第十三話 損ない

 翌日の朝。

 薫は教室に向かいながら、持っている『まが津野原つのはら太平たいへい風土記ふどき』のコピーに目を落とした。


「頭の部分、焼けちゃってたのか……そっかあ……」


 錦田にコピーを渡された際に謝られた事を思い出しながら、薫は残念そうに呟いた。


「でもなあ……錦田先生よりこの辺の郷土史に詳しい人って、誰かいるのか……?」


 薫は考えたが、答えが出るはずもなく、


「……じいちゃんにでも聞いてみるか。うちもそれなりに古い家らしいし……」


 そう呟いて、思案に区切りを付けた。




 薫と咎が住むマンションの屋上。

 咎はうつ伏せになり、目を閉じ、耳を床に付けていた。

 咎は暫くそうしていたが、やがて残念そうな表情になって体を起こした。


「……駄目だ、何も聞こえない……」


 咎はそう言って首を振った。


「……こういう時、陰陽師や声聞師(しょうもじ)なら、式神なり卜占(ぼくせん)なりで居所を割り出せるのだろうが……」


 咎はそう呟きながら、景色を見遣る。

 そうしながら、これまでの事を振り返る。



──何が原因で死んだのかは、正直全く覚えていない。討ち死にしたのか、それとも老いるまで生き延びて、その末に死んだのか……。


──ただ、どんな末路であれ後悔だけはしなかったはずだ。というか、何にでも頼むから、そうであって欲しい。


──でも目を覚ました時、地獄でも極楽でもなく、知らない場所にいた。大いに混乱した。


──薫を通じて、私から見れば遥か未来にいるのだと知って、愕然とした。



 時間をかけて考える内に、咎はそれらを声に出していた。

 それに気付かないまま、咎は声を漏らす。


「……何もかもが変わっている訳ではないはずだ、だが……」



──それでも、変わりすぎている。



 咎はその言葉だけは飲み込み、代わりに息を吐く。


「……こういうのを、感傷に浸る、といったか。よそう、柄じゃない……」


 咎はそう言って立ち上がり、屋内に入ろうとして、


「──っ!」


 目を見開き、振り向いた。


 それ程遠くない場所で、幾つもの黒煙が立ち昇り始めていた。


「……大変だ……」


 咎は呟くと、一旦右手で拳を作り、すぐに開いた。

 そこには、一対の火打ち石があった。


「本当は薫とかにやってもらいたかったんだけど……」


 咎は呟くと、火打ち石を打ち合わせ、自分に掛けるかのように火花を散らさせた。


「──急ごう!」


 咎はそう言うと、煙が立ち登る方角へと跳び立った。





「──ぅ、あ……⁉」


 自分の席に座った瞬間、薫は苦しげな表情になった。


──頭、いたっ……⁉


 薫はそう思いながら、テナガが出現した時のような不快感にも襲われている事に気付いた。


「な、何、大丈夫?」


 櫛田の声に答えずに、薫は立ち上がる。


「い、行かなきゃ……」


 薫はそう言って、教室の外に向かおうとして、


「ちょっと待ったどこに行くつもり?」


 ドアの前で、錦田に足止めされた。


「……その顔、サボりとか忘れ物とかお手洗いって感じじゃないけど」

「……その……行かなきゃならないんです」

「どうしても?」

「えっと……」


 薫は言葉を詰まらせ、目を伏せた。

 どう答えるか考え抜いた末に、薫はそれを口にする。


「……どうしても、行かないといけないんです。──そんな、気がするんです!」


 薫はそう言って、錦田を見据えた。

 錦田は薫の両の瞳を見て、


「……分かった。いいよ、行って」


 あっさりと言った。


「いいんですか⁉」

「うん。早退にしとくから」

「……ありがとうございます! じゃ、行ってきます!」


 薫はそう言って、教室を飛び出して走り出した。

 錦田は脇に避けてそれを見ながら、ぽつりと呟く。


「頑張ってね」





 咎が黒煙の立ち昇る場所──百貨店周辺に到着する頃には、かなり火の手が広がっていた。


「……おかしい、人がいなさすぎる」


 咎はそう言いつつ、周囲を見渡す。

 周囲には、避難する人はおろか、警察官や消防士の姿すらなかった。


