第十一話 着替えと地下一階

「ふう、誰かと鍛錬するのは久しぶりだったな」


 薫の家に入るや否や、咎は楽しそうに言った。


「あの子等、皆いい子だったな」

「すっごく元気でしたね……」


 薫は疲れた様子で言った。


「ん、薫は子供苦手なのか?」

「あ、いや……嫌いじゃないんですけど、接し方が分からないというか……」

「……そうか」


 言いにくそうに答える薫を見て、咎は取り敢えず、といった風に頷く。


「あ、でもいい子なのは分かりましたよ、はい」

「ああ。鍛錬を見せてあんなに喜ばれたのは初めてだな……」

「鍛錬って……俺、一方的に叩きのめされてたような……」

「一方的? 一方的だってぇ?」


 苦笑する薫に向かって、咎が突っかかる。


「あのな薫。……もう一回確認するけど、本当に体力作り程度にしか剣を学んでいないんだよな?」

「あ、はい。そうですけど」

「本当の本当に、だな?」

「いやだからそうですって……」

「だのに、薫は私の剣を二度も捌いてのけたんだ。……驚いた、凄かったよ」


 咎は嬉しそうに言った。


「……ですか?」

「ああ」

「……ですか」


 薫は取り敢えず、といった感じに頷いた。


「そうだって。……さっきので汗かいちゃったな」

「あー、そう言われてみれば俺も……」


 薫は、先程の試合で大量の冷や汗をかいていた。


「先にシャワー浴びてきていいか?」

「あ、はい、どうぞ。まだ使ってないタオル、脱衣所にあるんでそれ使ってください」

「ありがとう。じゃあ、先に」


 咎はそう言って風呂場に向かおうとする。


「……え、ん? ちょ、ちょっと待ってください⁉」


 薫が慌てて咎を呼び止める。


「うん?」


 咎が振り向いて聞き返す。


「咎さん、そういえば着物っていつもどうしてるんですか?」

「どうしてるって、何が?」

「あー……何て言うか、時々着物の色とか柄が変わってるなーって気がして……」


 薫に言われて、咎は何かを思い出した表情になって、


「ああ、そう言えば言ってなかったか?」

「え、何がですか?」

「まあちょっと見ててくれ。その方が早いから」

「は、はあ……?」


 薫が首を傾げて疑問符を浮かべていると、咎も同じように首を傾げた。


「うーん……よし、こういう感じにしようか」


 咎は頷くと、両手を目一杯広げて、打ち合わせた。

 パン、という音が鳴る。同時に、咎の着物の色が黄褐色から鮮やかな赤紫色に変わった。少なめに散りばめられていた花は白に変わる。


「…………」


 薫が唖然としている中、咎は満足そうに頷く。


「……良し、成功。昔はこういうの着てると禁色(きんじき)がどうのって五月蠅かったからなあ。文様もそうだったけど……」


 咎が着物を検分する光景を、薫は唖然として見た。


「……え、何? 魔法?」


 薫はどうにかそれだけ言った。


「魔法かは知らんが、母方の血の力だ。色々便利なんだが、やりすぎると腹が空いたり貧血になるんだよな……」

「ええ……風呂上上がりに貧血とか危ないですよ……?」


 心配そうに言う薫を見て、咎は少し慌てて言い繕う。


「あ、いや、着物くらいなら貧血にはならないから、心配しないでくれ」

「ホントですか?」

「うん、本当に。信じて」

「……ならいいですけど」

「あー、で、ではシャワー行ってくる、うん」


 咎はそう言って、逃げるように脱衣所に向かった。




 束の間の逃走を終えた咎は、タオルで頭を拭きながらリビングに戻ってきた。


「薫―、終わったぞー」


 咎は間延びした声で薫を呼んだが、返事はなかった。


「どうした? 浴びないの──」

「すいません、少し静かにしてください!」


 薫が大声を出して咎の言葉を遮る。

 薫の視線はテレビに向けられていた。丁度始まったばかりのニュースが、〝今日の昼頃、津野つのはら市の駅前の複合ビルにいた人々が忽然と姿を消した〟という速報を伝えていた。


