4.
大聖堂での軍議が散会すると、エスレイは作戦のことで頭をいっぱいにして、あっという間にどこかに消えてしまった。
クレセンシアはエスレイを探した。どうも宿舎にあてがわれたワイン商の建物に帰っているようだった。
クレセンシアは市街地を歩いた。道沿いには志願兵たちが必要な矢と火打石、それに松脂を入れた壺を準備している。長きにわたる籠城で生気を失っていた市民兵たちの顔に覇気が戻っている。これはいい兆候だった。
騎士外套をまとった長身のクレセンシアが颯爽と通り過ぎると、男たちはみな振り返って、彼女を見た。
クレセンシアの美しさは見惚れる美貌ではなく、凛としていて姿勢を正さずにはいられない厳しさのある美貌だ。
現在二十歳でエスレイ皇女の親衛隊長に選ばれるだけのことがあり、剣はかなり使う。エスレイの侍従として六つのころからそばについているので、エスレイは実の姉のように慕っていた。
またクレセンシアはエスレイのお目付け役でもある。
例えば、ワイン商の馬車倉庫でテーブルの上にあぐらをかいて頬杖をついて作戦地図をじっと眺めているエスレイを叱るのもクレセンシアの役目だった。
「あ、えっと」
木こりからもらった森の間道の矢印から目を上げて、困ったふうに頬を掻く、
「姫は一つのことに頭がいっぱいになるとまわりが見えなくなってしまうことがあります。ですが、姫はここに皇帝陛下の名代として派遣されているのです。そのことをお忘れないように」
「面目ないです」
「――それで、作戦は?」
「思ったよりうまくいきそうです。なんといっても――」
あれから志願者は増え、最終的にエスレイ率いる夜襲隊の市民兵志願者は全部で一三三名に上った。
――おれたちは騎士に命を預けるんじゃねえです。一人の女の子を助けた皇女さまの勇気に命を預けるんです。
クレセンシアには、それで十分だった。姫は民の信頼を取り戻したのだ。
そして、クレセンシア率いる親衛隊騎士二十名にはその信頼にこたえる。それは市民兵から一人の戦死者も出さないというものだった。
だが、一三三名を守るのに二十の騎士では少なすぎる。せめて倍の四十は必要だ。
「伯爵は配下の騎士を出しそうにはありませんね」
「ここまで騎士の堕落が進んでいるとは思いませんでした」
「騎士が民を守れず、民が騎士を信じない。お父さまやお兄さまはどうお考えなのでしょうか?」
クレセンシアはそれについて意見を言える立場になかった。それに気づき、エスレイが謝る。
「ごめんなさい」
「いえ……」
騎士の堕落はここ数年、特にひどくなっている。ろくに剣も握れない輩が宮廷政治の巧みさだけで取り立てられることがあれば、皇族と癒着して政商と化した騎士もいる。
エスレイの父、ベルンハルト帝はよく言えば人の良い、悪く言えば優柔不断な皇帝だった。民を慈しむ心はあるが、毅然とした態度で綱紀粛正を行えるほどの強い意志はない。
そのためか不正を嫌う騎士たちのあいだでは皇太子のアンゼルムに対する期待が大きくなっている。二十一歳にして元帥の位にあり、ルーハイムとの会戦で二度、華々しい勝利をもぎとっている。清廉潔白な人柄を慕う騎士も多く、民衆にもアンゼルム皇子を推す声が強い。
もし、アンゼルム皇子が帝位につけば。
だが、そう考えることは現皇帝ベルンハルトに何らかの変事が起こることを前提にしている。皇帝に忠誠を誓った騎士が考えることではない。
しかし――。
姫は難しい立場に立たされる。
そんなとき、姫をお守りするのがわたしの使命だ。
「姫、一試合、剣を合わせてみますか?」
エスレイは石床の継ぎ目に寄せていた視線を上げた。
ふ、と微笑む。
困難にぶつかったとき、騎士の本分に返る。
「お願いします。先生」
剣において、主従はない。二人は師弟だった。
石敷きの中庭で盾の革ベルトに腕を通し、剣を抜く。
エスレイの盾は紅に金の剣十字。クレセンシアの盾は藍に包み蔓の紋章。
戦いはクレセンシアから仕掛けて始まった。
斬撃を左へいなす。金属的な音とともに火花が散るが、盾で衝撃は逃がした。
エスレイが攻撃に転じる。上段からフェイントをかけ、小手の内で手首をまわし、騎士剣を胴へ叩き込む。
剣は絡めとられるような巻き上げを食らうが、体の重心を前へずらして、盾で押し合う。
力ではクレセンシアが押し切れる。前に出た師匠を弟子は真っ向からの突きで牽制する。
突きで稼いだ短い時間を使ってエスレイの体が反転しつつ、立ち位置を逆転させた。クレセンシアは壁に追い詰められる。
突然、エスレイの視野が何かで塞がった。
輝く銀の蔦の光を見た次の瞬間には鳩尾に柄頭での一撃を食らって、息が止まり、仰向けに倒れた。
喉元にクレセンシアの剣がピタリと切っ先を当てる。
「――参りました」
クレセンシアは剣を鞘におさめ、エスレイが立ち上がるのに手を貸す。
「勝負はわたしの負けです、姫」
どうして、とたずねると、クレセンシアの視線の先には青い銀の蔓の盾が寿命を迎えた竜のように横たわっている。
「隙をつくるために咄嗟に盾を外しました。盾の騎士としては負けです。本当にお強くなられました」
「先生がいいからです。一試合して、なんだか頭のなかでこんがらがっていたものがすっきり晴れました。盾の姫騎士として守るべく戦う。そうあるべきなんだ、って」
「では、わたしは隊のほうを見てきます」
「はい」
クレセンシアはワイン商の建物を出て、親衛隊の宿舎になっている旅籠に向かった。その途中、誰かに尾行されているのを感じ、宿舎に向かうかわりに自分から袋小路に入った。
悪意ある尾行者なら、ここで一気にかかってくるだろう。あれこれ、まどろっこしい考えに煩わされるくらいなら一撃で決める。冷静に見えるこの女騎士にはこんなふうに猛将としての側面がある。
現れたのは数名の騎士だった。その一人に見覚えがある。伯爵の息子、オーランだ。
「何か用か?」
「ああ。夜襲で騎士が足りないってきいた」
「志願か?」
「まあな」
「貴殿の父は伯爵領の騎士は従者一人とて夜襲に参加することを許さなかったのではないか」
「その通り」
「なら、父君の言葉に従うがいい。親孝行はできるうちにしておくものだ」
オーランは、くくっと低く笑った。
「それは無理だな。だってもう言っちまったんだ。親父の小言なんざクソくらえ。おれは騎士だ、ってな」
「そうか」
口数は少ないが、クレセンシアの心は小気味の良い興奮にも似たものを感じる。騎士の神髄はまだ生きているのだな、と。
「お姫さまにご挨拶といきたい」
「全部で何名だ」
「おれを入れて二十七名。変わり者揃いだが、命を捨てる覚悟はしてきたそうだ」
「姫はワイン商の建物にいる。きっとお喜びになるだろう。ただし、命を捨てるというのは口にしないほうがいい。姫はどんな形であれ、失われる命を哀しまれる」
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