最後に丸を

@pomta

最後に丸を



「僕は文章の最後に丸を付けない。」




 頑なに句点を付けたがらない先輩がいた。




「どうしてですか?」




 私が聞くと、




「そうしたら全てが終わってしまう気がする。」




 だそうだ。





 小説家を目指す者とは思えないポリシーを抱いた先輩。

 高校に入り、初めて話しかけてくれたのがこの先輩なのだが、一年も一緒にいるのに理解ができない時がある。





 そもそも出会った時から少し変わっていた。







 クラスに馴染めず、席で本を読む日が続いた私は、この学校にも図書室があることに気づいた。

 階段を上り、廊下を左に進むと一番奥に図書室はあった。



 中には四人しかおらず、恋人といちゃつく者、携帯をいじる者、絵を描く者と、そこには似付かわしくない輩が揃っていた。



「しかし、本を読むにはちょうどいい人数だな。」



 ドラマに出てくるような小粋なセリフが頭に浮かび、少しにやけ気味に席に座る。

 一番奥の窓際、実に良い席に座れた。

 半分だけ開かれた窓から、運動場に沸く声とともにそよそよと心地の良い風が吹き抜ける。

 さて、と栞を挟んであったページをめくると、目に飛び込んだのは主人公のセリフ。



「お前を守るのは、俺だけで充分だ。」



 恋愛ファンタジーものとしてもこのセリフはくさいだろう、とケチを付けそうになるが、さっき浮かべた自分のセリフも相当なものだったな……。



 にやける顔を本で覆い隠した。




「そこまで君は本が好きなのか。」



 からかうような軽いトーンで誰かに話しかけられた。

 にやけていた顔が一瞬で強張る。

 初めて聞く声。

 もしかしてクラスの奴か?

 それにしては大人びている。

 なら教師か?

 意を決して顔を上げると、





「やあ。」





 誰だ。

 さっきまでここにはいなかった男。

 制服を着ている事から生徒ということは分かった。

 もしかしてナンパか?

 学校で?



 散らかり尽くした脳内を無視してやっと声が出せた。





「誰ですか?」




 やはりこれしかなかった。

 これしか出せなかった。



「初めまして、僕は二年の日田共晴ひだともはる、君は一年生?」

「はい。何か用でしょうか。」

「本に顔を押し付けながら読む人は初めて見たものでね、少し気になって。」


 読んでいたわけではなかったがそう見えたのも仕方がないだろう。


「君は大の本好きとみた。良かったら僕の書いた物も読んではみないか?」


 なぜこの人は初対面の私にこうも話しかけ続けるのだろう。

パリピとかいうやつなのか?

 いや、パリピは図書室には来ないはずだ。

 そういう生き物だ。



 断る理由も無いので

「はい。」

 と軽く返事をして原稿を受け取った。

 編集者の気分だ。



 タイトルは書かれていなかったがどうやら恋愛ものらしい。





 ふむふむ……。





 ほう……。





 うーん。





「おもろいやんけ。」





 私という人格が発するはずのない酷く下品な言葉。

 それが自分の口から出た言葉と気付くのに少しの時間も要さなかった。

 人間は自らの想像を凌駕する存在に出会うと自分というものを見失ってしまうらしい。



 ……さっきとは比べ物にならないほど恥ずかしい。

 本の感想など考えられなくなっていた。



 声にならない笑い声が聞こえる。



「ますます君が気になった。これからも僕の小説を読んでくれ。」

 笑い死にそうになりながらも絞り出すように頼まれた。

 最期の言葉がそれになってしまうほどに。


 その場から逃げたかったのもあり、二つ返事で

「はい……。」

 そう答えた。


 かくして私は、図書室から教室へ、慌ただしく帰っていった。






 これが先輩とのファーストコンタクトだ。

 思い返せば変わっていたのはお互い様かもしれない。






 ん?






