2.
「やっぱり」
少女はつぶやいた。
小さな体は市内を流れるフルン川の水門のそばで足場にかがみ、その手は鉄格子に引っかかった木くずのようなものを拾い上げている。
薄く仕上げた板の破片で断面が四角い釘が刺さっている。
これで包囲軍が何を考えているか分かった。
肩から下げている雑嚢に木片と釘を入れると、籠城軍司令官であるクステノ伯爵のもとへ戻ろうと水門を離れ、市街地へ足を進めた。
籠城で疲弊した
自分は盾の姫騎士だ、と少女は強く思う。全ての打ちひしがれる人たちの盾となることが義務なのだ。
「必ず守ってみせる」
敵がどう仕掛けてくるつもりかは分かった。
問題は打って出るのに使える手勢だった。クステノ防衛軍は全部合わせて千五百、それに対しルーハイム王国軍は三千。数で負ける。クステノの兵千五百のうち数百は傷病兵だ。
外に打って出るという少女の作戦は自殺行為に思われるだろう。クステノ市は伯爵から市民までこのまま籠城して援軍を待つことで勝てると思っている。確かにここから二日の位置に騎士と歩兵からなる混成部隊二千がやってきている。
そして、敵もそれを分かっている。
だから、一気に決着に持ち込む奇策でかかろうとしている。おそらく今夜。だから、数の不利を圧し切ってでも、打って出なければならないのだ。
もちろん、少女は無謀な賭けに出るつもりではない。
火矢を使える市民弩兵が三部隊あればいい。そして、それを守る騎士が四十。
だが、少女が使えるのは自分の親衛隊二十名。彼女の指揮下にある兵のほとんどはまだこちらにやってくる途上にあった。それを待っているのでは手遅れになる。
「砲撃だあ!」
突然の叫び声にハッと我に返った。通りをゆく人々が慌てふためき、地下室へと逃げ込んでいく。
砲丸のなかには火薬が仕込まれていて、着弾と同時に爆発するものもある。それを避けるにはしっかり石で組んだ天井のある部屋に逃げ込まなければいけなかった。
「っ!」
小さな女の子が一人、泣きながら、通りの真ん中でへたり込んでいた。もう、通りには他に人がいない。
少女は背中の盾をまわして体の横で構えると走った。
左側の建物に砲丸が甲高い音を上げて飛び込み、爆音と瓦礫をばら撒く。
女の子の体に覆いかぶさるようにして、盾でかばう。大きな煉瓦や石材がぶつかり、鈍い音を立てている。
少女の華奢な腕はぶつかる瓦礫にビクともせず、金の剣十字の紋章をあしらった盾には傷一つついていない。
「大丈夫。大丈夫だから」
怪我のないことを確認すると、少女は女の子を自分にしがみつかせたままマントにくるみ、近くの半地下の出入り口へ駆け込み、扉を叩いた。
「すいません。砲撃のあいだだけ避難させてください」
鋲を打った木の扉が開く。扉のように大きな男が入り口を塞いでいた。
「悪いが、ここはおれたち雑草たちの避難所だ。お偉い騎士さまにゃあ向かないと思うがね」
こんなときに何を。そう口から出かけて、思い直した。それはクステノへ入城する前からきいていた噂だ。
クステノの民は騎士を信じていない。
はじめきいたとき、少女は何かの間違いではないのか、と思った。帝国騎士はいついかなる事情があろうと、民を守る。それこそ、最上の使命であり、叙勲の際にそう誓ったのではないかと。
だが、クステノに入城し、伯爵とその配下の騎士たちを見ていると、それも嘘ではないのかもと思わざるを得ない。多くの市民がふすまパンの一かけらで露命をつないでいるのに、贅沢な食事と赤ワインでしたたかに酔い、足元も覚束ない騎士の姿は模範とは言いづらい。
伯爵は権力がらみの打算で少女を宴に招待したが断った。クレセンシア以下親衛隊騎士がそれに従ってくれたのは心強い。
しかし、目の前の男の騎士に対する憎悪はもっと根深いところにある。殺気すら感じられるのだ。
自分はここには入れそうにない。それを無理に押し問答するつもりはなかった。砲撃は規模が小さいので、あと数分、運が味方すれば、何とかなる。
