第十話 「ちょっと」とは

 薫の学校の昼休みが終わる頃。


「…………」


 咎はテーブルに置いたノートパソコンを前にして、ぼんやりと、ベランダから見える青空を見ていた。


「……ふゎ……ぁふ」


 咎はじっくり四秒かけ、盛大に欠伸をした。


「……暇だ……。いや、ネットサーフィンだったか? それをやれば時間は潰れるのだが、うーん……」


 咎はノートパソコンに視線を落とした。両手がキーボードの上に置かれていた。

咎は指を動かす事すら億劫そうな口調で、


「しっかし、眠いなぁ……。昼餉ひるげも食べ終えてしまったしな……。あれは何だったか──そうだ、カルボナーラだ。スパゲティ、もしくはパスタといったな。名前の違いで差があるのかどうか……まあ、美味かった」


 そこまで言って、咎は何かに気付いたような表情になって、


「……というか、最近独り言多くなってないか、私……」


 そう呟き、続けて深刻そうな表情になって、


「……マズイな、何か暇つぶしを……暇つぶし……ひつまぶし……は違うか……」


 咎は呟きながら考えたが、いい案は一つも浮かばなかった。


「あー……そうだ、鍛錬でもするか、うん」


 咎は軽く溜め息を吐いて立ち上がり、鍵を取りに向かう。




 外に出た咎は、鍛錬するのに丁度いい広さの空間を探した。

幸い、さほど時間をかけずに、薫と咎が住むマンションからそう遠くない場所で公園を発見した。


「……よし、ここならいいだろうな。木もあるし」


 咎は公園の中央に立ち、周囲を見渡して言った。


「さて、棒切れはないか、棒切れ……」


 咎はそう言いながら、丁度いい棒を見つけるため、公園の中を散策し始める。


「……ない……ない……」


 地面を見たり、植え込みに刺さってないか確認したり、枝に引っ掛かってないかと見上げ、


「な……あ」


 公園の隅に纏めて薪のようにして纏めて置いてあるのを見つけた。


「うーんと……お、あったあった」


 咎は枝の山を漁り、長さ60センチ程の枝を引っ張り出した。折らない程度に力を込めて強度を確かめ、二、三度軽く振って、


「……うん、重さ良し、長さ良し、堅さも良し。これでいいな」


 咎は満足気に頷くと、公園の中央付近に戻った。念のため周囲を確認する。


「……誰もいないな。よし……」


 適当に体を伸ばしてから、腰を落として棒を中段に構える。


「すぅ……はー……」


 咎は呼吸を整え、棒を上段に構え、


「せっ!」


 気合いと共に振り下ろした。

 咎は続けて、袈裟、逆袈裟に棒を振った。構え直して右から左、左から右に真横に振り抜く。最後に、右に振りながら回転しつつ一歩踏み込み、右上に斬り上げた。


 咎は姿勢を戻すと、少し不満そうな表情になった。


「……やっぱり体の調子はいいんだけどなあ……何で中途半端にしか力を使えないのだろうか……」


 咎は暫く考えたが、答えは出なかった。


「……まあ、答えがないなら今はいいか。次……」


 咎はそう呟くと、棒を小袖の帯に雑に差した。

 右手で棒を握り、左手を棒と帯に添える。呼吸を整えると共に精神を統一し──


「──ぜぇえええぇえいッ‼」


 気合いを発しながら、大きく踏み込むと同時に棒を抜き、凄まじい速度で振り抜いた。

 咎は姿勢を戻し、落胆した様子で溜め息を吐いた。


「……駄目だ、遅い。もっと速く……」


 咎はそう言いながら帯に棒を差し直そうとして、公園の入り口の方から視線を感じた。

 顔を入り口の方に向けると、ランドセルを背負った小学三年生程の男の子が三人いた。口をポカンと開けたまま咎を見ている。


「……あー……」


 咎は、引き攣った笑顔を浮かべた。





 放課後。


「……駅前の電気屋に警察入ってたの何だったんだろう……?」


 薫はそんな事を呟きながら、薫は自宅に帰ろうとしていた。


「……ん?」


 薫が近所の公園に差し掛かろうとした時、公園から子供達の歓声が聞こえてきた。


「何だなんだ?」


 薫が公園を見ると、



「──トゥアッ!」


 咎が、〝前方へ跳躍しながら後方宙返り〟という凄まじいアクションを小学三年生程の男の子十数人に向けて披露しているのを見た。歓声は男の子達が発していた。



「……ええ……何してんのあれ……」


 薫が困惑していると、咎が薫の方を向いた。



「──あ、薫か! おーい!」

