第二十三話 霧が来た

 咎はけものの気配を察知し、一度周囲を見渡した。


「ここにはいない……」

「お、おい、聞いてるのか? 手放したってどういう事なんだ? それに化獣って──」

「クソッ、何でこういう時まで出るんだ⁉」


 神主の問い掛けを無視し、咎は悪態を吐いた。


「ここから出ましょう、早く!」


 咎はそう言って神主の手を掴み、引っ張って走り出した。



「────っ!」


 咎が化獣の気配を察知したのと同時に、薫も目を見開いた。


「っ……」


 薫はすぐに目を細め、少しずつ、目を馴らすように瞼を持ち上げていく。


「う……この感じは、化獣の……⁉」


──でも何でだ? 頭痛がない……?


「って、今それどころじゃない……!」


 薫は立ち上がると、部屋を飛び出した。大急ぎで居間に向かい、座ってくつろいでいた祖父母に大声で問いかける。


「二人共、咎さん見なかった⁉」

「うおっ、な、なんじゃい……」


 薫の祖父が小さく跳び上がってから言った。

 薫の祖母が優しく注意をする。


「薫、急に大声出すものじゃないですよ」

「あ、ごめん……。いやそれよりも、咎さん見なかった⁉」


 二人は少し考え、祖父が先に首を振った。


「いや……少なくともここには来てないのお。ばあさんは?」

「いえ、私も見てないですね……どうかしたの?」

「え、いや、えっと……どう説明すれば……」


 薫は説明を求められてしどろもどろになり、


「え、えっと……探してくる!」


 説明せずに居間を後にした。


 祖父母はそれを見て、怪訝な表情で顔を見合わせた。



「咎さん、どこにいったんだ……⁉ もう向かったとかか……⁉」


 薫はそう言いながら靴を履き、外に飛び出す。



「どこだ、どこにいる……⁉」


 咎は神主を外に引っ張り出し、周囲の警戒を始めた。


「お、おい、出たって何が⁉」

「──最近、野原のはらの方で、化け物が出ているでしょう?」

「あ、ああ──」

「あれが出たんです!」

「は、はあ? どういう事だよ⁉」

「…………ええっと……感覚で……これ口で説明するの難しいんです!」



「──外に飛び出したはいいけど、どこに向かえば……⁉」


 薫はそう言って周囲を見渡し、


「────ん?」


 山の頂上から、霧が少しずつ降りてきているのを見た。


「……何だ……何か、変だぞ……? 木か……?」


 薫は違和感を覚え、木を凝視した。


 山肌を覆う木々が霧に触れた瞬間、それらは、音を立てて溶けていった。


「っ⁉ な、何だアレ⁉ 木が溶けてる⁉」





「これは──後ろか!」


 薫が霧の異常性に気付いたのと同時に、咎が気配を察知した。


 神社の後ろには森があり、木々の隙間からは霧が見えていた。


「────!」


 咎は霧が木々を腐食し、溶かしていくのを見た。


「マズイか……逃げますよ!」


 咎はそう言うと、神主を抱き抱え、跳び上がった。


「ちょおわぁーっ⁉」

「────っ、ごめんなさい!」


 進行方向にあった鳥居を踏み台にして、飛距離を更に稼ぐ。



「ど、ど、どうしよう……と、とと取り敢えず避難を……!」


 薫は慌てながら家に戻り、居間に駆け込む。


「ちょ、二人共逃げ──ってじいちゃん何やってんの⁉」


 薫の祖父は弓を持ち、矢筒背負っていた。腰には帯が巻かれ、そこに大小二本の刀を差している。


「何って、怪物が出たんじゃろう? 退治しに行くんじゃい!」

「いや……でも、あれ──」

「安心せい、木を溶かすヤツなんざ弓(コレ)で射殺してくれる!」

「いやそうじゃなくて! たぶん今回の、霧そのものなんじゃないかって……」

「何……⁉」


 祖父は驚くと、玄関に向かった。薫と祖母もそれに続く。



