5.

 その日の夕暮れは熟れた果実のように故郷のルーハイムへと落ちていった。

 キール王子は野営地に次々灯される篝火を眺めながら、一年の長さを噛みしめた。

 ルーハイムとヴィルブレフ騎士帝国の紛争は絶えない。だが、今回のクステノ攻めは裏に見えている事情が馬鹿馬鹿しいため、兵の士気も維持しにくかった。

 現在のクステノ伯爵ミカエルには義理の弟で、やはり同じ名前のミカエルがいた。義弟ミカエルが伯爵位を狙ってクーデターを起こしたが、蜂起は失敗に終わり、ルーハイムに亡命したのが、そもそもの始まりだった。

 義弟ミカエルはクステノ伯爵領への未練を断ち切れず、ルーハイムの宮廷において寵臣や側室に黒紅樹の伐採権をばら撒いた。

 キール王子が今、秘かに陣を移しているこの黒紅樹は家具や扉に使う木材としては最高級のものであり、この森一つが領地一つに匹敵するものだった。それをミカエルは国王の側近にばら撒いた。そもそもヴィルブレフの領土であり、彼には手がつけられない森の伐採権だ。おまけにろくに考えもせずにばら撒いたから、一つの伐採権に三人か四人の権利者が出ている。森を五回丸坊主にしてもまだ足りないほどの権利が重複している。

 ともあれ黒紅樹を切って利益を得るにはクステノを併合しなければいけない。

 側近たちは黒紅樹から利益を得て、義弟ミカエルは伯爵になる。

 下らない山師のたわ言に国王の側近が踊らされ、実際にその苦労は第六王子のキールら前線の軍人が負うことになる。

「この調子じゃ我が国も長くないかもな」

 王子の発言に侍従武官が顔を蒼くする。

「殿下、そのようなことは――」

「まあ、ヴィルブレフよりはマシかもしれん」

「え、ええ。そうですとも。あの騎士たちの戦いぶりを見れば、いかにかの国が弱体化しているか、分かるというものです」

「これからもそうであってもらいたいものだ」

 キール王子は苦みを持って思い出す。こちらの圧勝なのだから、喜んでもいいはずだが、ヴィルブレフの騎士たちが三百名近い民兵を戦場に置き去りにして逃げ去るのはなぜか苦みとともに想起される。

 自分のことは現実主義者だと思っていたが、心のどこかではルーハイムの騎士とヴィルブレフの騎士が一騎打ちで雌雄を決するおとぎ話に惹かれている。

 もちろん、一国の命運を一人の騎士の槍試合で決めるなど、あり得ない。

 騎士の時代が終わったと言えるほどではないが、重装甲の騎士による騎馬突撃は戦術として最盛期を過ぎている気がしないでもない。昔、歩兵の武器は弦の弱い弓と木の棒を削って作った槍だった。だが、今では歩兵は機械仕掛けの強力なクロスボウを装備している。三十ボアスの距離から発射すれば板金鎧プレートメールを貫ける。さらに南大陸では大砲を小型にした手撃ち砲ハンドガンを配備している国も出始めているらしい。

 そうした変化を見越して、ルーハイム王国では先だって軍制改革が行われた。士官学校をつくって、士官への道を貴族以外の平民や外国人にも開き、国内外に広く有能な人材をつどっている。

 将軍や大佐以上の任官は相変わらず貴族と騎士に限定されているが、事実上の前線指揮官である中佐以下の士官には平民階級出身が多い。遠距離兵器部隊を指揮する士官だけでなく、製図法や兵站実務、暗号作成など専門的な教育を受けた士官に支えられ、ルーハイムは善戦している。昨年、ヴィルブレフのアンゼルム皇太子に二度負けたのは士官を貴族に限定した古い軍隊であり、新しい軍隊はヴィルブレフの国境侵犯を五度跳ね返している。階級にらない新しい士官たちはルーハイムにおいて着実に力をつけつつある。

 だが、と天幕のなかで作戦命令書に署名しながら思う。

 肝心の宮廷がミカエルのようなペテン師の言うことをまともにしているようではいけない。

 天幕を出て、森の小道を歩く。幹に小さなカンテラが下がった先にはフルン川の岸辺があり、黒紅樹の伐採場がある。木こりたちはここで枝を落とし、丸太を筏にして川に流して運ぶ。

 そこに爆薬船が二艘、急ごしらえの桟橋に係留されていた。火薬樽はもう八割方積み込まれている。あとは城壁が吹き飛んだあとの攻略部隊の編成を最終確認し、命令を出せばいい。

「これで愚かな義兄も思い知るわけですな」

 キール王子は嫌悪を隠さず、酒で枯れた声の主へ振り返った。ミカエルは四十絡み、顔の肉のたるみや目の下のくまで生活の不摂生さが分かる。この男はもうクステノの伯爵になったつもりでいる。