「避難しただけならいいが……」


 咎がそう言って歩き出そうとした瞬間、


『そんな都合のいい話がある訳ないだろう』


 咎の耳元で、男と女、二人分の声が聞こえた。


「──っ!」


 咎は手の中に苦無を出現させ、振り向きながら背後を薙ぎ払った。


「物騒だな」「物騒ねえ」


 背後──苦無が届かないギリギリの場所に、一組の黒衣の男女が立っていた。

 男女は共に長身痩躯で、


「……お前達は」


それぞれ、 あやかし童子どうじかいの人間態と同じ顔をしていた。


「あら、知り合いだったかしら?」

「……ああ、会ったよ。何時だったかは忘れたけど」


 睨みつける咎を見て、男女は面白そうに嘲笑った。


「何が可笑しい⁉」


 怒鳴った咎を見て、男が笑いを堪えながら言う。


「……ふふ、ははは。忘れた、か。なら教えようか?」

「……何?」


 怪訝な表情になった咎に、女がもったいぶらずに告げる。


「答えは簡単。私達が、


「────」


 咎は、すぐに反応出来なかった。


「……何、だって……?」


 女は硬直した咎の目の前まで歩き、その頬を撫でた。


「言葉通りの意味よ。私達がお前の生みの親。体だけだけどね」


 続けて男が咎に近付き、背後に回った。咎の左肩に両手を置き、まるで歌うかのように話を続ける。


「戯れに、余った部品で人間みたいな外見の身体を作ったはいいが、そこに魂が生まれなくてね。困っていたんだ」

「それから少しして、何かの魂の残骸を見つけたの。残骸と言っても、随分と綺麗に残っていたけれど」


 男女は、交互に咎に語り掛けてきた。


「……まさか」


 咎が当たって欲しくない考えを口にしようとした瞬間、男がそれを遮った。


「そう。それが、今モノを考えているお前」

「お前は誇りのある侍でも、命を喰い荒らす化獣でもない」

「お前は残り滓」

「お前は中途半端」

「お前は何者でもない」

「お前は何も出来ない」

「お前は、出来損ない」


 男女は交互に捲し立てると、咎から離れた。


「…………」


 咎は、その場に座り込んだ。


「……頃合いか」


 男がそう言った直後、黄色と黒の横縞が入った枯葉色の着流しを着た男が現れた。

 黒衣の男が、着流しの男に命令する。


「もう抵抗はしないだろう。このまま食わせてやれ」

「わかり、ました」


 着流しの男は返事をすると、咎の衿を掴み、引き摺って、百貨店に向けて歩き始めた。


 咎からの抵抗はなく、着流しの男が百貨店に入ろうとした、その時だった。


「おや、あれは──」


 はじめに、女が気付いた。


 通りの向こうから、誰かが全力疾走で向かって来ていた。




 誰か──薫は、通りの端から全速力で駆け出した。右手には、来る途中にあった工事現場で適当に拾った鉄パイプ。


薫は、着流しの男に向けて真っ直ぐに向かうと、男の数歩手前で大きく踏み込んだ。鉄パイプを振り上げ、


「わああああっ!」


 やや情けない声を上げながら、着流しの男の頭に振り下ろした。

 男の頭部に鉄パイプが激突し、鈍い音を立てる。


殴られると同時に、男は咎を放り捨てるように手放していた。


 咎が地面に転がる。硝子のようになった半開きの瞳に、薫と男が映る。


男は左手で鉄パイプごと薫の腕を真上に跳ね上げると、その手で薫の首の付け根から左腰にかけてを切り裂いた。



 薫が男に体を引き裂かれ、数メートル程吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた瞬間。


 硝子のようになっている咎の瞳に、光が灯った。


 瞼がゆっくりと持ち上げられ、それと同時に音もなく立ち上がる。



「──ふざけ、やがって」


 着流しの男はそう言いながら、薫ににじり寄る。表情や声色に変化はないが、明らかに怒り心頭の様子だった。


「死──」


 男が言おうとした瞬間。


 男の胸の中央から、短刀程の長さの刃が生まれた。


 男に忍び寄った咎が、背後から刀を突き立てていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る