズタズタにしてやる」
剣の切っ先が目のすぐ前でぎらつく。
エスレイは目を閉じた。
「ぎゃっ!」
剣が落ち、紫外套が顔を押さえてよろめく。
鋭く空気を切る音がして、石つぶてがエスレイの髪をつかむ騎士の手に当たった。
髪から手が離れると、石段を転がり、落とした警棒をかっさらうように拾い、中段で構える。
銀髪の少年が背丈と同じ長さの赤樫の棒を手に手近な騎士に挑みかかる。
アンゼルムの部屋にいた士官学校生のジョシュアだった。
「これを使え!」
そういって投げてきたのはどこかの厨房からかっぱらった鍋の蓋だった。
「これで戦えっていうの?」
「ないよりマシだ!」
四の五の言っている場合ではなかった。一度に二人の騎士が襲いかかる。鍋の蓋は木製だが厚手で頑丈だった。敵の袈裟斬りを鍋蓋で防ぎ、攻撃線の伸びきった隙だらけの胴を勢いの乗った警棒で車打ちにする。
やはり、盾があると、ずっと戦いやすい。それに仲間もいると、さらに戦える。
背中合わせになって、死角を塞ぎながら、敵を迎え撃つ。
三人、四人と倒れていき、騎士たちは戦意を喪失して逃げ始めた。
そのとき、呼子笛が甲高い音を立てた。
「まずい、
ジョシュアはエスレイの手首をつかんだ。
「逃げるぞ、捕まったら面倒だ!」
エスレイの是非もきかずにジョシュアは狭い路地裏へと走り出した。
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