第二十七話 一つじゃない
幸いな事に櫛田は軽傷で、その日の内に帰宅する事が出来た。
薫と咎は櫛田を家まで送り、それから帰宅した。
「櫛田、怪我が酷くなくて良かった……」
薫は、安心した様子で呟いた。
「ああ、間に合って良かった。……薫がいなかったら、間違いなく間に合ってなかった」
「…………」
それを聞いて、薫は複雑な表情になる。
「……それは……そう、ですけど」
「薫、本当に何も覚えてないのか?」
咎が心配そうに聞いた。
「いや……本当に何も覚えてないんです。夕飯の準備を始めたところまでは、覚えているんですけど……」
薫はそこまで言って、複雑な表情が不安げなそれに変わった。
「……俺、どうなっちゃうんですか……? 実家に戻った時も、急に記憶が飛んだと思ったら神社にいましたし……怖いです、流石
に、いくら何でも……」
「…………」
咎は暫く考え、
「…………大丈夫だ」
そう言って、薫を優しく抱き締めた。
「私は隣にいる。薫が、どんな事になっても」
「…………」
「解ってる。解ってるよ、こんなの、何の解決にも、何の慰めにもならないのは……。でも、それでも……私は、最後まで一緒にいる。だから……大丈夫だ」
咎は、暫くそうしていた。
暫くして。
「……あの、薫。大丈夫か?」
薫は顔を両手で隠し、俯せになっていた。
「……流石に、恥ずかしいです……」
薫は、言葉の通り恥ずかしそうに言った。よく見ると耳が赤くなっている。
「そ、そうか……ま、まあほら、私、薫の先祖の一人な訳だし、親に慰められたとでも考えておけば……」
咎はそこまで言って、薫が恨めしそうに自分を見ている事に気付いた。
「…………。その、すまん。あまりいい言い回しではなかった、か?」
「あ……い、いえ、その……ありがとう、ございます……」
薫はそう言うと、起き上がってその場に座り、話題を変える事にした。
「その、俺がどんな状態なのかも気になりますけど……とりあえず、今はあの通り魔の
「……あ、ああ……」
咎は頷くと、薫に向かい合うように座った。
「えっと、俺が棒きれで切り結んでいた相手って、どんなのでした?」
「ん……あれは、何て言えばいいか……」
咎は少し考えてから答える。
「そうだな……消え失せる寸前までは、『人に見えるけど、一目でそうじゃないと分かる、よく分からないなにものか』、という感じだった。」
「えっと、じゃあ消える直前に変わったんです?」
「ああ。そうだな……薫、妖怪の類いで、鬼婆と言われたら何を想像する?」
「鬼婆……ですか?」
薫は考え、何度か目を泳がせてから、咎を見つめて答える。
「えっと、人里離れた場所に住んでいて、旅人とかを食べる……それこそ、文字通り鬼みたいに頭から角を生やした老婆、みたいな……?」
それを聞いて、咎は頷いた。
「ああ、正にそんな感じだった。能、だったか。顔は、能で使う『本成り』という面のそれだった。」
「……えっと、凄い顔、って事で合ってます?」
「構わない」
そう言ってから、咎は少し考えて、
「実はだな、薫。あの化獣の正体にはもう目星が付いてるんだ」
「えっ……早くないですか?」
「あっちから答えを示唆してくれたからな」
咎はそう前置き、考えを述べる。
「あいつの正体は、恐らく、『安達ヶ原の鬼婆』だ」
「『黒塚』、ですか?」
「それはその鬼婆の墓、だな。それでも合っているらしい」
咎は頷きながら言った。
「理由は何ですか?」
「化獣が鬼婆になる前に、こんな事を言ったように聞こえたんだ。『おのれ、坊主風情が』、と。探せば他にもいるかもしれんが、私が知っている限り、坊様と因縁がある鬼婆は、安達ヶ原の鬼婆しかいない」
それを聞いて、薫は首を傾げる。
「でも、安達ヶ原の鬼婆……すいません、長いんで黒塚で……その黒塚って、最後はお坊さんが念仏を唱えてたら動き出した観音様の像に弓で射抜かれて退治された、って話じゃありませんでしたっけ?」
薫の質問に咎は頷き、
「それには、幾つか説があるんだ。坊様を追い掛ける途中に雷に打たれて死んだとか、仏門にくだって高僧になった、とか。坊様は最初から黒塚討伐が目的だった、とかもあったりする」
「そんなに……」
「で、その説の中に、坊様は朝になるまで必死に逃げて、そのまま逃げ切った、というのがある。たぶん、その説が合ってたのだろうな……」
咎はそこまで言って、怪訝そうに首を傾げた。
「ただ、あの黒い霧みたいなのとか、いきなり消えたのとか、説明が付かなくて……」
「え……ないんですか、幻術とか妖術を使った、みたいなの」
「それがないんだよ……」
そう言われて薫は考え、
「……霧の後ろで、全力で走って遠くまで逃げた、とか?」
「いや、あれは鬼婆を包み込んでいたし、それこそ一秒と経たずに消えてなくなってしまったし……」
咎の証言を聞いて、薫は限界まで目を見開いた。
「……薫? 顔凄い事になってるぞ?」
咎に言われて、薫はすぐに表情を引き締めた。
「あの、もしかして、なんですけど」
「うん?」
「……霧そのものになって逃げた、何て事はありませんか?」
「そんなまさか。だって、霧そのものが正体だなんて──」
そう言いかけて、咎は黙って考え始めた。
「……いや、先月見たな。『霧そのもの』のやつ……」
咎に言われて、薫は頷く。
「オンボノヤスみたいに、意志がある霧になれるなら、目眩ましを兼ねた気配の分散をして逃げられるんじゃないかな、って」
「たしかに、そうだが……」
「あの、話を聞く感じだと、咎さん、黒塚の腕を斬ったんですよね?」
「ああ。切り落とした」
「黒塚が逃げた後に、それ残ってました?」
咎は少し考え、表情が強張った。
「いや、なかった……血も流してたのに、それすら……。腕はともかく、血は奴が消える前まで……」
「もし、霧になった時に、一緒に消えてなくなったのなら……」
「何度吹き飛ばしても、無限に再生出来る、なんて芸当も……考えられるな……」
二人の間に、重い沈黙がのし掛かる。
と言うのも、現状咎が使える技の中で、『十人張りの強弓と短刀から変形させた矢による爆撃』が、最も威力のある攻撃だったからだ。それすらも効かないとなると──。
「これはまた……厄介な事になりそうだ」
咎が、呻くように言った。
薫が恐る恐る聞く。
「対抗策……何か、ないんですか?」
咎は暫く考えてから首を振ろうとして、
「……いや……あるにはある、けれど……」
「……けれど?」
「私自身、修行が足りないから、まず使えないと思う……」
「……俺は、力になれないん、ですか?」
薫が、どこか力なく言った。
「……判らない……」
「……そう、ですか」
「……兎に角、今は私達に出来る事をやろう。次で黒塚を倒す。……これしかないと、思う」
「…………。です、ね」
薫は、拳を握り締めた。
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