第三話 カップ麺に化獣添えて
薫が怪人を見送った直後、
「……逃がしたか……」
少女が、力なく呟いた。
「あ、あの……」
薫が少女に近付こうとしたその時、
……きゅう。
唐突に、小さく音が鳴った。明らかに腹の音だった。
「……お腹減った……」
音の源は少女の腹だった。同時に甲冑が白い光の粒子になって飛び散り、鎧小袖も元の着物に戻る。
「え、ええ……?」
薫が困惑していると、少女が、両手でお腹を抑えながら話しかけてきた。
「あー、少年、怪我はないか?」
「へっ?」
「テナガ……さっきのヤツに馬乗りにされてただろう?」
「え……あー、大、丈夫……です」
「そうか、なら良かった……」
「や、というか、あなたの方が……」
「いや、大丈──」
きゅう。
「…………」「…………」
再び腹が鳴って、二人は同時に黙った。
暫くして、少女が口を開く。
「いや……あー、腹が無事じゃない」
「あ、はい……」
「可能なら、何か食べ物を恵んでくれるとありがたい。雨風を凌げる場所も」
「は、はい……はい?」
薫は一度返事をして、一度聞き返した。
「えー、っと……」
薫は言いながら考え、
「……お礼を要求してます?」
思いつきで聞いた。
「ああ」
「えー……いや、ご飯は構わないんですけど……」
「ん……なら、少年を襲ったアレの事を知る限り話す。どうだ?」
「いや、どうって……」
「知ってた方が、身を守れると思うが……」
「えー……」
「あー、このままだと飢え死にかなぁ……」
少女がまるで他人事のように言った。
「なっ……ンな言い方までする事ないじゃないですか!」
薫が声を荒らげる。
「……別に怒鳴らなくてもいいだろ」
「あ……」
薫は我に返ったような表情になり、肩を落とした。
「その……すいません」
「いや、いいよ。それよりも、助けてくれるとありがたいかな」
「……分かりました。お礼、します」
薫が、どこか諦めたように言った。
少女は、申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
「ありがとう。助かる」
「あ、えと、立てます?」
「多分……」
少女は腕に力を込めて、体を跳ね上げるようにして立ち上がった。
「大丈夫だった」
「良かった……って、あ」
「どうした?」
「その、そういえば名前って……」
薫が思い出したように言って、少女が以外そうな表情になる。
「……名乗らなかったか?」
「はい……お互いに」
「そうなのか」
「はい……じゃあ、あの、俺から。
「剣崎……薫、でいいか?」
「あ、はい」
「解った。私は、
「ただいまー……誰もいないけど」
薫はそう言いながら、マンションの二階にある自宅の鍵を開けた。
「『誰もいない』?」
真っ暗な部屋の中を覗き、咎が薫に聞く。
「一人暮らしでして……その、諸事情あって」
「……そうか」
咎は、薫が言いにくそうに答えたのを見て、それ以上は聞こうとしなかった。
「まあ……その、どうぞ」
薫は咎を見て言って、部屋の中に入り、電気を点けた。玄関で靴を脱いで揃え、廊下を進む。
咎は部屋に入り、ドアを閉めた。鍵を閉めるのに少し手間取った。草履を脱いで薫の靴の隣に並べ、廊下を進む。
廊下の先はリビングだった。家具は少なく、あまり生活感がなかった。
「本当にここに住んでるのか?」
咎が怪訝そうに部屋を見渡す。
「住んでます……。えっと、もう夜遅いですし、簡単なので大丈夫ですか?」
「ああ、構わない。食べる事が重要なんだ」
「あ、はい。じゃあ……」
薫はキッチンの前で立ち止まり、振り向く。背の低いテーブルを指し、咎に言う。
「あ、えっと、そこで、待っててください」
「解った」
咎は頷くと、テーブルの前に向かい、正座の姿勢で座った。
薫はキッチンに入り、数分と経たずに出てきた。先程買った醤油味のカップラーメンを両手に持ち、咎の方に向かう。
それを見て、咎が驚いた様子で薫に話しかける。
「ちょ、ちょっと待て」
「え、はい?」
「いや……それ、何だ?」
「カップ麺ですけど……あ、熱いんで置いていいすか?」
「ああ、湯気出てるし……あ、いや、置いてくれ」
「? はあ……」
薫は怪訝な表情をして、カップラーメンをテーブルに置き、咎の向かい側に座った。
「あ、これも……」
薫は、カップ麺の下に敷いて持ってきていた箸を咎のカップ麺の蓋に置き、自分の分も同じように置く。
「ああ、ありがとう。……カップメン、か。そんな名前なのか」
「……はい?」
小さく呟いた言葉が聞こえ、薫が首を傾げる。
「え、あ、いや……食べ物だよな、うん。……早すぎやしないか?」
「え、カップ麺なら普通じゃあ……? お湯注いで三分から五分の間で食べれる、って……」
「早いな……」
「ええ……?」
