第3話

 約束の土曜日。これまでと変わらず互いの自宅中間の交差点で待ち合わせてから駅まで歩いた。

 上海から帰国した翌週末、今日この後タイトルマッチに臨むジムの日本ランカーが、同じく今日の試合の相手でもあるチャンピオンとノンタイトル戦が組まれていた。帰国後の彼女との久々のデートは後楽園ホールでのムエタイ観戦だった。チャンピオンを相手にジャブから左ミドルへの綺麗なコンビネーションを序盤から何発も決めるも、断然不利と評された下馬評通り1ラウンド終盤でガードの上から容赦なく叩き込まれる左右の剛腕フックにグラついた隙に右ストレートで顎を押されるようにダウンを喫した。やはりチャンピオンの方が上手かと手に汗握る中インターバルに入るも、無情にも2ラウンド開始のゴングが鳴る。ダウンを奪っているチャンピオンは余裕を見せるかのように軽やかにステップを刻む。1ラウンドのダメージがどれほどあるのか表情から読み取ろうとするが、意外にダメージを感じさせない様子で相手の攻撃にも落ち着いて対応出来ているようだ。だがガードの上からのワンツーもさながら、そこから更にコンビネーションから繰り出すチャンピオンのローキックは重く、いくら脛でカットしようとも重心を揺らされるさまからダメージの蓄積は避けられそうもない。2ラウンド開始から1分が経過した頃、こちらのワンツーが浅めに2発相手の顔面を捉え、チャンピオンがグローブに付着する鼻から流血の程度を気にする様子が窺える。平静を装うように腕をダラリと下げ、ノーガードのまま後ろへ下がって時間を使う。目だけでパンチを見切るように、すんでのタイミングで顔の角度を変えて顎への攻撃を避けながら距離を取る。そうしながらも依然流血の度合いが気になるようだ。更に後ろへ下がり始めたチャンピオンをコーナーへ追い込み、脇腹を狙った左ミドルが、体を返されて去なされながらも膝辺りがボディ脇を掠めたと思った次の瞬間、相手が青コーナーとマットの隙間にハマるかのようにガクンと体より先に顔面から沈んだ。脇腹を掠めた左ミドルを蹴り終えてマットを捉えた左足を軸に、スイッチするかのように瞬時に繰り出された右のハイキックが相手の後頭部を捉えていたのだ。場内には怒号のような歓声が湧く。体の中のものを全て吐き出しそうな面持ちで辛うじて立ち上がったチャンピオンから更に2度のダウンを奪い、下馬評を覆す大逆転の劇的なKO勝ちを納めたジムの日本ランカーに期待が集まらないはずがない。それから4ヶ月が経ち、この日のメインイベントは、ダウンを量産する豪腕振りからハズレ試合無しと定評のチャンピオンにインパクト大なKO勝ちを納めたことが認められて組まれた念願のタイトルマッチとなった。前の試合を横で並んで観戦していた彼女も、「こんな綺麗なハイキックでダウンを奪うなんてカッコいい!」とはしゃぎ、帰りに食事を取る最中も「次の試合も絶対一緒に観に行く!」と興奮が止まない様子だった。


「彼女楽しみにしてたんじゃないの?良いの?私が行っちゃって」

「マジそれもちょっと聞いて欲しいんだけどさ」

 僕が更に続ける。

 週末のタイトルマッチを楽しみにそれまでを過ごしていた僕にある日、仕事を終えた彼女が言う。

「土曜日シフト変わりそう…。出勤になりそうやわ」

「マジか。後楽園どうする?終わるの何時?」

「19時前かなぁ…」

「どうせタイトルマッチだしメインだから20時半くらいに入れれば間に合うから来いよ」

「そうやなぁ…」

「新宿から後楽園とか直ぐじゃん」

「あぁ…。やっぱええわ…」

 新宿の百貨店で美容部員をしている彼女は同僚の家庭の都合でシフト変更の煽りを受けて休日の予定が急遽出勤に変わったと言う。KO勝ちを目の前に「次も一緒に観に行く!」と意気込んでいた彼女はその時の興奮などまるで前世のコトとでもいい出しそうなくらいにトーンダウンしており、嫌そうな顔をしながら僕の提案を却下した。「共通の新しい楽しみが出来た!」と内心喜んでいた僕の気持ちを返せと言いたかったが、分かりやすい変わり様にげんなりしながら結局何も言わずアオイに声を掛けていた。


 それを聞いたアオイがクスクスと笑いながら返す。

「ってかさ、彼女にそうやってガッカリする的な話よく聞かせてくれるじゃん?傍から見れば全部悪気無いの分かるから可愛いなって思っちゃうんだけど(笑)」

「ウチの母親もそう言ってる」

「良いじゃん(笑)」

「良くねー。ってかトイレットペーパーの話したっけ?」

「聞いた(笑)」

「天然なのと無神経なのって紙一重だよ、本当に」

 僕が現職に転職して横浜と大阪での遠距離恋愛を始めて間もない頃、金曜日の仕事を終えて品川駅から高速バスで遥々大阪まで会いに行った僕は、JRを乗り継ぎ最寄り駅前のコンビニから彼女にもうすぐ着くとの電話を入れた。