 そういえばあの時読んだ小説には句点が付いていたような……。

 記憶を辿っていると先輩に呼ばれた。


「ほら、出来たよ。」


 新しい作品が完成したらしい。

 今回は青春もので、主人公とその友人達が自作の船でまだ見ぬ無人島を目指す物語のようだ。


「ありがとうございます。」


 いつからか、読まされていることにありがたみを感じていた。









 今回も素晴らしい出来だ。

 登場人物の設定、話の内容、言葉選び。

 どれを取ってもプロ顔負けだと私は思う。

 句点さえ付けることができたなら本として出版することも可能なはずだ。



 先輩は私以外にも自分の小説を読ませているようだが、

「ありがちだ。」

「センスがない。」

 などと低い評価を受けているらしい。


 やはり普段から小説を読んでいる私にしか先輩の書く物語の良さは解らないらしい。

 かわいそうに。



「今回の物語もとても面白かったです。次も楽しみに待っていますね。」

 正直な感想だ。


「句点は付いていないのにかい?」

「関係ないですよ。」

 出来ることなら今すぐにでも書き足して欲しいが、言ったところで徒労に終わるだろう。


「残念ながらしばらくは書けそうにないんだ。今年は……ね?」

 理由は分かっている。

 先輩は今年、大学受験を控えているからだ。

 少しの時間でも執筆活動に充てたいと一番近くの大学を受けるらしい。

 そこは県内でも五本の指に入るほど偏差値の高い大学。

 今の学力では難しいらしい。

 あの先輩がペンを原稿用紙以外に向ける姿を一生見ることは無いと思っていた。



 ちなみに、先輩がそこを目指すと決めた時、私の大学も決まったも同然だった。



 先輩の書く物語を見ていたい。

 先輩のペンが動くのを見ていたい。


すでに私は先輩の虜になっていたらしい。








 そして、先輩が図書室に現れたのはその日が最後だった。











 先輩が最後にペンを持ったのもその日だった。











 三ヶ月前。

 先輩に最後に会った次の日も私は図書室に通った。

 先輩がいないことは分かっている。

 次の日も。

 次の週も。

 次の月も。

 今まで毎日会っていたのにパッと消えてしまった。



 先輩が入院していることを他の三年生から聞かされた。

 毎日先輩と会っていたのに知らなかったのか、と。


 先輩のいる病院を教えてもらい、昼休みにも関わらず学校を抜け出した。



 バスで向かう三十分は一瞬にも永遠にも感じた。




 病院に着く。

 病室を聞く。

 院内を走る。







 私は、初めて人のために涙を流していた。











 重い病気を抱えた人とは思えないほど少ない管の数。


 先輩は私を見て一言、


「久しぶり。」

 と、呑気に涙を流していた。


「何してるんですか、帰りますよ。」


 そう言いたかった。


 唇が震えて何も言えなかった。



「僕は尊厳死を選んだよ。」



 急に何を言い出すんだこの人は。

 まだ何の病気かも聞けずにいたのに。

 先輩の顔は今にも崩れ落ちてしまいそうなほど痩けていた。



 まだ整理もなにも出来ていないまま、

「また明日も来ます。」



 何故この言葉を選んでしまったのかは分からない。

 変わりきった先輩の姿を見ている事が耐えられなくなったのか。

 それとも気付く事の出来なかった自分に苛立っての選択か。

 どちらにしても冷静な判断ではなかった。




 先輩と話して五分も経たないまま病室を後にした。

背中に伝わる視線から逃げるようにして。





 家に帰ると時計はまだ二時を指していた。



 ソファに倒れこむ。




 先輩は死なない。

 死ぬはずがない。

 無意識に考えてしまっていた。





 また涙が溢れてきた。







 気が付くと外は暗くなっていた。

 どうやら寝てしまっていたらしい。

 時計は九時を指していた。


 何も考えずに先輩にメールを送った。


『体調はどうですか。』


 返信はすぐにきた。


『大丈夫だよ』



 相変わらず句点がない。



『なんで教えてくれなかったんですか。』

『わからない、君に見られたくなかったのかもしれない。』

『こっちは必死に勉強してると思っていたんですよ。それがなんですか、入院なんて。』







 ……。




 …………。




 返信が来ない。



 もしかして怒らせたか?

 電波の問題か?

 今メールを打っている途中なのか?







 先輩に何かあったのか?







 携帯が震える。







『ごめんね』




 返信を待っていた時間はたったの五分だった。

 それだけなのに泣きそうに、叫びそうに、狂いそうになる。




『謝らないでください。おやすみなさい。』



 突き放すようにしてしまう自分に腹が立つ。

 明日も病院に行って、そしたら先輩に謝ろう。

 私はまた眠りに付いた。






 次の日の朝。

 私は学校を休み、先輩のいる病院へと向かった。



 病室のドアを開けると先輩は驚いていた。

「学校は?」

「休んだに決まってるじゃないですか。それどころじゃありませんよ。」

 昨日よりも冷静に話せている。

 この調子だ。



「病気については聞かないのかい?」

 先輩から切り出すとは予想外だった。

「聞いても分からないじゃないですか。」

「それもそうだね。」



 他愛のない会話すら続かない。



「僕はね。」

 先輩が話し出す。


「僕は、最初から丸を付けなかった訳ではないんだよ。」


 何を言い出すかと思ったらその話か。


「ただいつからか、終わらせたくなくなったんだ。」

「何をですか?」

「恋。」

「は?」








「僕は最初から君が好きだったんだ。」








 唐突な告白に脳が停止しそうだった。






「最初に君を見た時、自分の意思ではない、本能のようなものに動かされて話しかけたんだ。」

「君の顔すら見えなかったのに。なんでだろうね?」



知るはずもない。



「ははは、分かるはずないよね。」



「僕が丸を付けなくなったのは君に会ってからなんだ。形あるものはいずれも終わりが来る。それをどうしても認めたくなかった。」

 

理由としては少々理解に苦しむが、先輩の中では線のように繋がっているのだろう。



「話していたら少し疲れてしまった。悪いけど寝させてもらってもいいかい?」



 少しは私の話も聞いて欲しかったが相手は病人、無理をさせてはいけない。


「はい。私の事は気にせずどうぞ。」


「そうかい、すまないね。」


 ベッドに仰向けに寝転び、目を閉じる先輩。


「そうだ。」


 思い出したかのように上半身だけが起き上がる。


「これからも僕の書いた小説達を読んであげてくれ。」


 急に何を言い出すんだこの人は。


「何度だって読み返しますよ。」


「それはありがたい。」


 満足そうにまた寝転ぶ先輩。










 先輩が寝たことを確認した私は、


「私も最初から好きでしたよ。」


 耳元でそっと囁いた。











 先輩が起きたら何を話そう。


 私と初めて会った時の事は覚えているだろうか?


 それをまず聞いてみよう。


 それから……。
















 私の話を聞くことなく、先輩は永遠に眠ったままだった。

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