「まだ、作戦が終わる前です。油断は禁物ですよ」

 この男は何と呼べばいいのだろう? なんら肩書がないのだ。財産もなかった。にもかかわらず、ルーハイムの常備軍を動かして一年もこき使ったのはある種の才能とも言えるかもしれない。

「砲撃用の火薬で城壁の水門を吹き飛ばすとは名案ですな。さすがは殿下です」

 宮廷の父王の側近たちはこんな見え見えの世辞に気をよくしたのだろうか。それにこの男は爆薬船を使う作戦に最後まで反対した。理由をたずねてもはぐらかすばかりだったが、どうやら爆薬船の建造に黒紅樹を使うことをもったいないと思ったらしい。

 たった二艘分の黒紅樹は惜しむくせに、自分の城となるクステノに砲弾を叩き込むことは平気なのだ。この男が領主となれば、領民は苦労するだろう。

 キールはミカエルを無視し、工兵大尉に爆薬船の準備進捗をたずねた。

「準備完了です、殿下」

「よし、では、フルン川東岸の突撃部隊指揮官のルムバッハ大尉に伝令。突撃部隊は水門爆破の後、水路の東側から城塞に侵入すること。敵の司令部は大聖堂にある。これを素早く占領し、敵の指揮系統を――なんだ、あれは?」

 森の端に突然、無数の火の玉が浮かび上がった。

 弩に装填された火矢だと気づいたのは、爆薬船に矢が降り注いだ後だった。

 爆薬船が吹き飛ぶと閃光が森からあらゆる闇を払い去った。爆風で倒れたキールは自分の上にのしかかった死体――頭の半分が吹き飛んだミカエルの骸をどかした。

 森と川のあいだの低木の茂みに頭巾をした弩兵が並んでいる。キールは恐慌をきたした手勢を何とかかき集め、陣形を整えると敵に襲いかかった。

 ルーハイム兵たちは槍と剣をふるう。だが、無防備の弩兵を裂く手ごたえのかわりに武器は弾き返され、なかには後ろに転がったものまでいる。

 騎士だ。鎖の外套と胸当てで重武装した騎士が盾を隙間なく連ねて、弩兵を守っている。

 盾のあいだから突き出された剣が次々とルーハイム兵を貫き倒す。

 ぶつかっても崩れることのない断崖のような守りはこれまでの騎士とは違う。

「隊列を組み直せ!」

 キールが叫び、近くに転がっていた伝令を引き起こすと、急ぎ対岸の突撃部隊に援軍に来るよう走らせた。

 二百の手勢で再び騎士の壁にぶつかる。振り下ろされた敵の騎士剣は革兜に守られた頭部をワインボトルのようにたやすく叩き割り、槍は軽量化した薄手の胸当てを苦も無く突き破る。騎士との近接戦闘はあり得ないと高をくくって装備を軽くしたのが、ここにきて祟った。

 ふと、数日前、斥候が持ち込んだ報告を思い出す。エスレイ皇女が少数の手勢を引き連れて、クテルノに入城したというものだ。

 一人の皇女の存在が腑抜けの騎士たちを蘇らせたのか?

「馬鹿な」

 キールはハッとして後ろに下がる。

 盾の騎士に阻まれているあいだに弩兵たちはかなりの矢を打ち込んだらしく、数十の兵が矢を顔や胸に受けて悶えている。

「数ではこちらが上だ! 突撃部隊が来援するまで持ちこたえろ!」

 キールは士卒を叱咤激励し剣を屋根の構えになおし、突撃する。大上段からの斬撃で敵の防御を上向かせる。そのとき、騎士の背後で矢を番える民兵の姿が見えた。防具らしいものはまったく身につけていないその体へキールは踏み込んで、横鬢おうびんを狙って打ちかかる。

 剣を持つ手が痺れたと思うと、大きな金属の塊が体全体を打った。民兵とキールの剣のあいだに大きな盾が割り込んだと知れたころにはキールは草地に背をつけて倒れ込み、小柄な騎士の切っ先が喉元に触れかけていた。

 ルムバッハ大尉率いる突撃部隊が森の杣道そまみちから現れ、敵兵の陣形へ雪崩れこもうとすると、侍従武官が慌てて制止した。

「よせっ! 殿下があそこに!」

 決まったか。全く慢心していたとしか言いようがない。それ以上に敵の采配が――、

「見事だった」

 キールは素直に認めた。

「ルーハイム王の第六子、キール・ルーステンだ。騎士よ、そなたが名乗る番だ」

 騎士は兜の面を上げた。

 そこにあったのは幼くも凛とした少女の顔だった。

「騎士皇帝ベルンハルトが皇女、盾の姫騎士エスレイ」

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