埋もれる小人

@eastsoul

埋もれる小人

 最後に人の肌に触れたのは、どのくらい前だろうか。冬の夜、そんなことを考えながら住宅街を走った。冷えた土の上に、体長10センチである私にとっては、巨大な雪の結晶が目の前に落ちる。柔らかく小さな粉雪ならまだいいが、これはおそらく牡丹雪だ。吹雪になってはひとたまりもないので、民家の屋根の下に避難する。重たい荷物を下ろして、一息ついた。しかし、時間を食うわけにはいかない。一刻も早く故郷へ帰りたいのだ。故郷はすぐそこだった。

 冬は、私たち小人にとって、天敵よりも最大の脅威だった。毎年、小人の仲間の多くが、冬に死ぬ。ある者は、凍った水たまりの上で足を滑らせて死に、またある者は、硬い雪の上で足を滑らせて死んだ。冬は、地下で過ごし、夏に蓄えた食糧で乗り切るのが、小人の鉄則である。

 しかし一年前、大人たちは人間から物資を奪おうと、冬の街へ出て行った。子供たちと当時十三歳だった私は、必死になって止めた。

「平気さ。天敵の虫たちだって、冬は冬眠しているんだから」

 一族のリーダーは、屈託のない笑顔でそう言った。しかし、待てども待てども、大人たちは帰ってこない。私を含む子供たちは、ずっと帰りを待っていた。そうしているうちに、アリの大群が地下に潜りこんだ。戦う術を持っていない私たちは、四方八方に散った。

 逃げて逃げて、逃げた。気づけば周りに、仲間もアリたちの追手もいなかった。そして、疲れ果てて泣いてしまった。三月の上旬、寒さで冷えた土の上で。

 それからの1年間は、泥をもがくような生活だった。日中は人や動物に見つからないように身を潜め、夜中に食料を求めて街を彷徨う。苦しい生活に耐えられたのは、仲間が生きているという希望があったからだ。私はそれを、盲目的に信じることで、精神を保っていた。

 そして、また冬がやってきた。私は古い記憶をたよりに、故郷へ戻った。きっと、誰かが戻っているという淡い期待を抱いて。

 懐かしい記憶から現実に戻ると、月明かりが視界を照らしている。雪がパラパラと散らばった道路の上を走った。

 そして、地下があるはずの小さな公園につく。高鳴る胸を抑えて、ベンチの下に入った。これで、一人の時間は終わる。そのはずだったが、期待は破られた。

 地下があった場所には、雑草がぼうぼうと生い茂っているだけで、仲間がいる様子はない。そんなはずはないと、辺りを見回してみるものの、故郷があった場所に間違いはなかった。

「ああ、そうか……」

 白い息を吐きながら、冷たい地面の上に膝をつく。何処かで予測していた事実を痛感した。私は運が良かっただけだ。小人が一人で一年間生き延びるなど、普通はありえない話だ。もし仲間が生きていたとして、偶然に巡り会えるなんて確率は、奇跡に近いだろう。小一時間ほど、意味もなく立ち尽くした。あまりの虚しさに、涙は出てこなかった。

 しばらくして、無心のままに、ベンチの下から出た。頬に冷たい何かが当たり、夜空を見上げると、粉雪が散っていた。思わず、身震いする。一年間、地下を出るときに付けていた一本の毛糸のマフラーは、もうボロボロだ。人間の民家から盗んだ人形用の服も、ほつれ始めている。

 街灯に照らされた光の上に、差し掛かった瞬間。

 ガサリ。

 真横の草むらで、物音がした。

 唐突すぎて声も出なかったが、反射的に体は動き、身構えた。動悸が激しくなる。野良猫だったらおそらく勝てないだろう。いや、勝つ必要は無いのだ。自分と同じ種族がいない限り、生きる意味はない。それでも、突然の命の危機となると、人は自然と臆してしまうものだ。冷たい手が震える。

 しかし、暗闇の中から見えてきた影の大きさは、自分と同じ程度だった。それは、フラフラと歩み寄って来て、街灯と言うスポットライトに照らされた。

「ハル?」

 幼馴染は私の名を呼んだ。私と同じすすけた一本のマフラーを巻いていて、服はボロボロにほつれている。

「ツバキ」

 私も名前を呼ぶと、一歩同時に歩み寄った。そして、お互いに駆け寄り無言のままに抱き合った。まるで、舞台の上にでも立っているかのようだった。

 しばらく、実感の湧かないまま呆然としていたが、ツバキが声を上げて泣き出した途端、急に何かがこみ上げてきた。人に触れているという実感が湧いてくる。冷えた体に、確かな体温が伝わってくる。人の体とは、こんなに暖かなものだったろうか。

