第二十一話 痛覚強迫観念

 家に帰ってきてから、薫は、自室に閉じ籠ってしまった。


「…………」


 咎は心配そうな表情で、薫が閉じこもった部屋の前にいた。

 咎は、部屋の中の薫に呼び掛ける。


「あー、か、薫?」


 部屋の中からの返事はない。ただ、必死で気配を押し殺している、という事は、何となく咎は感じ取っていた。


「お爺々じじ様とお婆々ばば様さあ、さっきの事、怒ってないってさ。出てきていいよ、大丈夫だよ」


 部屋の中から返事はない。


「……ほ、ほら、今日、凄く暑かっただろ? わ、私もほら、暑い時に意識が朦朧とした事、あったし」


 反応は帰ってこない。


「あの、その……暑かったからさ、アイス、一緒に食べないか? 私、薫と一緒に食べたいなぁ、なんて……」


 気まずい空気で周囲が満たされ始めた時、部屋の中から返事があった。


『…………その、本当に怒ってないんですか?』

「あ、ああ」

『本当に?』

「うん」

『本当の本当の、本当に?』

「え──何でそんな、」


 念を押すかのように聞くのか。

そう質問する前に、薫が訥々と話し始める。


『怖いんです……さっきまで普通に話してた人が、俺のせいでいきなり怒り出すんじゃないかって』

「え……いや、そんな……」

『そんな事はないのは、分かってるんです。でも……それでも……』

「…………」

『……気、遣ってますよね?』

「…………」

『その……気を遣ってもらうのも……気を遣わせていると思うと、苦しくて……』


 薫の声は酷く痛々しく、咎はかける言葉を失っていた。


『……すいません……今は、一人にさせてください……すいません……』




 咎は居間に向かいながら、先程のやり取りを思い出していた。


「薫……何で、急に、あんなに……」


 咎は呟きながら、来た道を振り返る。


「……あの」


 丁度その時、薫の祖父に話しかけられた。


「はい?」

「薫に、会いに行ったのですかな」

「はい。……一人にしてくれ、って言われました」

「そうでしたか……」


 咎は少し考えて、会話を続ける。


「……何故、薫はあんなに怯えているのですか? あれはちょっと、極端というか……」

「……詳しくは、聞かないでくだされ」

「気を遣う事になる原因になるからですか? それとも聞かれたくない理由があるから?」

「…………」


 薫の祖父はそれに答えず、ただ目を伏せた。

 咎はそれを見て、


「……分かりました。今は、聞かない事にします」

「……そうしてくだされ……この会話も、なかった事に」




「…………」


 薫は、部屋の隅で体育座りをしていた。

 俯いた顔の色は悪く、目から顎にかけて涙の痕があった。その瞳は、自分や床を見てはいなかった。


「また……またやったのか……また……」


 そう言いながら、瞼が落ちていく。




──何、またやったの? えぇ、またやったんだ? 何回言ったら分かるの? 何回言っても分かんないの? また謝りに行かなきゃいけないの?


──チッ、いつもいつも頭下げさせやがって……


──じいちゃんから一本取ったぁ? 手抜きしてもらったに決まってるじゃない、当たり前でしょ


──しつこいなあ……マグレでしょ、マ、グ、レ


──屁理屈ばっかり言う……何も出来ない癖に


──テストで九六点だった? ふーん、残りの四点は?


──×××××くんのお母さんからテストの話聞いたんだけどさあ、最近の小学生のテストなら百点って当たり前なんだねえ



──はぁ? 学校行きたくない? ふざけないでくれる?


──休ませたよね? 休ませて『あげた』よね? ねえ、何で言う事聞いてくれないの?


──ねえ後何回電話すればいいの? 何回先生に謝ればいいの?


──そんなに休みたいならあんたが電話してくれない? 『学校辞めます。高校行くの諦めます』って


──本っ当に役に立たない……使えない


──何も出来ない癖に、何やっても駄目な癖に


──屁理屈ばっかり言う……何も出来ない癖に


──本っ当に役に立たない……使えない


──何も出来ない癖に、何やっても駄目な癖に


──社会に出てないからそんな事言えるんだよ


──出てけ、お前邪魔だから、お前いない方が楽しいから


──本っ当に役に立たない……使えない


──何も出来ない癖に、何やっても駄目な癖に


──愛してないとでも、思ったの?


──掃除やって、洗濯やって、食事作ってーって、こんないいお母さんいないよ?


──代わりにやる? 今更役に立つアピール?


──出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ




「────────────────────────────────────っ‼」


 薫は、文字通り跳ね起きた。顔色は意識を手放す前と比べると遥かに蒼白で、表情は『怯え」そのものと言っても過言ではない。呼吸は過呼吸一歩手前で、手先は小刻みに震えている。


「……っ!」


 薫は、慌てて両手で口を塞いだ。


──叫ん、だりっ……して、ないよな……?


 薫はそう心配しながら、呼吸を整えていく。


「……また……か……」


 そう呟き、体育座りをし直そうとした、その時だった。


「…………?」


 薫はふと違和感を感じ、右手の掌を見た。


「────な、ぐっあっ⁉」


 次の瞬間、掌に激痛が走った。



 咎は、薫がいる部屋から少し離れた場所にいた。


「……薫……やっぱり、心配だな……」


 そう呟いた瞬間、薫がいる部屋から悲鳴が聞こえた。


「何だ⁉」


 悲鳴を聞いた瞬間、咎は駆け出した。

部屋に飛び込んだ咎の目に飛び込んだのは、


「あっ、が、うっ、ぁがっ……⁉」


右手首を抑えて悶え苦しむ薫の姿だった。


「か、薫⁉」


 咎は驚きながら薫に駆け寄る。

「ど、どうした⁉ 大丈夫か⁉」


 咎は薫に呼び掛けたが、応答はなかった。

 咎は薫の右手の掌を見て、


「こ、これは……⁉」


 掌が、赤くぼんやりと発光しているのを目の当たりにした。


「これは……いや、そんな筈は……⁉」


 咎が動揺した瞬間、脳裏に映像が走った。



 赤く、温かい光。

 自分の掌。

 天に向かって咆哮する『何か』。

 何かの武器を矢に変え、弓につがえる自分の姿。

 黒い何かが内側から破裂し、白い爆発の大奔流を生み出す光景。



「──っ、今のは……っ⁉」


 言いかけた瞬間、『鋼色の半球』の映像が一瞬だけ映った。


「────まさか……!」


 咎はそう呟き、慌てて部屋を飛び出した。




 転がるように外に飛び出ると、世界は夕日色に燃え上がっていた。


 咎は常人を遥かに超えた速度で駆け、神社の階段を三段抜かしで駆け上った。

 咎が宝物殿に向かおうとした瞬間、本殿から情けない悲鳴が聞こえてきた。


「っ!」


 咎は本殿の入り口に走り、悲鳴が聞こえてきた場所に飛び込んだ。


「な、な、何だ、何だこれえぇ⁉」


 叫び声の主は、昼間の神主だった。


「あ、あの、大丈夫ですか⁉」

「あ、アンタは……そ、それより、アレ!」

「えっ?」


 男の指差す先を見ると、鋼色の球体が鎮座していた。

 鋼色の球体は、明滅する赤い光を放っていた。


「あれは⁉」

「ご、御神体! 御神体!」

「御神体……⁉」


 御神体は徐々に光を強めながら、明滅の速度を速めていく。

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