第二章 変わらない日々/変わる日々
第九話 沈み込み、飲み込むもの
それから三週間が経ち、六月上旬に入った。ここ数年と同様、長雨には入っていない。
その間、薫や咎が化獣に遭遇する事も、化獣が出現したという噂を聞く事もなかった。
そんなある日、薫が錦田の手伝いで資料室の片付けをしていた時の事。
「
錦田が聞き返した。
「はい、そうです。纏めている資料で見かけた事って、ありませんか?」
薫がもう一度聞く。
「うん、知ってるよ。何回か見かけた事ある」
「本当ですか⁉」
「うん。本当本当。でもよくそんなの知ってたね。だいぶマニアックな部類だよ?」
錦田が歓心した様子で言った。
「そうなんですか?」
「うん。昔この辺で起こった事を纏めたってなってる『
「そうなんですか……」
薫は意外そうに呟く。
「彼女は専ら、
「そうですか」
「うん。……でさ、何で聞いたの?」
「へっ⁉」
突然理由を聞かれ、薫は驚いた様子で声を出した。
「や、何かさっきから一喜一憂してる感じだったからさ、ちょっと気になって」
「え、いや……えっと、その、図書室の郷土史読んでたらたまたま見かけて、何となく気になっただけです」
薫がしどろもどろになって言った。
「えー、何か嘘っぽいなぁ……」
錦田が怪訝な表情で言う。
「いや、本当なんですって! 信じてくださいよ!」
「何かその言い回しだと一週間謹慎になりそうだけど……」
「本当なんですってば……」
「大丈夫、信じるって。だって嘘吐く必要ないし」
錦田は口調を明るくして言った。
「なら、いいんですけど……」
薫は何とも言えない表情になった。
それから片付けを再開して少しして、
「……それで、その『禍津野原太平風土記』、でしたっけ?」
「うん、合ってるよ」
「あ、良かった。……それってどんな内容なんですか? 郷土史には全然書いてなくて」
「あー……読みたい? めっちゃくちゃ長いよ?」
錦田が念を押すかのように言う。
「め、めっちゃくちゃですか……」
「うん、理不尽だーって思うくらい。だから、その咎が出てくる部分だけ抜粋してコピーするからさ、明日まで待ってて」
「あ、はい。分かりました」
「うん。……よし。じゃあ、今日はこの辺にしよう。昼休みあと十五分くらいだし」
錦田が壁掛け時計を見て言った。
薫も釣られて時計を見て、
「あー……ですね。すいません、あんまり片付けられなくて……」
「大丈夫大丈夫。私次授業ないし、後はやっとくから。またよろしくね」
「はい。じゃあ、失礼します」
「うん。いつもありがとね」
「へっ?」
薫が驚いた様子で声を出した。
「ん?」
「あっ、えっと……」
挙動不審になっている薫を見て、錦田がもう一度声をかける。
「どした?」
「いや、えっと……はい」
薫は、とりあえず、といった様子で頷いた。
薫が出て行くのを見てから、錦田は首を傾げる。
「……何だったんだろう、あの反応?」
錦田はそう呟き、片付けを再開しながら、
「しっかし、百日紅 咎、か。剣崎クンにも言ったけど、随分とマニアックな……」
錦田は口に出し、怪訝な表情になる。
「……なーんか、やっぱりちょっと嘘っぽいんだよなぁ……」
錦田はそう言ってから黙り、黙々と片付けをしていく。
同時刻。
駅前の複合ビルには、平日の昼間であるにも関わらずそこそこ人が入っていた。
その屋上から、ビルの中に人が入っていくのを見下ろす、長身痩躯の一組の男女がいた。
二人の服装は、共に枯れ葉色に黒と黄色の横縞が入った着流し。履物の類いは一切履いていない。
女性が男に話しかける。
「いい、感じか?」
その声の質は、男性のそれだった。
「……んー……」
男は足元を凝視する。声質は女性のそれだった。
「まあまあ、だな」
男は顔を上げ、女性を見た。
女性は少し残念そうな顔になり、
「そう、か。まあ、それでも、あの子の、腹は膨れる、だろう」
「ああ、だから、あの子に悪いが、我慢、してもらおう」
男が女性を慰めるように言った。
「……そう、だな」
女性は小さく頷いた。
その直後、ビルが小刻みに揺れた。
女性が床を撫でると、揺れは治まった。
男女は互いに顔を見合わせると、同時に頷いた。
「……ああ、そろそろ、良いよ」
「……うん、良いよ」
二人がそれぞれに言った瞬間、ビルが再び揺れ始めた。
「大きく、なってね」
「鬼が、気付かない内に、いっぱい、食べてね」
二人は、まるで慈しむかのようにビルに話しかける。
複合ビルの地下一階、家電量販店のテレビゲーム売り場。
「──すいません、『ルナティック・サイド』を予約した秋山ですけど」
青年が、レジにいた女性の店員に話しかけた。
「はい、少々お待ちください」
女性の店員はそう答えて、後ろの商品棚から男が予約したゲームソフトを探し始める。
「今日まで長かったなぁ……」
青年が感慨深げに呟いた。
「楽しみに待ってたんですか?」
「へっ? あっ、はい……」
独り言を聞かれていた事に気付いて、青年は少し恥ずかしそうに答えた。
「そうでしたか。では、お会計──」
女性が少し楽しそうに言おうとしたその時、床──というよりは、空間が揺れ始めた。
「え、何、地震?」
「このくらいならすぐ収まるでしょ……震度三くらいっぽいですし」
青年が言った。
少ししてから、揺れは少しずつ弱まっていった。
「お、治まったかな……」
青年が呟いた瞬間、再び揺れ始めた。
「……え、何これ……」
女性店員が怪訝な表情になって呟く。
「ここ地下一階なんですけど……え、ヤバくない?」
「ちょっとヤバそうですよね……」
女性店員に言われ、青年は少し考えて、
「あー、とりあえずパパっとお会計して避難しません?」
「あ、じゃあ──」
その瞬間、急激に揺れが強くなった。
「きゃあぁっ⁉」
「うわっ⁉」
二人や周囲の人間は立っていられず、堪らず姿勢を低くする。
「って、あの! そこ危ないですって! こっちに引っ張るんで立って!」
「へ⁉ あ、はい⁉」
女性店員はカウンターに手を突いてどうにか立ち上がった。
青年はすかさず女性店員の両腕を掴み、渾身の力を込めて女性店員をレジから引っ張り出した。
直後、商品棚が品物をばら蒔きながら倒れ、大きな音を立てた。
「
女性店員は振り向いてレジの惨状を見て、
「は、はい。助かりました……」
青年に礼を言った女性店員の顔は、少し青ざめていた。
「これ治まったらすぐ逃げられるようにしないと……」
「⁉ なっ、何あれ⁉」
青年が言い終わった瞬間、女性店員が叫んだ。
青年が女性店員が見ている方向──上りのエスカレーターがある方向を見ると、枯草のような色に何かが壁のように道を塞いでいた。
それが、青年や女性店員が最後に見た光景だった。
次の瞬間、視界がブラックアウトした。
その日、昼頃に駅前にある複合ビルにいた全員が、行方不明になった。
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