7.
ヴィルブレフ騎士帝国は北大陸の東半分を治める強国である。
その領土には温暖な穀倉地帯、鉱物資源に恵まれた山岳地帯、毎年膨大な木材を生産する森林地帯、交易の拠点となる大きな港、若駒を育てる沃野、それに堅固な城塞が含まれていて、都市や要塞は運河や街道で密接につながっている。整備された街道と替え馬を備える駅亭により世界でも珍しい郵便制度が確立されているが、変事の際には皇帝の動員命令を伝える伝令組織となり、広大な帝国全土がたった一日半で完全武装する。
その心臓が古代ロツイール語で『騎士の地』を意味する帝都シュヴァリアガルドだった。
西の城門をくぐる。木造と石造の入り混じる庶民街では明日から始まる〈騎士祭〉の準備で忙しいらしく、エスレイたちの凱旋どころではないようだった。窓を色紙や旗で飾り、白いテントの屋台が通りのほとんどを塞いでいる。旅の楽士たちの奏でる試し弾きがあちこちからきこえてくる。
春の終わり。一年に一度、二日間に騎士祭が催される。このときは国じゅうの民が浮かれ騒ぎ、シュヴァリアガルドには帝国じゅうの諸侯や騎士たちが集まって、華やかな騎士行列や槍試合が行われる。去年播いた麦は豊作で、天災も起こらず、国境での戦争は最重要課題だったクテルノの問題が片づいたので、騎士も民も何の憂いもなく、祭りを迎えられる。
市街を中央へ進んでいくうちに建物にも変化が現れはじめた。高い屋根に立派な破風、大きなガラスをはめ込んだ店、馬車の製造をしている工房。家の造りもゆったりとしたものになり、住民も比較的裕福な商人や職人たちだ。祭りの準備と飾りつけが行われているのは庶民街と変わらない。
その先の通りにまた城門があるが、最初の門よりもずっと大きく、矢狭間と銃眼が切られた塔が左右に立っている。この先は騎士たちの街だ。
騎士が住む
そんななか、異色を放つ建物は士官学校だ。武骨な石造りの建物で他の建物に比べて新しく、そして華やかさに欠ける。それもそのはずで、士官学校に通う学生はだいたい商人や職人、農民の息子たちなのだ。騎士居住区でただ一つの平民が立ち入ることを許された場所だ。
もちろん軍権の一切を握る騎士たちは士官学校にいい顔をしない。だが、これはアンゼルム皇太子が直々に提案して開設した学校だったので、宰相ですら決定を覆すことはできない。
エスレイの見た感じでは士官学校に賛成する騎士は質朴と清貧を尊び、反対する騎士は威厳と華美を尊ぶ傾向があるようだった。
エスレイはもちろん兄に賛成だった。戦にはどんなことが役に立つか分からない。騎士だけでなく、もっと多くの民からも力を借りることのできる士官学校制度は間違いなく、騎士帝国に貢献する。
最後の門をくぐる。その先は皇族の居住区だ。他の国ならば宮殿と呼んでもいい建物がいくつも立つ広大な敷地。庭園の向こうには国政を担う執政院の官舎が並ぶ。エスレイの住む
騎士帝国の一将軍として、まずは凱旋と勝利の報告を父帝に行う。
いくつもの広間や事務官房を通り過ぎ、謁見の間へ向かう。国じゅうから集まった諸侯や騎士に加え、他国の大使たちが挨拶のため、広大な控えの間に並んでいる。
名を告げる布令役の宮中伯が現れて、エスレイを見つけると、エスレイは順番を飛び越して、皇帝との謁見となった。
謁見の間は左右に大理石の柱廊があり、庭園に開かれている。騎士帝国の紋章である剣十字の旗を背に玉座に座る皇帝は娘の顔を見ると、破顔した。既に秘書官たちは人払いで退出していたので、広間には父と娘だけである。
「エスレイ。よく無事に帰ったね」
それは皇帝が臣下にかける言葉ではなく、娘の無事を心から案じていた父親の言葉だった。
「ただいま、戻りました。お父さま」
「本当に無事でよかった。本当に」
その言葉に込められた思いで、気の優しい父のエスレイへの思いが分かる。
「ご安心なさってください。このとおり、元気です」
「お前は本当に母親によく似ている。あれもまた男勝りで」
六年前に亡くなった母のことを懐かしげに話すと、自然と父の目尻に涙がにじんだ。幼いころから病弱だった父と男勝りで大男も一ひねりにねじ伏せることができた剛毅な母。二人は幼馴染で、何事にも自分の意見を通せない父が唯一意見を通したのが、母との結婚だった。母が突然、体調を崩して亡くなったとき、なぜ創造神ロツェは自分の代わりに妻を連れて行ったのかと泣いていたのを覚えている。
「分かっているよ」ベルンハルトは肩をすくめて微笑む。「はやくアンゼルムに会いたいのだろう? 父としては寂しい気もするが、どのみち、今日は来客が多い。それに兄と妹が仲良く過ごすことはよいことだ。兄弟で王位を争う国の多いことを考えるとな。アンゼルムならいつもの執務室にいる。会いに行ってやりなさい。あれもお前のことを心配していたよ」
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