「呼ばれたし……」


 薫が咎のいる場所に向かうと、咎は少し困ったような笑顔を向けてきた。


「何やってんですか咎さ──」


 薫が咎に話しかけようとすると、


「え⁉ 兄ちゃんサムライのねーちゃんの知り合いなの⁉」

「兄ちゃんもサムライ⁉ サムライ⁉」

「棒振ってー!」

「ジュース飲みたーい」


 そんな事を言いながら、子供達にあっという間に取り囲まれた。


「へっえっちょっ⁉」


 薫が困惑していると、咎が苦笑いしながら話しかけてきた。


「あははは……いやあ、鍛錬を見られてしまってな……」

「どんな鍛錬見せたらこんな事態に……」


 咎が薫に答えようとすると、男の子の中の一人が二人に話しかけてきた。


「ねーねー、兄ちゃんとサムライのねーちゃんどっち強いのー?」


 その問い掛けに咎は少し考えて、


「……薫、何かやってたりするか?」

「え、えーっと……その……ちょっとだけ……体力作り程度に、剣術っていうか、その……」


 薫が躊躇しながら言った瞬間、子供達が一斉に話しかけてきた。


「え⁉ 兄ちゃん強いのか⁉」

「スゲー! 兄ちゃんもサムライなの⁉」

「チャンバラやって見せてー!」

「ねージュース買いに行こうってー」


 子供達の食いつきっぷりに、薫は困惑する。


「お、おおう……」


 声を漏らしながら咎を見ると、


「……薫、これはちょっとやらないと開放してくれないと思うぞ」


 そう言った咎の瞳は、獲物を見つけた肉食獣のようになっていた。


「マジっすか……」

「ああ。得物はどうする?」

「えー……じゃあ、咎さんと同じ感じのを……」

「そうか。来てくれ、棒切れはここの隅で拾ったんだ」




 薫が棒切れを拾った後、二人は公園の中央まで戻ってきた。

五メートル程離れて、二人は対峙する。


「棒切れ持って来といて何ですけど……本当にやるんですか?」

「当然寸止めにするぞ?」

「いや、でも……」

「あー……子供の目が眩しいけどいいのか?」


 咎に言われて、薫は目だけを動かしてブランコの柵の内側にいる子供達を見る。


「綺羅星のようだろう?」

「そうっすね、キラッキラっすね……」


 薫は暫く子供達を見て、視線を咎に移した。目を閉じ、深呼吸をする。


「……分かりました、や、やります!」


 咎は薫の表情を見て、顔を綻ばせる。


「……ふふ」

「な、何です?」

「いや、何。……剣士って言えばいいのか? そんな顔してる」

「そう……ですか?」

「ああ。じゃあ、やろうか」

「……はい」


 薫は頷き、棒を中段に構えた。

 咎は少し意外そうな表情になり、すぐに表情を引き締めた。下段に構えると同時に薫目掛けて突っ込む。


「⁉」


 咎は瞬時に上段に構え直し、一気に振り下ろす。


「うわっ⁉」


 薫は驚きながら、咎の太刀筋に合わせて真っ直ぐに振り下ろした。


 二人の棒は同時に後方に弾かれた。

 薫が尻餅を突いたのを見ながら、咎は後方に下がる。


「え、何? 今の何?」


 薫が困惑しながら咎を見ると、


「……薫、本当に体力作り程度なのか?」


 咎も困惑していた。


「いや、真面目に体力作り程度ですって……」


 薫はそう言いながら立ち上がり、中段に構え直して数歩下がった。


「そうか……そうか!」


 咎はそう言いながら踏み込み、籠手打ちを放つ。


「──っ!」


 瞬間、薫は左足で半歩下がりながら棒を僅かに動かし、咎の太刀筋を逸らした。続けて一歩踏み込んで二の腕を狙って棒を小さく振る。


 咎は太刀筋を逸らされた瞬間に右回りに回転し、右斬り上げで薫の棒を弾く。


 薫は弾かれた反動を利用して左回転し、踏み出された咎の左足を掬い上げようとする。


 咎は一歩下がってそれを回避し、続けて大きく踏み込んで薫の首に向かって棒を振る。


「う──⁉」


 薫はそれに驚き、思わず目を瞑った。


 薫の首に、衝撃は走らなかった。


「…………?」


 薫が目を開けると、棒は首のすぐ手前で止まっていた。


「う……」

「……ふふ、私の勝ち」


 咎は少し得意気に笑った。


「……う、あー……」


 薫は少し考えて、


「……降参します」


 降参して、棒を手放した。

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