 それを聞きながら、咎が疑問を口にする。


「……? どういう事だ? 真っ昼間に、誰にも気づかれる事なく、沢山の人が突然いなくなったと?」


 咎が念を押すように聞き返す。


「……らしいです。聞いてる感じだと」

「……気になるな。見てくる」

「えっちょっ」


 薫が振り向くと、咎は既に玄関に向かっていた。


「薫も来るか?」

「いや来るかって……何で咎さんだけでも行く前提なんですか?」

「そりゃあ、化獣の仕業なんじゃないかって思ったからさ。普通の人間でも出来なくはないのかもしれないけど、それでも嫌な予感がしたから」


 咎はそう言いながら、淡々とドアノブに手を伸ばそうとする。


「いやまあ、確かにそうですけど、今から行っても見せてもらえないですって、俺等一応一般人って事になってるんですし」


 薫はどうにか止めようと食い下がった。


「テレビを見る限り、見張りを潰せばどうとでもなるのだが」

「いや、人に見られるでしょうって! 入り口一つしかないし大通りに面してるんですよ⁉」


 そう言われて、咎は漸く再考して、


「……それもそうか。よし、じゃあこうしよう。夜襲……いや夜襲じゃ語弊があるな。兎に角、真夜中になって人気がなくなってから──」




 真夜中。


──嫌だー、怖い、行きたくない……!


 薫はそう思いながら、ビルの入り口に向かって歩いていた。


──わー、うわあぁーっ!


 薫が心の中で絶叫しながらビルに入ろうとすると、その手前にいる警官が足止めしてきた。


「申し訳ありません、現在立ち入り禁止です」

「あー、何かあったんですか?」

「……君テレビ見てないの?」


 警官が呆れた様子で聞く。


「バ、バイト帰りなんです」

「あ、そうなんだ。えっと、現在事件が──⁉」


 警官が言いかけたその時、突然その背後から二本の腕が警官の顔に伸び、口を塞ぎ、喉に絡み付いた。

 腕は一瞬で警官を締め落とし、気絶させた。


「これで良し……」


 腕の持ち主──咎はそう呟き、腕を緩めた。警官を地面に横たえる。


「本当にいいのかなあ……」

「いいの。じゃあ、見てくるから、この人を頼むな」


 咎が周囲を警戒しながら言った。


「あの、灯りいらないんでうか?」

「大丈夫、夜目は凄く効くんだ、凄く、ね」

「は、はぁ……」


 薫が頷くのを見て、咎はビルに入っていく。





 一通り捜査が終わったからか、ビルの中は照明が殆ど点いていなかった。非常灯だけが室内を不気味に照らしている。


「──ああは言ったものの、気絶させた都合上、少ししか調べられないからな……」


 咎はそう呟きながら、各階の案内を見る。


「……地下だな」


 咎はそう言って、停止して階段と化しているエスカレーターを下に降りていく。




 地下一階も、一階と変わらず暗闇に包まれてた。

 咎は足音を立てないように注意しつつ、エスカレーターを中心として円を描くように見ていく。

 特に痕跡らしい痕跡を見つけられないまま、最後にパソコン用品売り場に入る。


「……あ、これいいやつだって見たな。……高いけど」


 十六万円のノートパソコンを見て呟いた瞬間、咎は、何者かの気配を感じ取った。


「──っ!」


 咎は猛烈な速度で振り向いた。右手にはどこからともなく出現した苦無が握られていたが、


「…………」


 それを振るう相手は、どこにもいなかった。


「……隠れ……いや、逃げたか……?」


 咎は考えを口にしながら、気配を感じた場所に近付く。


「……血生臭い、振り向くまでいたな……」


 咎はそう呟いて、臭いを追っていったが、


「……あれ、臭いが消えた……」


 咎は驚いた様子で呟いた。


「どうして……?」


咎は周囲を歩き回ったが、臭いの痕跡を見つける事が出来なかった。


「……ない……」


 咎は呟いて、少し考えて、


「……仕方ない、戻ろう……時間もそこそこ経ってる」


 諦めて、外に出る事にした。



 咎は、一階に上がる自分を見る何者かの気配に気付く事はなかった。

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