薫は困惑したが、咎が黙ってしまった事で会話が途切れてしまい、話しかける事が出来なくなってしまった。そうしている内に三分が経った。
「あ、えと……」
「出来たのか?」
「……えっと、三分経ったんで……」
薫は箸を持ち、カップ麺の蓋を開けようとして、動きを止めた。
「……開け方、知ってます?」
「分からない、教えてくれ」
「おおう……えっと……あー、じゃあ、見せますんで……」
薫はそう言うと、カップ麺の蓋をゆっくり開けて見せた。
「ほう……」
少女は興味津々といった様子でそれを見て、
「……こうか?」
見よう見まねでカップ麺の蓋を開けた。
「合ってるか?」
「ええと……完璧かと」
「なら良かった」
「ああ、『メン』って、麺か……」
「へ?」
「いや、何でもない」
薫は何度か目を
「…………」
少女はそれを少し見てから、箸を手に取り、ラーメンを食べ始めた。
数分後。
「食べた……」
「ああ……私もだ。美味かった」
薫と咎は、カップ麺の中身を平らげた。
「それは何よりです……あ、じゃあ片付けてきますね」
薫はそう言うと、咎のカップ麺を引き寄せ、自分の分と一纏めにする。
「助かる」
「いえいえ」
空のカップ麺を両手に持って立ち上がった薫を見て、咎が言う。
「片付けて戻ってきたら、さっきの化け物の事、説明するから」
「え?」
薫は首を傾げ、
「……あっ」
何かを思い出したような表情になった。
「……え、まさか忘れてた?」
「今さっきまで……」
「嘘だろ……」
「いや、そう言われましても……じゃあ、すぐ戻ってきます」
薫はやや強引に会話を終わらせ、キッチンに向かった。
空のカップ麺を片付けた薫は、リビングに戻った。
「終わったのか?」
「あー、はい……一応」
薫は曖昧な返事をしながら、咎に向かい合って座った。
「……そうか」
咎は一応といった風に返し、咳払いをした。
「……さて、約束だったな。さっきの化け物の事を話そう」
「はい」
「……奴等は、『
「バ、ケモノ……?」
聞き慣れない発音だったために、薫が聞き返す。
「『化』ける『獣』で、化獣だ。鳥や獣を模している事が多い怪物だから、そう呼んでる」
「化獣……」
「ああ。大きく分けて、父と母の役割を持つ
「何で、人を襲うんですか……?」
薫の疑問に、咎が答える。
「子供がいる、と言ったろう? それを育てるためだ」
「え、餌……」
「ああ。人間は賢いし強いが、その分色々と弱いからな。数も多いし、動物を狩るよりも簡単に殺せる。最高の獲物だよ」
「……そんな……」
──肉食獣視点みたいな感じで言わなくても……。
薫はそう思ったが、
「どうした?」
「……いえ、何でも……」
それを口には出せなかった。
「……すまない、話を進めよう。特に危険なのが、子供だ。鳥、虫、獣、草木すらも、何もかも食らい尽くす……好んで食べるのは人間のようだけどな」
「そんな、火砕流みたいな……」
「カサイリュウ、が何かは知らないが……間違いなく災害だ。流行り病の方がまだいいくらかマシな程には」
薫は愕然とした表情になって、少しの間咎を見つめ、
「あの……何で、そんなに詳しいんですか?」
そんな事を言った。
「そうだな……何年も戦ってきたから、かな」
「そう、ですか……」
薫はそれ以上聞かず、少し俯き、テーブルの表面を見た。
それを見て、咎が言いにくそうに切り出す。
「……その……なんだ、今日はもう寝た方がいい。化け物に殺されかけたんだ、疲れてるだろう」
「あ、はい……ですね……あっ」
そう言いかけて、薫が何かに気付いた表情になった。
「どうした?」
「その……咎さん、泊めて欲しくて、実際泊まろうとしてるじゃないですか?」
「ああ」
「……どこで寝るんです?」
「へ? 別に、どこでも……」
「いや、それは流石に……あ、じゃあ……!」
薫はそこで言葉を区切り、立ち上がった。咎の右斜め後ろにあるドアの前に移動する。
「あの、こ、この部屋使っていいですから!」
薫は、ドアを開けて言った。
「部屋……」
咎は立ち上がり、部屋の中を覗き込んだ。
「……薫、本当にここに住んでるんだよな?」
薫の部屋も、家具こそあれど生活感があまりなかった。
「住んでますって……」
「そうか……? ん?」
咎は言いかけて、掛け布団がぐちゃぐちゃのまま放置されているベッドを見て、
「……寝泊りはしてるんだな」
「ちょっ、そこしか判断材料ないんすか⁉」
「ない」
即答だった。
「マジすか……」
薫はガックリと項垂れた。すぐに無理矢理気を取り直し、無理矢理笑顔を作る。
「じゃあ、布団直してくるんで、ちょっと待っててください」
薫はそう言って、部屋の中に入っていった。
「……あ、お、おう」
咎の返事は、遅れていた。
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