場外戦4:すべての不和の母 前編

 飛翔力に優れるアネモスとポーラが墓地の南で見たのは、墓石を水没させる勢いで広がる「血の池」だった。

 血液のような赤黒いブヨブヨは貪欲にその勢力を広げ、所々に取り込まれたと思われる人骨や機械の破片が透けて見える。そして何よりも異様なのが、血の池の中心部から入道雲のように湧き上がった人の上半身。なにやらマッチョな体つきの男性を思わせるが、パーツはすべて赤一色で、目や口も凹凸があるからわかるようなもの。そして孔という孔からは、絶えず赤い粘液が流れ落ちる。


「うーわー…………きもちわるっ」

「こんなの、生命の冒涜だよっ!」


 ロボットが生理的嫌悪感を感じるのも妙な話であるが、それほどまでに悍ましいのも事実だ。


「こっちに気が付いたみたい!」

「いったん逃げよう!」


 血の池スライムが、2機に無数の赤黒い触手を伸ばす。

 アネモスは余裕の機動力でこれを躱し、ポーラは光線で触手を薙ぎ払った。だが今は戦っている場合ではない。2機はすぐに、味方が待つ場所に戻ってきた。



「そうか……そのようなものが迫っているとは」


 ギーが思わずため息をつく。


「十中八九、どこかの代理でしょうね。形状から察するに、❤陣営か、さもなくば♠陣営か」

「いずれにしろファラが巻き込まれて、俺たちも進めなくなる可能性が高いってわけか」


 よりにもよって、一番戦いたくないタイプと当たってしまったようだ。

 ファラが勝つか負けるかというよりも、周囲が巻き込まれる可能性が非常に高いので、場合によってはファラから離れざるを得なくなってしまう。かといって、今更ほかの代理に「代わりに戦ってくれ」とも言えない。


 その間にも、赤い津波は迫ってくる。下手に接触すれば、またガバガバなマッチングシステムが、勝手に戦闘開始を告げてしまうだろう。


「やるしかない」


 それでもファラは戦うことを決意した。

 考えていても始まらない……下手な行動をするよりは、正面から打ち砕く。そう言って一歩を踏み出そうとしたとき―――







「待ちなさい、ファラ。あれはビンイン・ジ・エンペラーの分離体、まともに戦うと時間が足りないわ」


 聞いたことがある声が、ファラを止める。

 声の方向を振り返ってみれば、3人の人影がこちらに歩いてきているのが見えた。


「よう、ファラ。やっと直接会えたな、うれしいぜ!」

「ただいまお姉ちゃん! 待たせてごめんね!」


「アルバレス、スミト、それに……女の子」


 別の場所で指示を出していたはずの二人と、昨日の夜に出て行って帰ってこなかった少女の姿がそこにあった。

 あまり感情を表情に出さないファラでも、かなり驚いた顔をしていた。


「おい、どこをほっつい歩いていやがった! 朝になっても戻ってこなかったじゃねーか! 裏切ってどこぞに密告しに行ったかと思ったんだぜ!」


 赤髪の少年も、少女が戻ってきたことに驚いているようだった。

 今まで何の音沙汰もなかったため、心配だったのだろう。


「ごめんね、ちょっとイレギュラーが発生しちゃった♪」

「…………仕方ない、許す」


 少女が首をかしげるようにして謝ると、少年は顔を真っ赤にして思わず許してしまった。


 一方で、突然現れた三人に、ネロが正体を尋ねてきた。


「あなた方は?」

「わたしと、この男は、ファラのオペレーターよ。あなたたち四大魔法騎士を壊さないようにって依頼したのも、私なの」

「改めてみるとデケェな……中に人が住めるんじゃねぇか?」

「オペレーター……? オペレーターの方々は、専用の部屋が用意されているのでは?」


 ネロの疑問はもっともだ。

 どこにいるかはオペレーターの自由とはいえ、わざわざ危険な戦場に来ることもなかっただろうに。


「そうね、ちょっといろいろやりすぎて、カンパニーのお怒りを買っちゃったみたいなの。今頃オペレータールームは跡形もなく破壊されているはずよ」

「オペレータールームの破壊!?」

「まあ、詳しい話はあとにさせてもらうわ。まずは目の前の脅威に対処しましょう」


 スミトの言葉からは、今回の社長戦争自体を揺るがしかねない衝撃の言葉が飛び出してきたが、こうしている間にも赤い津波はここに迫ってきてる。

 地平線には、すでに赤いスライムの上半身が見えているほどだ。


「と、いうわけで! ファラおねえちゃん、ここは私に任せてよ!」

「あなたに……?」


 少女は、髪留めに括り付けてあるベルを、ファラに見せつけてきた。

 なんと、彼女はいつの間にか代理に昇格したようだ。それも、マッチングが起きないところを見ると、J陣営に参戦したようだ。三日目なのに人員追加してよいのかどうかはさておき、この小さな少女に巨大な血の池の相手は、いささか荷が重いように感じた。


「大丈夫よファラ。この子は「その道」のプロだから、効率よく仕留めてくれるわ。この子があれを引き付けている間に、私たちはあれを飛び越えて、聖域の森にむかいましょう」


