第十九話 千日手

 金曜日の朝方。


「充電器とモバイルバッテリーも持った……うん、忘れ物なし、っと」


 薫は荷物の再確認を終え、それらを詰めた小さなリュックを背負う。


「咎さーん、準備出来ましたー?」

「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 薫が咎に貸しっぱなしにしている部屋に声をかけると、慌てた様子の返事帰ってきた。


 少し経ってから、咎が部屋からを出てくる。

 咎は、いつもの小袖ではなく、緑と白を基調に赤い花が散りばめられた浴衣を着ていた。


「……こないだ、買ったやつ?」


 咎の浴衣姿を見て、薫が呟いた。


「ああ。……一応聞くけど、変じゃないよな?」

「…………」

「薫? 大丈夫か?」

「……あ、は、はい、大丈夫です! その、す、素敵だと思います」

「そうか? なら良かった。待たせた身で言うのもなんだが、早く行こう」


 咎は薫に笑顔を向け、それから玄関に向かった。


「で、ですね」


──綺麗、だよな。凄く……。


 薫はそう思いながら、咎を追いかける。





 電車を二回乗り継ぎ、バスに揺られて一時間。

 薫と咎は、野原のはら市の北東、山の麓にあるおちはら町に到着した。


 バスを降りるや否や、薫が何とも言えない表情で呟く。


「うう……引っ越した時もそうだけど、お尻痛いなぁ……」

「……大丈夫か?」

「歩けるんで、大丈夫です……」


「そうか……」


 咎は呟きながら、バス停の表示を読んだ。


「……打矢原……打矢原、か……」

「えっと、それ、そのままこの辺の地名になってます」


 薫が補足した。


「そう、か……」


 咎はそう呟き、難しそうな表情を作る。


「……どうか、したんですか?」

「いや、何でもない。……気のせいだろう、きっと」

「……?」

「それより、薫の家はどこにあるんだ?」

「へ? あ、あれです」


 薫はそう言って、咎の背中より向こう側を指す。

 咎が振り向くと、数十メートル先に大きな日本家屋があった。敷地も広く、所謂屋敷と呼べる建物だった。


「……あの部屋と比べると、大きいな」

「あはは、俺もそう思います。じゃあ、行きましょうか」


 薫はそう言って、咎を連れ立って実家に向かう。


 敷地に足を踏み入れ、母屋に向かう。


 薫がインターホンを鳴らすと、少し間があってから、ドアが開いた。


 二人を出迎えたのは、六、七十代に見える老人だった。皺の上からでも分かる精悍な顔つきで、背筋はしっかりと伸び、薫や咎よりも背が高い。総じて、やたらと若々しい印象。


「おお、薫か!」


 老人──薫の祖父は、そう言って豪快に笑った。


「た、ただいま」

「うん、おかえり。──と、そちらのお嬢さんは?」

「あ、ええっと、こちらは──」

百日紅さるすべり とがです。初めまして」

「おお、貴女が! いやあ、その節はどうも、孫がお世話になりました」

「いえ、私も彼に助けられたので……私こそ、です」


 そう言って、咎と薫の祖父は互いに頭を下げる。

 どうしたらいいのか分からず、借りてきた猫状態になった薫を他所に、話は続く。


「ささ、立ち話もなんですから、どうぞ上がってください」


 祖父はそう言うと、薫の祖母を呼びながら母屋の奥に消えていった。


「えっと……入っていい、んだよな?」

「えっと……行きましょう、はい……」


 薫はそう言って、家の中に入った。


「豪快なんだな、薫のお爺々じじ様」

「あはは、よく言われます……」

「でも、いい人そうだ」

「そうですか?」

「そうでもないのか?」

「いや、めっちゃくちゃいい人です」

「そうか」


 そんな事を言いながら、二人は居間に向かう。





 一時間後。


──どうしてこんな事になったのかなぁー⁉


 薫は、『実家の敷地にある道場の中で、防具を着込んで袋竹刀を構えて向かい合う咎と祖父』という異常事態を目の当たりにし、そんな事を思った。


「じいさーん、頑張れー!」


 薫の隣に座る彼の祖母が、楽しそうに言った。彼女も祖父同様、若々しい印象を持っていた。


「いや、ばあちゃん! 呑気に言ってる場合じゃないでしょ⁉」


 薫はそう言って、一気に早口で捲し立てる。


「居間に集まって、お茶飲みながら話し始めたのは良かったんだよ? 最初は近況報告とかで結構盛り上がったでしょ? 何で途中から客に武道を嗜んでるのかとか聞き始めて、挙句の果てに手合わせしようとか言い出したの、あのお爺さん⁉」