「今コンビニだけど何かいる?」

「…うーん、トイレットペーパー!」

 思っていた返答と何か違うと覚えながら、ただでさえ通勤時の鞄に着替えと大荷物なのに加えトイレットペーパーで両手を塞ぎながらの、遠距離生活を開始して初めての再会だった。いくら彼女とはいえ、トイレットペーパーなんて生活雑貨だろう、そんな普段から生活に必要なものは自分で調達しておけ、もっとこう飲み物だとか甘いものとかあるではないか。あたかも遠距離を乗り越えての同棲のように意気込んだ僕たちであったが、このようなやり取りの節々で微かなすれ違いを重ねていた。もしかしたら少し離れているくらいの距離感がちょうど良かったのかも知れない。


 後楽園に着くと控え室の選手やジムの会長、リングサイドの理事に挨拶をし、南側の端のシートにアオイと腰を下ろした。各試合の対戦者同士のこれまでの戦歴やここに至るまでの経緯を解説しながらアオイと観戦を楽しんだ。アオイも知らない競技でありながら「色々と教えてくれるから観ていて楽しい!」と、派手なダウンシーンにも慣れて来たのか眼をキラキラと輝かせている。この団体は選手がいくらグラついていようとレフェリーがなかなか試合を止めないので、ダウンの応酬の様な攻防や名シーンが興行毎に数試合は生み出される。ローブローが入って悶絶する選手をポカーンと眺めるアオイの表情には僕も何とも言えない興奮を覚えた。タクヤとも羽目を外す訳だしそろそろ僕のローブローの入ることもない下腹部も気にしてくれないだろうか。


 この日メインイベントとなったタイトルマッチだが、前回のド派手なダウンを警戒してか、慎重に試合に入ったチャンピオンと、対して失うものが無い挑戦者は序盤からガードの上から構わず左右のミドルを蹴り込ぬといった恰好で試合が立ち上がった。何度かに一度はチャンピオンが腰を捻って蹴り込まれた脚を脇下に掴んではロープ際へと押し込み、剛腕を顔面にブチ込もうとするリング上での動きの多い試合展開が繰り広げられたが、左右の腕を叩くミドルキックは着実にポイントを重ねていた。結果、5ラウンドのフルラウンドの末、挑戦者が3-0の判定で王座奪取を遂げ、僕もこの時だけはとアオイに構わず、ジムの皆でリングに上がり拳を頭上に上げて記念写真に加わった。


 まるで感動の止まぬ劇場と化して余韻を残した後楽園ホールを後にした僕たちは、アオイの「紅虎近いなら久しぶりに鉄鍋餃子が食べたい」とのリクエストに沿って、東京ドームシティのラクーアで乾杯しながら夕食を済ませた。私鉄で自宅の最寄り駅に帰り着くと小雨がパラついていた。互いに餃子をたらふく食べた後にも関わらず、恋人同士の様にピタリとくっついて駅前の公園を自宅へ向かって歩いた。傘が必要というほどではないが、せめてそのように寄り添いながら寒さを凌ぐのが自然のような雰囲気が成り立っていた。互いに特に言葉は交わさない。手を繋いで歩いていると、いつの間にかタイトル戦の興奮がアオイへの性的なモノへと変化していることに気付いた僕は、独り善がりかと思いはしながらも公園の脇の死角にアオイの手を引いて招き、唇を唇で覆った。無言で応じるアオイをその場に腰を下ろさせ、ギンギンに反り勃アレを顔の前へ突き出すと、アオイがおもむろにソレを口に含んだ。暫くの間アオイの舌からの愛撫を堪能していたが、満腹の状態で小雨がパラつく中、このまま最後までコトに及ぶ気までは僕も無かったのだが、アオイの「今度ゆっくり最後までしよ?」という言葉で服を着直し、自宅付近のいつもの交差点でアオイと別れた。


 それから2週間経った金曜日の夜。帰宅途中のアオイと落ち合い、コンビニで買った暖かい飲み物を両手で包む様に持ちながら、近所のファミレスの駐車場で車の後部座席で2人並んで座っていた。明るい店内で喋っているような気持ちの余裕は無い。週始めに勃発した痴話ゲンカの末、彼女は2日前に運び出せるだけの荷物を段ボールへ詰め込み家を飛び出していた。たまたま早く帰宅した月曜日、入浴中だった彼女が画面が見える状態のまま放置していた携帯電話が語る真実が全ての発端だった。その数日前、大阪からよく名前の上がる馴染みの女友達が仕事でやって来るというのを聞かされていた。同じ宿を取り、久々に夜通し遊ぶのだと聞かされていたその相手は見知らぬ男性だった。自分のやっているコトを棚に上げながら問い質すと彼女は非を認め、もういい加減このまま一緒に暮らすのは終わりにしようと互いに「ごめんね、ありがとう」を言い合い納得して話は終えたつもりだった。

