第二十話 熱中症または白昼夢

 咎は縁側の影になっている場所に座り、氷が浮いた麦茶を飲んだ。


「……ふぅ……」


 グラスを口から離し、そっと息を吐く。


「薫、散歩に行っちゃったしなあ……」

「あら咎さん、どうかしたんですか?」


 咎が振り向くと、そこには薫の祖母がいた。


「あ……薫の、お婆々ばば様」

「隣、いいですか?」

「あ、はい。どうぞ」

「では失礼して……」


 祖母はそう言うと、咎の隣に座った。


「なんだかすみません。道場借りて、お風呂も借りて、その上麦茶までご馳走になってしまって……」

「いえいえ、いいんですよ。こちらこそごめんなさいね、うちのじいさんの無茶振りに付き合わせてしまって」

「あはは、あれは、私も楽しかったので……」


 そう言って、二人は何とも言えない表情で笑い合う。


「……良かった、薫が元気そうで」


 ふいに、祖母が呟いた。


「……心配、ですか?」

「そりゃ勿論ですよ。……あの子、見た目よりもずっと傷付きやすいから……」

「傷付きやすい?」

「ええ……あの子は、人の期待に応えようとし過ぎたんです」


 薫の祖母は、どこか憐れむような表情で言った。


「…………」


 薫は考えて、慎重に言葉を紡ぐ。


「その……詳しくは、聞かないでおきます。彼とは、その……フラットな関係でいたいので。気を付けは、しますけど」

「そうしてあげてください。あの子、気を使われてるって知ったら、それで傷付くと思うので……」





「……暑い……」


 薫は、水田沿いの道路をトボトボと歩いていた。


──『町を案内してくれ』って頼みに、『下見をしてくる』で誤魔化すのは、どう考えても悪手だよなあ……。正直、この町に見せるような場所って本っ当にないのに……。田んぼと山とそれなりの川しかないし……。


「──あ、夜になったら街灯にカブトムシとかノコギリクワガタが……って、それを咎さんに見せて何になるのよ……」


 薫は自分の案を自分で捨て、トボトボと歩き続ける。


「……咎さんと互角って……じいちゃん何なんだよ……」


 薫が呟いた、その時だった。


「……あ、れ……」


 薫の視界が、急にぼやけた。


──え、これ……熱中症……?


 そう考えようとする前に、薫の意識は途絶えた。




ぼんやりとした表情の薫は、陽炎が漂う町中を、よろよろとした足取りで歩いていた。


何度か人とすれ違ったが、薫の不気味さに誰も声を掛けられなかった。


 やがて薫は、山の中にある、『つがえ神社』と書かれた扁額を掲げる鳥居の前に辿り着いた。


「……待ってて……もう少し……」


 薫は小さく呟くと、鳥居を潜って神社に入った。


 薫は、それまでとは違う、迷いのない足取りで蔵に向かった。

 蔵には、鍵一つ掛かっていなかった。一応、地面には施錠に使っていたと思しき大型の南京錠が落ちていた。


 薫はそれを無視し、そっと、人一人分だけ扉を開けた。


「…………」


 薫は顔を滑らかに動かし、蔵の中の一点を見つめる。


 薫の視線の先には、ノートパソコン程の大きさの、銀色の金属の球体が鎮座していた。


「……連れて来たよ」


 薫は金属の球体に話しかけ、蔵の中に侵入した。蔵の中を静かに進んでいき、球体の前で立ち止まる。


 薫は穏やかに微笑むと、そっと右手を球体に伸ばした。


 指先が球体に触れようとしたその時、扉を乱暴に開けたらしき音が響いた。


「うぇっぁっ⁉」


 薫は驚き、大きく体を震わせた。


「へ、え、あ、あれ⁉ ここどこ⁉」


 薫は目を白黒させ、周囲を見渡す。


「おい! そこで何してる!」


 薫が入り口を見ると、そこには四十代に見える男が立っていた。


「えっ、いや……何って……何を?」

「とぼけるな、何で宝物殿に入っている?」

「は? え? ほ、宝物?」


 薫がもう一度周囲を見渡すと、目の前の球体の他に、桐箱や箪笥が大量に置いてあった。


「え……っと、ここ、どこです?」

つがい神社の宝物殿だが?」

「じ、神社?」

「そうだ」

「あなたは?」

「この神社の神主だ」

「か、神主さん」

「そうだ。どうやってそこに入った?」

「い、いや知らないですよ⁉」

「ふざけるな!」

「ふざけてませんって⁉ 気付いたらここにいたんですって!」

「……取り敢えず外に出ろ。話だけは聞いてやる」

「あ、は、はぁ……」


 薫は頷き、歩き出そうとしてすぐに足を滑らせた。


「うわっ⁉」


 薫はバランスを崩し、尻餅を突いた。


「うぅ……」

「あ、おい! 触るな!」

「へ?」


 薫が振り向くと、右の掌が球体にしっかりと押し付けられていた。


「あっ、す、すいません⁉」


 薫は慌てて手を球体から離し、


「…………?」


 怪訝な表情で掌を見た。


「おーい、早くしろ」

「あ、すいません!」


 薫は謝り、慌てて外に出る。




 二十分後。


「本ッ当に申し訳ありませんでした……」


 薫の祖父母は到着するや否や、深々と頭を下げた。ついでに咎も頭を下げる。


「すいませんでした……」


 薫は、もう何度目か分からない程謝っていた。祖父母よりも深く頭を下げている。


「……まあ、御神体に触れた以外何もしてないんですし、大目に見ますが……」


 神主が呟いた瞬間、薫が咳き込んだ。


「ごっ⁉ ちょ、あ、あれ、御神体だったんですか⁉」

「…………え、あれ、言わなかったか?」

「触るな、としか……」

「え……そ、それに関しては済まなかった」

「あ、い、いえ、俺も転んだ拍子に触っちゃって、すいません……」


 気まずい空気が一層深まる中、神主が何とも言えない表情で話を終わらせようとする。


「その、お帰り頂いて結構です。……水分補給しっかりしろよ」


 各々謝り、神社を後にしようとして、


「────ん?」


 咎が立ち止まり、振り向いて宝物殿の方を見た。


「…………ん? あれ、咎さん?」


 薫は咎が付いてきていない事に気付き、振り向いた。


「あ、の────」


 薫には、咎が神社の風景と融合して、一幅の名画に見えた。


「あ……」


 薫が声をかけかねていると、咎が先に振り向いた。


「────ん?」

「あ、いや、えと……」


 薫が挙動不審な動きをしていると、咎がばつが悪そうな表情になった。


「──ああ、すまない。少し……ぼうっとしていた。行こう」


 咎はそう言って、薫の前を通り過ぎて神社を後にする。


「あ、はい……」


 薫は頷き、後に続こうとして、一度振り向いた。宝物殿を見て、それから神社の入り口に向かった。

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