第十二話 考察/暗躍

「……あの、聞こえますか? 大丈夫ですか?」


 男性警官は声を聞いて、ゆっくりと目を開けた。


「……ああ、良かった」


 声の主は、十代中頃の少年だった。その後ろには、十代中頃に見える着物姿の少女がいる。


「う、あれ……俺は……」


 警官は起き上がると、何度か頭を振った。


「何か、話してる途中に急に気を失って倒れちゃったんですよ? 大丈夫なんですか?」

「そうなの……?」

「ええ、私も見ました」


 少女が言った。


「えっと、貴女は?」

「ああ……ええと、貴方が倒れるところを、たまたま通りがかったのです。急に倒れたので、私も驚きました」

「そ、そうか……いえ、そうですか……」

「大丈夫、ですか? 病院行きますか?」


 少年が心配そうに聞いてきた。


「いえ、大丈夫です。最近忙しかったから、たぶん知らない内に疲れていたんだと思います」

「ですが……流石に心配です……」


 少女も心配そうな表情になる。 


「大丈夫です。ちゃんと交代しますし、その時に上がる事にしますから」

「……本当にそうしてくださいよ?」

「ええ」

「じゃあ……失礼します。行こう」


 少年はそう言うと、少女を連れて去っていった。


「…………疲れてるのかなあ、俺……」


 去っていく二人を見ながら、男は呟いた。





 自宅に戻った薫と咎は、テーブルを挟んで向き合って座った。


「まさか、あんなにあっさり騙せるなんて……」

「上手くいっただろう?」


 咎は、どこか得意げに言った。

 薫はそれを見て、微妙な表情を作った。


「行きましたけど……あれ、気絶させる前に交代の人が来てたら危ないですよ……」


 薫に言われて、咎は少し考え、


「……ああ、それもそうだな……。分かった、この手はあまり使わないようにしよう」

「そうしてください……」


 そう言ってから、薫は本題に移る。


「──それで、お巡りさんを襲ってまでビルに侵入したじゃないですか」

「うん」

「どうでしたか? 何か手掛かりとか見つかりました?」

「……あー」


 咎は微妙な表情になって、首を傾げる。


「……え、何ですかその反応?」


 薫に聞かれて、咎は気まずそうに言う。


「いや、一瞬妙な気配を感じたし、気配があった場所には血生臭い臭いが残ってた。ただ、それ以外何もなかったんだ、痕跡が」


 薫は瞬きして、


「何もなかった?」

「ああ。臭いも途中で途切れていた」

「え……じゃあ、けものが原因じゃなかった、と?」


 薫の顔が徐々に青ざめていく。


 無理もない。警察を騙し、締め落とし、その上現場に部外者が入る事を手助けしたのだ。補導どころではないだろう。もしバレたとしたら、一体どうなるのだろうか……薫には検討もつかなかった。