 薫は一度も噛まずに言い切り、肩で息をしながら、勢いよく自分の祖父を指差した。

 祖母はそれを見て、やんわりと指摘する。


「薫、あんまり人を指差したりするものじゃないですよ」

「あ、ごめんなさい……じゃなくて! 何で初対面の人に決闘を申し込むの⁉ 咎さんも! 何で乗っちゃうの⁉」


 薫の叫びを聞いて、咎が薫を見る。


「ええー? だって、強そうだったから、断る方が失礼だと思ったんだよー」

「いや……ええ……?」

「なんじゃ薫、じいちゃんが弱いとでも言うのか⁉」


 祖父が大声で言った。


「そうは言ってないでしょ⁉ 何でじいちゃんが怒るの⁉」

「薫、薫」


 困惑する薫に、祖母が手招きをする。そうしてから、耳打ちするジェスチャーをする。


「え?」


 薫が祖母に耳を近付けると、


『じいさん、久々に帰ってきた孫にいいとこ見せたいんだと思いますよ』


 そんな事を伝えてきた。

 薫は何とも言えない表情になって天を仰ぎ、暫く考え、


「……『そのために孫が連れて来たお客さんをぶちのめす』って発想に怒るべきなんだろうけど……なんか、もういいや……二人共なんか楽しそうだし……」


 諦めた。


 そんな薫を他所に、祖父が咎に話しかける。


「──さて、そろそろ始めますかな」

「ええ──では……いざ、尋常に」


 咎は答え、真っ直ぐに突っ込んだ。間合いに入る寸前に構えを下段から上段に変え、真っ直ぐに振り下ろす。


 祖父はそれを見て、咎の剣の軌道に重なるように剣を振るう。


 袋竹刀が同時に弾かれた。


 瞬間、咎は一歩下がりながら全力で体を左に捻り、祖父の背後の空間に飛び込み、転がって距離を取り、すぐさま立ち上がった。


祖父が中段に構え直しながら振り向く。咎はそれを見るか見ないかの合間に駆け出し、間合いを詰めて突きを放つ。


 祖父は竹刀を僅かに動かし、咎の突きを逸らした。


 咎は左手を竹刀から離し、右腕を体の後ろに回すように振った。背後で竹刀を左手で逆手に持ち替え、左腕を振り上げる。


「ぬっ⁉」


 祖父は驚きながらそれを迎撃する。

 咎は竹刀を両手持ちに戻し、鍔迫り合いに持ち込む。


 咎と祖父が、凶悪な、それでいて楽しそうな笑顔を向け合う。


「──成程、薫に剣を教えたのは貴方ですね!」

「ほう、薫とやり合ったか!」

「ええ、私が、勝ちましたけど──それでも、十分強かったです、よっ‼」


 咎は言葉の最後に気合いを強く込め、祖父の竹刀を跳ね上げた。追撃はせずに大きく飛び退く。


 直後、咎のいた空間に竹刀がほぼ垂直に突き込まれる。


 祖父が右逆手のみに持ち替え、手首を捻って竹刀を床に振り下ろしていた。


「──そっちこそ、その剣、どこで学んだ?」


 祖父は聞きながら、竹刀を構え直す。


「……父様ですが……?」

「ほう……他人ならぬ、他流の空似かなぁっ!」


 祖父はそう言いながら走り、太刀筋が殆ど見えない程の速さで右上から竹刀を振り下ろす。


「────っ‼」


 咎はどうにか視認出来た相手の竹刀の横を目掛け、竹刀を振って受け止めた。同時に受け流し、祖父の右側から背後に回りつつ籠手を狙う。


 祖父は左に回転してそれを避け、振り向きながら胴薙ぎを放つ。


 咎は祖父の竹刀の位置を確認した瞬間に姿勢をギリギリまで低くし、胴薙ぎを潜って回避した。そのまま左に飛び、更に大きく飛び退く。


「────ふぅ……」


 咎は息を吐くと、ゆらりと立ち上がった。


「ぬう……これは、千日手じゃのぅ……」

「……強い……全部流される……」

「そりゃこっちもじゃわい。尽く避けおって……。今さっき、千日手って言ったろがい」

「あはは、確かに……」

「はっはっは……」


 二人の乾いた笑い声が道場に響き、


「もう止めましょうか」「止めますかなあ」


 二人の唐突な宣言で、試合は取り止めになった。

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