第八話 見て見ぬふりして怯えないふりして

 巨大な化獣・テナガが出現し、咎が大立ち回りを演じた。

戦いの末に、テナガは咎に撃破された。

そして一日をかけ、事態は少しずつ収束に向かい始めていた。




翌日の朝。


「…………」


 薫は、校門の前にいた。そこから見える校舎や別棟を見上げていた。


「……教室行きたくねー……」


 薫はぼやいた。


「行きたくねー……行きたくねー……」


 薫はブツブツと言いながら校舎に入り、廊下を歩く。


「……入りたくねー」


 文句を呟き続け、薫は教室の前に辿り着いた。


──だってさぁ、俺、真っ先に何も言わずに逃げちゃったんだよ? ……一人だけ逃げるとかさ……何されても文句いえないじゃん……。


──せめて、誰も、死んでなければ……いいんだけど……。


「…………」


 薫は泣きそうな顔を無理矢理引き締め、教室のドアを開けた。


 テナガに叩き割られた窓は、板で塞がれていた。

それを確認した直後に、教室中の人間の視線が、一斉に薫に突き刺さる。


──あーもうほら言わんこっちゃないやっぱり来なきゃ良かったってあれほど


「薫……!」


 櫛田が席を立ち、薫に駆け寄って、


「良かった、無事だったか……!」

「は、え?」

「いやだって、何も連絡寄越さないしさ」

「あー……」

「……その顔、まさか忘れてた?」

「う、うん、ごめん」


──本当は連絡する事すら怖かったんだけど……。


「……まあ、あんなのに追いかけられたらそりゃ忘れるか。とりあえず入れよ」

「うん……」


 薫は櫛田に連れられ、自分の席に座った。

 こっそり周囲を確認すると、自分に敵意のある視線を向ける者はいなかった。

 目の前の、いつも通りの友人を見て、薫は聞く。


「お、怒ってないの?」

「何で?」

「だってほら、俺、一人で逃げっちゃったし……」

「あー……」


 櫛田は納得した表情になって、


「や、別に?」


 すぐに否定した。


「そりゃ『一人で逃げやがった』って思ったりはするだろうけど──つか俺も思ったけど、面と向かってキレるのは違うだろ」

「そ、そう……?」

「うん。俺は寧ろ、連絡なかったから心配してた。逃げた後、あのまま殺されちまったんじゃないかってさ……」

「……それは、ごめん……」

「うん」

「うん……」


 薫は少しだまって、それからほんの少し気を取り直して、控えめに、慎重に切り出す。


「あ、のさ。その……誰も、怪我、してないよね? その、窓際にいた人とかさ」

「ああ、それなら安心してくれ。誰も怪我してねぇよ。ショックを受けたから休むってやつはいたけど」

「良かった……」


 薫は、漸く安心した表情になった。





 放課後、薫の自宅。

 