「わかりました」少女が言う。「わたしは立ち去ります。そのかわり、この子だけは入れていただきますか?」
大男が目を剥いた。
「コンスタンスじゃねえか。お前、父ちゃんたちが心配して探してたぞ」
「この子を知ってるんですか?」
「同じ町内のもんだ」
「両親は無事?」
「ああ。別の地下室に避難していったのを見たよ」
「そうですか」
ここにまかせれば、女の子は無事に済みそうだ。
ホッとして、身を翻し、一人通りへ向かおうとする少女の肩が大きな手につかまれ、そのまま地下室へと引っぱられる。
バタンと扉を閉じながら、大男は奥へ行くよう促した。
「騎士は騎士でもあんたはいい騎士らしい。奥に行ってくんな。もうじき砲撃も止むさ」
そこは居酒屋らしい場所で市内の老若男女が集まっていた。天井近くに空けた小さな窓だけが明かりになっていて、埃っぽい部屋は足の踏み場も分からない。
そのうち、何人かの民兵たちが場所を開けたので、少女はそこに座った。
「あんたさん、見たところ、女の子だね?」
そうたずねたのは狩猟用の弓を携えた老民兵だった。
「はい」
「援軍が来るって噂は本当かね?」
「ここから二日の距離のところに二千の騎士が来ています」
騎士、ときいた途端、周囲から落胆の声が漏れた。
「駄目だ。援軍が騎士じゃあ、この戦は負けだ」
「騎士なんて普段えばるだけで、実際には全く使い物にならないもんな」
「そんなことはありません。帝国でも指折りの精鋭です」
少女は体が火照るほど強く反論したが、その結果きかされた話は想像もしなかった騎士の惰弱だった。
「あいつらは出撃するとき、一番最後に出てきて、一番最初に退却する。伯爵の腰抜けぶりは吐き気がする」
「そうやって先に退却して門を閉めるんだ。おれの弟は逃げ損ねて、全身に矢を浴びて死んだよ」
「それで毎晩、宴会ときてる。騎士が民を守るどころか、民が騎士の尻ぬぐいをさせられてる。もううんざりしてきたところだ」
そんなことはない、と否定したいができなかった。一年間戦い続けた兵士たちの表情は一様に暗く、険しい。騎士を信じていないのと同様に勝利もまた信じていない。
「お穣ちゃんも災難だなあ。きっとこんな辺鄙なところの援軍なんて適当にあてがっておけばいいと思ったんだろう。それでこのありさまさ」
「わたしはそうは思いません」少女は立ち上がった。「わたしはクステノを解放し、その民に平和のなかでの安住をもたらすために来ました。今夜で戦を終わりにするために」
「今夜で戦を?」老民兵はぽかんとしたが、やがて体をゆすって笑い出した。「そりゃ無理さ。一年間続いた戦をたった一日でなんて」
そこにはけなす様子はなく、むしろ若さや未熟さのみずみずしさを羨むようなところがあった。
「戦はもう一年続くかもしれない。ただ、一つだけ確かなことはわしら全員がくたばっても、あの騎士さまたちだけは生き残ってるってことさ」
「敵の連中をお互いの健闘をたたえ合ったりするんだぜ」
「ちげえねえ――おや、砲撃が止んだか」
地下室を後にした少女は帝国に巣食う病が根深いことを思い知った。彼女の国――ヴィルブレフは騎士によって成り立っている国だ。ヴィルブレフは古代ロツイール語で勇気を意味する。そのヴィルブレフから騎士と勇気がなくなれば国は崩壊するだろう。
「姫!」
見ると、クレセンシアが走ってくる。
「砲撃がありました。どうかご自愛なさってください――姫、ふるえているのですか?」
そうだった。少女はふるえていた。自分が身を置いた戦いが想像以上に大きいことに気づかされた。
少女が今いるのは小さな国境争いに過ぎないのかもしれない。
だが、この戦いは騎士がもう一度、民に信じてもらうための戦いでもあるのだ。
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