第二十二話 変容するもの達
「──いやあ、いい所だなあ」
黒い着流しの男が、呑気そうに呟いた。
「ここ最近にしてはやたら空気がいいし、ご飯は美味しいし、命に溢れている。本当に素晴らしい。里山ってにはこうじゃなくちゃ。いやあ、全く────」
そこまで言って、急激に凶悪な表情に変わる。
「────殺しがいがあるねえ。やるのは僕じゃないけど」
男は懐から魔法瓶を取り出し、蓋を外した。
「さあ、頼むよ。いーい感じに仕上がったんだから、ね」
魔法瓶の中を覗き込んで言って、それを掲げる。
魔法瓶の中から、霧が昇り始めた。地面に下りず、周囲に広がっていく。
霧が植物に触れた瞬間、その部分が泡を立てて腐り始めた。
霧──オンボノヤスは、周囲の植物を蹂躙しながら、その体積を増やしていく。
「頑張ってね、いっぱい広がって、いっぱい殺して、いっぱい怨念を集めてね。」
男はそう言って、指先で空間を切り裂いてその中に入った。
「──ってうおぉわぁっ⁉」
男が出た場所は、上空四十メートルの座標だった。オンボノヤスを開放した山や、打矢原の町並みが一望出来た。
男は一瞬落下したが、すぐに浮遊を始めた。
「うああぁ吃驚した、肝が冷えるってこの事か……!」
男は、ほんの僅かに表情を青ざめさせていた。
「なぁにが『肝が冷えた』よ。飛べる癖に」
男の隣に、黒い小袖姿の女がしゃがみ込んだ。
「いやあ久々だったもんで……お恥ずかしい」
「まったく……」
「あはは、完全に忘れて落下死よりマシだよ」
男が呑気そうに言ったのを見て、女が盛大に溜息を吐いた。
「ま、まあまあ……! ほ、ほら、ここからならオンボノヤスが広がるのを一望出来る特等席だから、ね?」
「いや誤魔化し方意味不明だし……いいけど」
女はそう言うと、姿勢を椅子に座るような形に変え、見物を開始する。
山の中。
「────ん、何だ、霧か?」
甲虫採集に来ていた男性三名の内、先頭にいた一人が異常に気付いた。
真ん中の男性が怪訝な顔をする。
「こんな時間にですかあ?」
「いや本当なんだって!」
「どれ……? あ、マジだ。えー、一回トラップの確認したいのに」
最後尾の男が目を凝らすと、霧が降りてきているのが見えた。
「ていうか、結構濃いな……これ明日まで待たないと駄目かもなあ」
「ええー? それ編集に連絡しなきゃじゃないですかー」
真ん中の男性が面倒そうに言う。
それを聞いて、先頭の男が振り向く。
「仕方ないだろ、今日は撤収──どうした?」
そこまで言いかけて、後ろの二人が青ざめている事に気付いた。
「う、後ろ、後ろ!」「う、後ろ!」
二人は、先頭の男性の後ろを指差していた。
「おいおい、何なんだよ──?」
先頭の男性が振り向くと、先程まで遠方にあった霧が眼前まで迫っていた。
「────は?」
男性が呟いた瞬間、霧がその全身を包んだ。
その瞬間、男性の全身が、身に付けている物ごと溶解を始めた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
男は絶叫し、全身を襲う激痛に耐えかねて倒れた。
「うわあああああああっ⁉」「わああああああああっ⁉」
後続二人はそれを見て絶叫しながら逃げようとしたが、それを始めるまえに霧が二人を包み込んだ。
「ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ⁉」
その瞬間、先頭にいた男と同様の現象が二人を襲った。
男達は全身を覆う激痛によるショックで絶命し、数秒かけて完全に消滅した。
「────お、三名様ごあんなーい」
上空で山の様子を観察していた男が楽しそうに言った。
それと反対に、女ががっかりした様子で呟く。
「え、少な……」
「えー?」
男が呟いて山に目を凝らすと、
「……あ、もう山には生き物いないねえ。後は草木だけだ」
「もっと殺せると思ったのに……」
「まあまあ、麓にもいくつか家あるし、大丈夫でしょ。それに鬼への嫌がらせになってるだろうしさ」
「だといいけど……」
同時刻、
御神体の鋼色の玉が放つ光は炎のように強くなり、明滅を止めていた。
咎はそれを目を細めずに見つめ、感嘆が籠った声を漏らす。
「これは……やっぱり……」
「な……何か知ってるのか⁉」
目を閉じる寸前まで細めた神主が、叫ぶように言う。
「……えっと、何も知らないんですか? これ祀っているのに?」
「き、急にこんな事が起こるなんて知らないぞ⁉」
「そう、ですか……」
咎はそう言いながら、御神体に近付いていく。
「おい待て、危ないぞ⁉」
それを見て神主が慌てて叫んだ。
咎は振り向き、穏やかに返す。
「大丈夫ですよ」
咎は御神体に向き直ると、右手の指先でその表面に触れた。
直後、御神体が咎の指先を伝い、数秒かけて体内に入り込んでいった。
「ぐ、うぅ……」
薫の全身に駆け巡っていた、燃えるような激痛が突然消え去った。
「何、だったんだ……」
薫は手を閉じたり開いたりしながら、疑問を口にする。
「……さっきまでの激痛が嘘みたいに消えたんだけど……ん?」
──あれ、この感じ……前にも……。
「……これは……失くしてた大切な物が、戻ってきたような……?」
薫は慎重に言葉を紡いだ。
「……あれ?」
ふと、薫は顔を上げ、周囲を見渡して目を細めた。
少ししてから、薫は首を傾げた。
「……おっかしいな……この部屋、夏の夕方こんなに眩しかったっけ……」
部屋には夕日が入ってはいるが、目を開けられない程ではなかった。
咎は、そっと掌を見た。
掌に灯っていた赤い光は徐々に弱まっていき、すぐに消えた。
「……戻ってきた、で、いいのかなぁ……? 戻ってきた感じがしない……」
咎は微妙な顔をして首を傾げた。
「あ……アンタ、何なんだ……?」
咎の行動を目撃した神主が、疑問を口にする。
「あー……説明するのは難しいのですが……大昔、これを手放したんです……たぶん」
咎は少し難しそうな顔をして答えた。
「手放した……? それって──」
「────っ」
神主が呟いた瞬間、咎が目を見開いた。
「……
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