「ただいまー……」


 薫はそう言いながら、部屋の中に入った。


「……疲れたな……」


 薫がそう呟きながらリビングに向かうと、


「あら、寝てるし」


 咎が床に寝転がっているのを見つけた。


──起こしちゃマズイか。


 薫はそう思い、リュックを静かに床に置こうとして、


「……ん?」


 咎の額から、彼女が姿を変えた時に鉢金に付いている金属質な角が二本生えている事に気付いた。


「え……あれ?」


 薫は失礼にならない程度に顔を近付け、咎の角を観察する。


「……直接、生えてる……?」


 薫は小さく呟いた瞬間、咎の両瞼が持ち上げられた。


「…………」「…………」


 二人は見つめ合う形になっていた。


 先に動いたのは、薫だった。何も言わずに、そっと顔を、体を遠ざける。

 咎はそれを見据えながら上体を起こし、正座の姿勢を取る。そっと額に手を遣り、二本の角を触り、


「……角を見てたな?」

「えっ……あー……」

「見てたんだな?」

「…………はい」

「どう見える?」

「その……おでこから直接生えてるように……」


 薫がそこまで言った瞬間、咎が溜め息を吐いて脱力した。


「だよなあ、そう見えるよなあ……」

「え、えーと、それ、どういう反応をすれば……?」

「私にも判らん……」

「そ、そっすか……」


 薫が視線を下げた。


 室内が何とも言えない──気まずいとでも言うべきか、そのような空気に満たされる。

 二人は黙りこくり、視線を下に落とした。


 暫くして、咎が口を開く。


「あ、のさ、薫、その……言ってなかっただろう? 私がどういう奴なのか」


 咎に言われて、薫はどうにか顔だけ上げた。


「あ……はい、その、聞かないようにしてました」

「そう、か……や、その……い言おうと思って、今から」

「い、今から?」

「今言わないと、もう言えない気がするから」

「…………」

「だからその、目を逸らさないで聞いてくれないか?」

「え……あ、はい……」


 咎に言われて、薫は、ほんの少しだけ逸らしていた目を咎にしっかりと向ける。


「じゃあ……」


 咎は何度か深呼吸をして、真っ直ぐに薫を見る。何度か口を開けては何かを言いかけて止め、意を決した様子で、言葉を紡ぐ。


「私は、見ての通りその、鬼、なんだ。人間と鬼の……当世風に言えば、ハイブリッドとか言うのか、そういうのなんだ。証拠は、その、今も額に……」

「お、鬼、ですか……」

「ああ。六代前の父方の先祖が人間で、その先祖様が鬼と……いや、この話はいい。ややこしいから。もっと話すべき、大事な事があるから」

「大事な事……?」


 ──自分の正体以上に大事な……?


 薫が疑問に思っていると、咎がすぐに答えを提示した。


「それで、その……元弘三年に死んだはずなんだ、私は」

「元弘、三年……?」


 薫は少し考え、


「室町時代で……1333年……685年前……?」


 興味本位で調べた知識から、答えを導いた。


「……だよなぁ、そのくらい、経ってるよな……」


 咎はそう言うと、肩を落とし、落胆した表情になった。


「え……そのあの、追い詰めるとかそういうのじゃないんですけど、証拠は? 嘘、とは、思えないんですけど」

「ない……な。直接証明出来そうな事は。……ちょっと待っててくれ」


 咎はそう言うと、薫の部屋に入り、分厚い本を持ってきた。


「直接証明出来そうなことはないから、だから今日、図書館に行ってきたんだ。これを見つけるために」


 咎はそう言うと、本をテーブルに置いた。


 薫は本のタイトルを声に出した。


「これは、今売っている、津野原つのはらの郷土史……?」

「ああ。この本に見つけたんだ、私の記録」


 咎はそう言うと、郷土史の室町時代のページを開き、一ヶ所を指差す。


 そこには、『禍津野原太平風土記に記載された伝説によると、百日紅さるすべり とがという女性の侍が、この時期に多くの邪悪な存在を討ち果たしたとされている』と、短く記載されていた。


「……マジか」

「あくまで伝説、となっているがな……」

「…………」


 薫が返答に迷っていると、咎が訥々と、弱々しい声で話し始めた。


「その……不安、なんだ。あの時確かに死んだ筈で、でも気が付いたら、駅前の椅子に座ってて……。着物も食べ物も建物も、何もかも、変わってて……自分の証明するにも、たったこれだけしか証拠がなくて……」

「…………」

「身寄りなんて当然なくて、残ってたのは、この力だけで……」

「……咎さん、その……」

「薫を助けて、家に転がり込んだのは、打算ではあったんだ。でも……それでも、拒絶されたらって思うと……怖いんだ、正直に言うと……」


 今にも消え入りそうな声で思いを吐露する咎に、薫は、


「……その、何が起きたのかは、分かんないですけど、でも、俺を助けたのは、間違いないじゃないですか。打算があったとしても」

「……薫」

「怖いですよね、拒絶されるの……俺も、そういう事あったんで」

「……そう、か……」

「たぶん……たぶんですけど、生き返ったんなら、意味があると思うんです。……咎さんって、その、戦ってきたんですよね、化獣と」

「ああ……化獣ばけものの殲滅が、一族の、特に当主の、やるべき事だった」

「じゃあ、そう、すればいいんじゃないんですか?」


 薫の言葉を受けて、咎は悲しそうに笑った。


「それを理由に生き返らせられたのなら、死人に頼らないといけないくらい手が足りないのだな……」

「……それは」

「いや、いいんだ。実際、化獣がどれだけいるのか、分からないから。ひょっとしたら、終わりがないのではと思うくらいには……」

「そんな……」

「…………」


 咎は少し黙って、突然、両頬を叩いた。


「え、な、何ですか?」

「……そう」

「へ?」

「いや、単純に、今は少し目を逸らそう、という事だ。当面の目的は決まったしな」

「え、え?」

「当面の目的は、『これからも出るであろう化獣を討つ事』と、『私自身が何者なのかを調べる事』、だから」

「そ、それはそうなんですけど……」


 言い淀む薫に、咎が笑いかける。


「だから、この話は一旦保留だ。辛すぎるから、目を逸らす。すぐにどうなる訳でもなさそうだし」


 咎はそう言い切って、立ち上がった。


「さて、気分転換に……そうだな、アイスを食べようか。薫の分も持ってくるよ」


 咎はそう言って、キッチンに向かっていった。


「何というか……強いひとって事で、いいのかな……」


 薫は、咎の後ろ姿を見て呟いた。

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