 やはり中途半端に同棲なんかしてしまうと幸せにそのまま結婚するか、グチャグチャに拗らせて別れるかのいずれかだと踏んでいたはものの、まさか自分達が後者の行く末を辿るコトになるとはと、無自覚愚かな自分自身への虚しさと彼女への申し訳なさがこの期におよびこみ上げて来る。同棲前に互いの親に顔を見せようとそれぞれ食事の場を設けた2人は真剣そのものだった。その時の2人はこんな結末を迎えるつもりだっただろうか。チャラチャラと外で女性と遊んでいようとどこかでケジメをつける想いで踏み切った同棲だったが、身勝手で愚かだった。順序もそうだがやっていることも考え方も色々とオカシイ。やはり歪んだ感覚はその他のモノゴトの正しい在り方をもグニャリと歪ませていたようだ。客観的に見れば当然の結果だったのかも知れない。出て行く前日の彼女の僕に食い下がる時の必死の剣幕が全てを物語っていた。この子がこんな顔を僕に見せるのか、この大人しい子がこんなに激しく怒るのかと僕の思考は止まり、遠距離の期間を含めると5年にも及ぶ交際はそうして幕を閉じた。


 アオイは遠い目で数日前のコトを振り返る僕の話を真剣な眼差しを向けながらただただ頷きながら聞いていたが、軽快に口を開き言葉を投げかけて来た。

「仕事や恋愛が辛かったりさ、やっぱ生きてると色々あるじゃない?」

「…?」

「そういう時はさ、好きな映画や小説で思いっきり笑ったり泣いたり感動したり…。後は思いっきりSEX したりしてスッキリしちゃえば良いんだよ」

「…はぁ?(笑)」

「今日やっと笑った」

「…。じゃぁヤラせてよ」

「良いよ」

 自慢の車の革張りの後部座席は全裸になるとひんやりと冷たい。外気との気温差で窓ガラスを曇らせながら激しくアオイと求め合うものの、普段はどうにでも言うことを聞く僕の体も、やはりどこか心ここに在らずの状況であったのは致し方なかったと言えるのだろうか。厚意に甘えながらもアオイの中ではイキ切れず、咥えてもらった状態で自分で根元をシゴいて思い切りアオイの口の中にブチ撒け、アオイはそれを当然のように喉の奥へとながしこんだ。


 春の週末のある日。気が向いたように昼過ぎにアオイからコールが入る。

「あのさー、もうお昼ご飯食べちゃってる?」

「遅めの朝飯をさっき起きて済ませたところだけど?」

「今日ウチ旦那さん仕事だからランチでもどうかと思ったんだけどまぁいいや。自分の食べるモノ何か買って行くから城西くん家で食べても良い?あ、ってか今日予定ある?」

「夕方ジム行くくらいかな」

「ナイス。だと思ったよ(笑)」

「どうせいつも暇だよ」

「直ぐ行くね、もう家出る寸出だったの」

「それランチ行けたとしても超待たせてたと思うなぁ」

「じゃぁ着替えるの見てるよ(笑)」

「分かったからとりあえずおいでよ」


 アオイは特に何か話したいコトがあるでもなく、ただただ暇を持て余している風だった。パンを嚙りながら最近旦那さん以外の相手に外で抱かれた話を延々とトキメキを覚えた様に語っている。旦那さんとは結婚する前から何年もレスらしいという事実は最近聞かされた。「じゃぁ何で結婚したんだろう?」という愚問は敢えて控えた。食事終えて暫くするとアオイが僕の目の前に顔を覗き込む様に立って言う。「したいの?」そう言いながら僕の顎を指先で摘み唇で唇を覆う。

「じゃぁヤリたい(笑)」

「何それ『じゃぁ』って。じゃぁ早くあっちの部屋へ行こ」


 春の心地よい風が、4分の1程開いた窓の隙間から流れる様に部屋へ入って来るので、産まれた時の姿で交わりながら、風にも撫でられる肌に心地良さをも覚えた。どう考えてもヤリたくてココへ来たと言わんばかりのアオイは、両腕を頭上で塞いで形の良い乳房を凝視すると「ちょっとそんなマジマジと見ないでよ!(怒)」と急に怒り出したりもするのだが、アレを挿れてしまえばしおらしく喘いだ。絶頂を迎える際、ワザとらしく開いた窓の隙間からあえて外へ向けて「ちょっと、そこ凄い!もっと突いて、イッちゃう!」そう叫んだ後、意地悪げに僕と目を合わせて言う。「当てつけ…(笑)」旦那が仕事を早く切り上げて通りを歩いていたりしたらどうするのだろうと突っ込みたくなったが、どうせアオイのことだ。「もうずっと旦那さんとしていないし、私の喘ぎ声なんて忘れてるよ。ってかたまたま外歩いてて自分の奥さんの喘ぎ声が聞こえたとして本当に自分の奥さんの声だと思う?思わないでしょ(笑)」と返されるに違いない。

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人妻A 城西腐 @josephhvision

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