 ファラは若干悩んだが、今までスミトのアドバイスは外れたことがない。

まさに預言者の如き的中率だった。

 なので、ファラは渋々少女に血の池の相手を任せることにした。


「負けないで」

「うん! ファラおねえちゃんも、この先にはまだまだ敵がいるから、気を抜かないでね!」


 少女はファラに振り返りざまにウインクを飛ばし、槍を片手に駆けだしていった。





「ふふふ、フーダニットちゃんを脅し―――じゃなくて、説得した甲斐があったね!」



 さて、話はこの日の正午過ぎまでさかのぼる。

 J陣営の司令部は、J陣営専用のオペレータールームが攻撃を受けたことで大混乱に陥り、自陣営オペレーターたちからの問い合わせで忙殺されていた。


「部屋の被害は甚大、犠牲者が二名出ました!」

「ほかの部屋にも被害がないか、調査を行いなさい!」

「各オペレーターから安全保障への問い合わせが!」

「508号室から「こんなところにいられるか、私は故郷に戻って結婚する」と最終通告が!」

「意地でも引き留めなさい! ここ以外の場所の方が今は危険だと説明しなさい!」


 J陣営は比較的肝が据わっているオペレーターが多いにもかかわらず、この惨状である。中には本当に無断で帰ってしまったオペレーターもいたとか。


 そんなドタバタの状況の中、フーダニットの執務室にまたしても金髪少女が現れた。


「こんにちはー! フーダニットちゃんいますかー!」

「うわ、でた!?」


 よりにもよってこんな状況である。

 フーダニットは慌てて警備兵を構えさせるも、彼らは怖気づいてしまい、引き金も引けなかった。


「ま、まさか! テロはあなたの仕業!?」

「ちがうよー。今日はね、フーダニットちゃんにお願いがあってきたの」

「お願い!? あなたがどの面下げて!?」


 昨日暗殺しようとしてきた人間がお願いとは、この女の子の面の皮は装甲版でできているようだ。

 しかしフーダニットは、この女の子にいまさら何を言っても無駄だと悟ったのか、怒鳴りたい気持ちを抑えてふーっと溜息を吐いた。


「で、なによそのお願いって?」

「テロの犯人捕まえてあげるから、ベルちょーだい!」

「ま……待って待って! なんであなたにベルあげなきゃいけないの!?」

「まだたくさん余ってるんでしょ? 途中参加したいって人が少なくて悲しいよね! だから私が代わりに戦ってあげるよ! なんならついでに10人くらい倒してあげるけど」


 訳が分からない――――――フーダニットは混乱するばかりだった。

 昨日暗殺しようとしてきたと思ったら、今日は自分のために戦いたいと言ってきている。節操がないとかそういうレベルではない…………もっと恐ろしい何かを感じた。


「…………断ったら?」

「勝手に持ってく」

「この……こいつ…………」


 圧倒的な実力差があると分かってなかったら、思わずぶん殴っていたところだ。

 いっそのこと、お気に入りの黒騎士シュバルツリッターを呼んで始末してもらおうかとも思いかけたが、そんなことしても自分の首を絞めるだけ。


「仕方ないわね。受け取りなさい」


 フーダニットはもういろいろと開き直り、あえてソファーから腰を上げて、自らの手で少女にベルを手渡した。側近たちや警備兵たちは慌てて止めようとするが、少女は意外にも、素直にこれを受け取った。


「ありがとう! 私、がんばるね!」

「あそこまで言ったからには…………中途半端は許さないわ。犯人をとっちめて、どの陣営がやったかを白状させてきなさい! あと、受付で登録を忘れないように!」

「はーい!」





 こうして、非常に強引な手段で代理登録を行った少女。跳ねるように走ってきた彼女の前に広がるのは、一面の血の池……そして、少女を見下ろす赤黒い巨人。

 得体のしれない生き物は、アナウンスを待つ間もなく、躊躇なく無数の触手を伸ばし、血の池に引きずり込まんとした。


「こらこら、始まりの合図まで待とうよ。リメンバー・パールハーバーしちゃうよ」


 そう言いながらも軽く触手を薙ぎ払った彼女は、数メートル後ろに下がって、持っている槍を投擲した。



《両者、合意しますか》


「いっけぇ! スカーーーーーミッシャーーーっ!」


 ようやくマッチングのアナウンスが流れるも、槍はすでに少女の手を離れ、空中を飛んだ。

 殆ど飾り気のない2メートルの槍は、少女の手から離れてすぐに穂先が分かれ、そこから凄まじい勢いで分身し、あっという間に100本以上の槍の大群と化した。


 ただし、これだけあっても血の池巨人から見れば、爪楊枝の雨が降ってくる程度にしか見えなかったが、巨人はすぐにこの爪楊枝の雨がヤバイものだと気が付き、身構えた。


 DOKOKOKOKOKOKOKOKOKOKO!!!!



 空中で分散した100本以上の槍が急激に速度を上げて各所に突き刺さる。

 表面を固めたにもかかわらず、槍はものともせず粘液体の奥深くまで沈み、刺さった部分を消し飛ばし、甚大な被害を与えた。


 しかし、あと1mm足りなかった。

 赤黒の巨人のちょうど額の奥にある場所……深々と刺さった一本の槍のほんの先端が、指の骨のようなものに接触していた。

 幸い、その部分は全力で固めていたため、コツンと触れただけで事なきを得たが、コンマ1秒でも対策が遅れていたら―――――


「…………踏み込みが甘かった」


 少女もまた失敗したことを悟り、首筋に冷や汗をかいた。



《『帝王の左小指』ドュイ代理 及び 『小さな用兵家』エル代理、戦闘合意が交わされました。交戦を開始します》



 この先少女を待ち受けるのは、泥沼の戦場か。それとも……

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