 だが、咎は薫の顔色を見て、安心させるように言った。


「いや、逆だ。化獣が原因で決まり」

「え、でも、何もなかったって今……」

「そう、そこだ。〝痕跡が何もなかった〟というのが肝心なんだ」

「……?」


 薫は暫く考えたが、


「えー……よく分かんないです……」


 咎の意図が解らなかった。


「じゃあ説明しよう……と、その前に聞いておきたいのだが、あのビルは人の出入りが多いんだよな?」

「曜日とか時間帯にもよりますけど、多い方だと思います」


 薫の答えを聞いて咎は何度か小さく頷き、


「では聞くが、人の出入りがあるのに、人間がいた痕跡すらないのはおかしくないか?」


 咎にそう言われたが、薫はそれでも理解できずに聞き返す。


「……ん? つまり?」

「例えば売り物だ。誰かが手に取ったりして、少しはズレたりするはずだろう?」


 薫は自分の行動を顧みて、納得して頷く。


「……ですね」

「なのに、物と物の間が完璧に均等だった。ショーケースだったか、あの透明な入れ物。あれの中に売り物も他のと同じだった」

「……確かに変ですけど、それだけで断定するのはちょっと……」


 そう言われて、咎は少し考えてから答える。


「まあな。でも、例えば化け狐や化け狸が人を化かして狩り場に誘い込む、なんて話はザラにあるだろ? 化獣は妖怪とは違うが」


 そう言われて、薫は、先程とは違う意味で顔を青くする。


「……化獣に、巣穴に誘い込む系っているんですか?」

「いる」

「……マジっすか……」


 薫は、愕然とした。


「ああ。……話を戻すぞ。相手を化かせる能力があるなら、痕跡を何も残さない、なんて事もできる。薫も、私といない時に建物にいる時は気を付けてくれ」





駅の近くにある地下道。


 男が、一人で歩いていた。服装は、初夏に着るには少し肌寒そうな、薄手の黒い着流し。足元、足袋に草履。


 男が向かう先には、男が一人と、女性が二人いた。


 男一人と女性一人は、お揃いの枯れ葉色に黒と黄色の横縞が入った着流しを着ていた。足元は裸足。


もう一人の女性は、黒い小袖に白い帯を締めていた。明らかに苛ついてる表情で、履いている履物をパタパタ鳴らしながら、歩いてくる男を見ている。


 四人の男女は、男同士、女同士、それぞれに全く同じ顔だった。


「……悪い、遅くなった」


 黒着流しの男が、少し申し訳なさそうに言った。

 黒小袖の女性は、少し苛ついた様子で返す。


「遅いわ、本当に」

「ごめんごめん。……その、怒ってる?」


 黒着流しの男が、黒小袖の女性の足を見て言う。


「うん、だいぶ怒ってる。でも、来てくれたから、いい」


 黒小袖の女性はそう言って、口の両端だけで笑った。目が全く笑っていなかった。


「そうか、なら良かった」


 黒着流しの男はそれに気付いたが、特に気に留めずに頷いた。そうしてから、ペアルックの男女に顔を向けて話しかける。


「何故呼んだの、ロクロクビ?」


 呑気そうだった男の声は、急に冷酷な雰囲気を孕んだ。


 ロクロクビと呼ばれた男女が、その理由を話した。


「人間に、我々の子供の食事の痕を調べられました。鬼も、我々に勘付いています」


 男は少し考えて、


「まあ、そうだろうねえ。あのやり方は目立つからねえ」


 まるで他人事かのように言った。


「我々の、子供は、育ってきています。ですが、このままでは、私達も、子供も、いずれ鬼に殺されてしまいます……どうすれば、よろしいのでしょうか……?」


 ロクロクビが、心配そうに聞いた。


 それを見た着流しの男が、何の心配もないかのように答える。


「なあに、あんな卑怯者失敗作、ついでに食らってしまえばいいんだよ」


 男が囃し立てるように言った。


「鬼とてあれの半分は人間だ。食えなくはない」


 女は淡々とした口調で、男に続いた。


 それを聞いて、ロクロクビ達は渋い表情を作る。


「ですが……」

「なあに? もしかして、出来ない? 何なら、僕がやってもいいんだよ?」

「それは……、しかし、危険です。いくら、あなた様方とはいえ、鬼の相手は……」


 ロクロクビの心配を他所に、男が続ける。


「大丈夫大丈夫、危なくなったらすぐに逃げるから、さ」

「大丈夫。私も、いるから」


 黒い小袖の女が言った。


「…………分かり、ました」

「うん。ところでさあ、君達の子供、どのくらい育ってる? 一応、聞いておきたいなあ」


 男が玩具をねだるように聞くと、ロクロクビは質問に答え始めた。


「はい。もう少しすれば、空を飛べるようになりましょう」

「そっかあ。じゃあ、その調子で頑張ろう!」

「…………はい」


 ロクロクビ達は、嬉しそうに頷いた。





 ロクロクビが去った後。


「……さて、今回は上手くいくかなあ?」


 男が、楽しそうに呟いた。

 そんな男を見ながら、女が少し心配そうに聞いてきた。


「……ねえ、本当に良かったの? あんな事信じさせて」

「え?」

「あの鬼が、────だって事」

「……ああ、その事」


 男は思い出したかのように呟き、


「だってさあ、そうでもしないとあの子達は鬼を食わないでしょ?」


 そう言って、凶悪かつ恍惚が溢れる笑みを浮かべた。


 それを見て、女は、


「…………趣味、悪い」


 淡々と言って、少し楽しそうな表情を見せた。

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