第5話

今朝は、雨が降っていた。ワタシは、レインコートを着て、アイツが来るのを待っていた。

「今日も失敗するわね。」

ワタシの家の前の坂道は、雨が降ると、ちょっとした川になってしまい、道行く人を困らせた。登る人は、雨水の流れに足を取られて、思うように前に進めず、降る人は、雨水の流れに押し進められて、躓きそうになる。そんな坂道を自転車で、しかも足を着けずに子供が登りきるなんて、無謀の極みだった。

そんな悪い状況の中、アイツは何時ものように現れ、坂道に登り出した。その時ワタシは、悪寒を感じた。

「?、?、?!」

この3年間、同じ光景は、何度も見てきたが、何の感情も感覚も沸き上がらなかった。しかし今朝は、アイツを見た瞬間、何故か悪寒がワタシの体を覆った。ワタシは、無意識に後退りをし、警戒心を強めた。そして、アイツの姿を覗き見た瞬間、黒い大きな影が、ワタシの横を勢いよくかすった。ワタシは影の正体を突き詰めようと、今度は逆に一歩前に出て、それがワゴン車である事を認識した。そしてワゴン車は、勢いを殺さずに、アイツに向かっていった。

「危ない!、逃げて!!」

ワタシはアイツに向けて、思わず叫んでいた。その叫びに反応したアイツは、前屈みの姿勢から顔を上げた時、ワゴン車がアイツを隠した。その直後ワゴン車は、周囲に衝撃による破壊音を大きく撒き散らした。

「どうしたんだ?!」

いつの間にか父が、ワタシの元に駆けつけていた。父は、ずぶ濡れになるのも構わず、辺りを見て状況の把握し、それに沿った行動を起こした。

「もしもし、警察ですか?今、家の前で交通事故がおきました。」

それから30分もしないうちに、家の前は、騒然となった。数台の警察車両が、辺りに異常を報せるように、赤色の回転灯を光らせていた。その光に負けじと、10人近くの警察官が、各々の役目を勤めていた。

その中の1人が、警察のワゴン車で休んでいるワタシに、色々と質問してきた。ワタシは答えながら、ある一点を睨んでいた。そこには、手当てを受けているアイツがいた。アイツも手当てを受けながら、色々と質問されていた。ただ、明らかにワタシの視線に気づいていながら、ワタシの方を見ずに、手当てと質問に集中していた。その態度が、ワタシの神経を逆撫で、ワタシの視線を更に強めた。やがてお互いに付き添っていた警察官が離れた後、アイツは、ワタシの正面に向き直し、そして深々と頭を下げた。その行動にワタシの角張った目は、瞬く間に丸くなった。そこにアイツが、更にワタシを驚かせる言葉を言った。

「ありがとう。」

「な、何?」

ワタシは、しどろもどろになって聞き直し、それに対してアイツは、素直に答えた。

「あの時、オマエが叫んでくれなかったら、オレ、避ける事が出来なかった。だから、ありがとう。」

ワタシは、アイツの予想外の大人の態度に、ますます狼狽した。それを隠すため、つい心にもない事を言ってしまった。

「別に…ただ新聞が、読めなくなるのを防ぎたかっただけよ!」

するとアイツは顔上げて、ニッと笑って言った。

「ひょっとして、ツンデレか?オマエでも、可愛い反応するんだな。」

そう言われたワタシは、無意識に頬を赤くさせたてしまった。そこにアイツが、更にワタシの顔を赤くさせる事を言ってきた。

「あっ、もしかして3年前のあの台詞も、照れ隠しだったのか?」

ワタシの紅潮は、最高点を越えた。他人に、しかもよりによってアイツに、自分の心を言い当てられた。ワタシは、自分の恥ずかしさどうすればよいか解らず、その場に固まり、俯いてしまった。しかしワタシの視線に、アイツの信じられない姿が現れた。その姿は、ワタシには、土下座に見えた。そしてアイツは、そのまま謝罪し始めた。

「3年前のあの時、失礼な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした。」

ワタシは、自分でも無知なオウム返しをしてしまった。

「申し訳、ありませんでした?」

アイツは土下座をしたまま、言葉を続けた。

「命の恩人に対して、いつまで意地を張るのはどうかと思って…だから、3年前の出来事の謝罪を、今ここでさせてもらう。」

この時ワタシは、同学年の身近にいた人間が、大人になっていた事に驚いた。そして、己の未熟さを心底恥じて、激しく動揺した。

この場から逃げ出したい。そして自分の部屋に隠れたい。何も無かった事にしたい。そんなワタシの気持ちは、いつしか表情や体に現れていた。顔色は瞬く間に青くなり、寒気が体中を駆け巡った。そしてワタシは、糸が切れた人形のようにその場に倒れ、気を失った。

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