「ぬ……あれは……⁉」


 祖父が山から迫ってくる霧を確認して唸る。


「霧は見えるんだけど、肝心の本体がいないんだよ……」

「む、う……ええいままよ! 霧なぞ斬り払ってくれる!」


 祖父は自棄気味に言いながら、山に向かって走り出そうとする。


「いやいくら何でも無茶でしょって!」


 薫はそんな祖父を羽交い締めにした。


「ええい離せ!」

「いや流石に今回ばっかりは嫌だ!」


 薫と祖父が暴れていると、そこに、神主を抱えた咎が降ってきた。


「うぉわあっ⁉」「のわあぁ⁉」「きゃあ⁉」


 薫と祖父母が同時に驚く。


「薫、無事か⁉」


 咎に聞かれて、薫は目を白黒させて答える。


「え、えと、無事ですけど……てか、その人どうしたんですか⁉」

「神社にいたから連れて来た!」


 咎は簡潔に答え、そっと神主を降ろした。


「あ、アンタ、本当に何なんだよ……」


 咎に聞いた神主の声からは、恐怖が滲んでいた。


「今はちょっと……説明は後で!」


 咎はそう言って立ち上がった。


「咎さん……あれ、どうするんですか?」

「霧か、そうだな……薫、霧はどうすれば晴れる?」

「え⁉ ええと……」


 薫はポケットからスマートフォンを取り出し、気象としての霧のメカニズムを検索する。


「えっと、『風が吹いて気温の低い空気が混ざる』か『空気が暖められる』とかだそうです!」

「〝風が吹く〟か〝空気が暖められる〟か、だな?」

「え……? えっと、はい!」

「分かった! 皆さんは先に避難を!」


 それを聞いて、薫の祖父が目を剥く。


「なっ──、アンタは逃げないんか⁉」

「ええ、やるべき事があるので」

「この状況で何を──⁉」


 祖父はそこまで言って、咎の表情を見て黙った。

 祖父は一瞬だけ逡巡すると、改めて咎に問いかける。


「……アンタさん、改めて聞くが、やるべき事とは?」

「あの霧を祓います」

「どうやって?」

「…………」


 咎はそれに答えず、その身を赤紫色の炎で包んだ。炎が散ると、甲冑に身を包んだ姿に変わる。


「──この力で」


 その光景を見て全員が驚いた。


「……アンタ……」

「説明は後で」

「……相分かった。皆、途中の家に声を掛けながら逃げるぞ!」


 薫の祖父の合図と同時に、薫以外の全員が避難を始めた。

 それを見ながら、薫が咎に聞く。


「……咎さん、良かったんですか?」

「一番説得力がある方法があれだった。どうにもならんさ。後悔はしない」

「…………」

「さ、薫も逃げた逃げた!」


 咎はそう言うと、薫の背中を軽く押した。


 心配そうな表情をする薫に、咎は笑顔を向ける。


「大丈夫、もう落ち込んだりしないよ。こないだみたいな事にはならない。約束する」


 薫は少し考え、


「……約束ですからね」

「ああ」


 薫は、祖父母と神主を追いかけていった。



 咎は薫達が遠くまで逃げていくのを見ながら、腰の刀を鞘ごと抜いた。呪文を詠唱し、刀を十人張りの強弓に変形させる。


「要は空気の温度を変えればいいんだろう……?」


 咎は右手で腰の短刀を抜くと、それを矢に変形させた。


 咎は矢を弓につがえると、一度深呼吸をした。


「よし決めた。──気炎万丈!」


 咎が叫んだ瞬間、やじりが激しく燃え上がった。


「──尽く、吹き飛べ‼」


 咎は思いを強く込め、矢を放った。


 矢は山の中腹まで一直線に飛翔し、山肌に突き刺さった。その瞬間矢が爆発し、半球状の凄まじい爆炎が発生して霧を完全に蒸発させた。


「────ふう……」


 爆炎が山肌を撫でるのを見ながら、咎はそっと溜め息を吐いた。

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