 しばらくして、体を離したが、自然と手は離れずつないだままだった。

 月明かりに照らされたツバキの泣きはらした顔を見ながら、私は夢でも見ているかのようだと思った。しかし、冬の寒さが現実であることを証明している。

 私たちは、ベンチを屋根代わりに一晩を明かすことにした。荷物からシートを取り出し、寝袋に入る。私は仲間に出会えた興奮を抑えて、冷静になることに努めた。仲間に会えても、安全が確保されるわけではない。気を緩めるわけにはいかないのだ。

 私はどうしても気になっていたことを質問した。

「他に仲間は?」

「私一人」

 ツバキも冷静になっているのか、淡々と答えた。ベンチの板の細い隙間から、粉雪が一粒、ふわりと舞い降りた。

「雪だね」

 ツバキがぼんやりそう言って、私も同じ声のトーンで返した。

「雪だ」

 しばらくすると、眠気が襲い、そのまま大人しく意識を手放した。

 

 その夜、夢を見た。仲間たちと、地下で暮らしているときの夢だった。仲間の一人が叫んだ。「地下の出入り口が雪で塞がれた!」そして、その雪は地下を埋めていく。仲間が雪で溺れる。私も溺れる。もがけばもがくほど溺れていく……。


 悪夢にうなされ、ひどい頭痛と吐き気と共に目が覚めた。昨日、故郷に早く帰ろうと、ほとんど休まずに移動したせいだろう。

 悪いとは思いつつも、ツバキをゆすって起こした。

 ツバキは、うっすらと目を開けた。寝ぼけ気味だが、私が苦しそうにしているのを見ると、飛び起きて言った。

「ハル、どうしたの?顔が真っ赤だよ」

「熱があるみたい。頭が痛いの……」

 ツバキの冷たい手のひらが、私の額に押し付けられた。

「ちょっと待ってて。水と食料を探してくる。」

 ツバキはチャックのついたポリ袋を2枚ほど持って、ベンチの下を出て、1センチほど積もった雪の上を駆けて行った。私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 二時間たっても、ツバキは戻って来なかった。不安が心を満たす。すでに、雪は5センチ程度まで降り積もっていて、公園には時々人間が出入りしていた。もし、人間に見つかっていたら。そんな悪い予感が頭を過ぎる。そして、私の体力も限界に近付いていた。

 しばらくして、人間の子供が二人、公園に入ってきた。7、8歳くらいの少年と少女だ。

「雪だー!」

 二人は興奮しながら、雪に足跡を付けていた。ベンチに隠れているので、私には気づかない。

 そこで、最悪のタイミングでツバキが帰ってきた。水と赤い木の実が入った袋を抱え、私の元へ走ってくる。私は、子供たちがツバキに気づかないかハラハラした。ツバキは、人間が付けた足跡の上を、器用につたっている。

 公園の中心にある大木の下に、ツバキが差し掛かった。その瞬間、心臓が跳ねる。

 木の枝には、大量の雪が降り積もっていたのだ。今にも落ちそうなほどに。

 ツバキと駆け回っていた少年が、その枝の下に来た。私は踏みつぶされるんじゃないかと、鉛のような足を叱咤して、ベンチの下から飛び出した。体の半分が雪につかる。じわり、全身に不快感が襲うが、必死に体を押し進めた。

 ツバキが頭上の雪に気が付いて、上を見上げた瞬間。

 トサッ。

 降り積もった雪のほんの一部がツバキに落ちた。少年には落ちていない。しかし、ほんの一部と言っても、小人の全身を覆うほどはあった。枝には、まだ大量の雪が残っていて、今にも折れそうなほどに下を向いている。

 私は、雪をもがいた。

 まだだ。まだ間にあう。まだ生きている。動悸と息切れが体を熱くしていった。もう嫌だ。一人はもう嫌だ。わずか一秒の間であったが、沸騰しそうな頭の中では、激しい感情が渦を巻いていた。しかし、そんな私の願いは儚く散った。

 ドサッ。

 「うわあっ」

 枝から落ちた雪崩のような雪が、ツバキと少年の頭上に落ちた。

「冷たーい!」

 そう言いながら、少年が頭に降りかかった雪を、いとも簡単に払いのけた。

「あはは!なにやってるのー」

 それを見た少女は、雪の上で笑い転げた。

 少年はツバキが埋もれている雪山を蹴飛ばしながら、少女と走り回った。

 私は腰が抜けたまま、雪の中で立ち尽くすほかなかった。

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