第四話 昼飯を届ける姉

「ふぁ……あぁ」


 キッチンで朝食を作りながら、薫は、盛大に欠伸をした。


──結局、寝付けなかった……。


 昨夜、ベッドメイクを終え、咎が部屋に消えた後。

 薫は何度も寝ようとしたが、怪人に襲われた事が頭から離れず、何度寝ようとしても寝付けなかった。

そして結局一睡も出来ないまま朝を迎え、今に至る。


「今日はあんまり重い授業なかったのが幸いなのかな……」


 薫がぼやいていると、ドアが開く音が聞こえた。直後、ドアが閉じる音がなり、足音がキッチンに近付いていく。


「……ああ、薫か。お早う」


 音の主は、咎だった。眠そうに目をショボショボさせながら、キッチンを覗き込んでいる。


「おはようございます」

「……朝餉か?」

「アサゲ……あ、朝餉か……えっと、はい」

「そうか……」


 咎はそう言って黙った。


 それから少しして、薫が話しかける。


「……あの、えっと?」


 咎が首を傾げる。


「どうした?」

「ん、いや……何で、ずっと見てるのかなー、なんて……」


 薫は、咎をちらりと見て聞いた。

咎の視線は、フライパンに注がれていた。

フライパンを注視しながら、咎が答える、


「いい匂いがするからだな」

「あー……」


 薫は納得した様子で言い、フライパンに視線を落とす。フライパンの上には、鮭の切り身が二切れ乗っていた。火を通している最中で、脂が音を立てている。


「…………」


 フライパンを凝視し続ける咎に、薫が話しかける。


「あの……貴女の分もありますから……」

「本当か⁉」

「うおっ⁉」


 嬉しそうに言いつつ身を乗り出した咎を見て、薫は驚いた。


「ビックリした……」

「あ……悪い」

「あ、いえ……もうちょっとしたらできるんで、待っててください」




 朝食を食べ始めて少ししてから、咎が薫に話しかける。


「なあ、薫。お前、金持ちか何かか?」

「え? いや、別に……。何でです?」

「あー……いや、何となくそう思っただけだ。忘れてくれ」

「……はあ……?」


 薫は首を傾げ、ふと、何かを思い出した表情になる。


「そういえば、今日の天気って……」


 薫はそう言いながら、テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押す。


「あの、どうかしたんですか?」

「なあ、あの四角いのって……」

「テレビですか?」

「そんな名前なのか……」

「は?」

「あ、いや──」


 咎が何かを言おうとした、その時だった。


『ここで速報です。福島県津野原つのはら市の路上で、女性が、首から血を流した状態で倒れているのが発見されました──』


 天気予報からニュースに切り替わり、速報が入ってきた事を伝えた。


 ニュースキャスターは女性が倒れていた路地裏の映像を背景に、女性は今朝発見された事、搬送先の病院で死亡が確認された事を簡潔に伝えた。

 路地裏の映像は、昨日、薫を襲った妖童子あやかしどうじが佇んでいた場所だった。


 それに気付いた薫が、愕然とした表情になる。


「あ……通報するの、すっかり忘れていた……」

「通報?」

「だって、あの女の人、間違いなく死んでましたし……」

「……そうか」

「そうか、って……って、あーっ⁉」

「な、何だよ?」

「学校! 今日学校なんです! ちょっ、ヤバイヤバイ!」


 薫はそう言うと、朝食の残りを一気に平らげ、慌てて登校の準備を始めた。





 二十分後。


「……はあ……」


 学校に間に合った薫は、机に上半身を預け、盛大に溜め息を吐いた。


「おうどうしたニンジャ、朝からクソデカ溜め息とか」


 教室に入ってきたばかりの川口が、薫に話しかける。

 薫は上体を起こしつつ、川口と話す。


「いや、色々あって……てか、ニンジャって何?」

「昨日いつのまにか下校してたからさぁ」

「あーそれか……や、別に映画見に行っただけだよ」

「何の映画よ?」

「え、その……」


 薫が言い淀んでいると、前の席でスマートフォンを弄っていた櫛田が振り向いた。


「……なあ薫、映画って何時までやってた?」

「え……えっと、七時ぐらいだったかな?」


 薫が言った瞬間、三人の周囲の空間が一瞬凍り付いた。

 少ししてから、櫛田が口を開く。


「……薫、お前、相当運がいいのな」

「へ? な、何が?」

「何がって……ほら、お前ん家の近所で殺人事件あったろって」

「あっ……」


 薫は昨日あった事を思い出し、机に突っ伏す。


──だよな、速攻で話題になるよな……。


「……薫? おーい?」

「あっ……いや、何でもない、大丈夫大丈夫」

「ホントかよ?」

「うん、まあ……ん?」


 返事をしてから、薫は、忘れ物に気付いた。


「あ、弁当忘れた……」

「え、マジで?」

「マジ」

「えー、ドンマイじゃん」


 櫛田がそう言った時だった。


「薫ー。おーい、薫ー!」


 教室に入り口から、薫を呼ぶ声が聞こえた。


「へ……?」


 薫が声のする方を見ると、そこには、弁当を入れた袋を掲げる咎がいた。


「ってえええぇぇっ⁉」


 薫は、驚きのあまり絶叫した。


「いきなり大声出すなよ……」


 薫の絶叫を耳元で聞いた櫛田が文句を言った。


「あ、ごめん。ちょっと行ってくる!」


 薫はそう言って立ち上がり、咎の方に向かった。


「──ちょ、ちょっと、何で学校に⁉」

「昼餉を忘れていたからだ。ほれ」


 咎はそう言って、薫に弁当袋を渡した。

 薫は困惑しつつ、弁当袋を受け取る。


「あ、ありがとうございます……って違う! いや違わないけど、咎さん、貴女どうやってここに⁉ ていうか、鍵かけて出ましたよね⁉」

「落ち着け。鍵なら渡された鍵でかけてきた」

「良かった……で、どうやってここに?」

「匂いを辿ってきた」

「えっ」

「嘘だ」

「えっ」

「本当は、薫の気配を辿ってきたんだ。案外分かりやすかったよ」

「そ、そすか……」

「ああ。……うん?」


 咎は周囲を見て、自分達が注目されている事に気が付き、


「何と言うか……帰った方がいいか?」

「えっと……はい。だいぶ目立ってますし」

「そうか……。分かった。じゃあ、帰る」

「あ、はい……。あの、ありがとうございます。気を付けて」

「気にするな、後でな」


 咎はそう言って、その場から立ち去った。


 咎が階段の方に向かっていくのを見ながら、


「……帰るって……俺ん家に?」


 薫が疑問を口にした直後、


「ね、ねえ薫!」

「うおっ⁉」


 酒井が後ろから、大声で話しかけてきた。

 薫は振り向き、酒井を見た。


「な、なんだ酒井さんか、ビックリした……」

「あ、ごめん、悪かった。いやそれより、さっきの着物着た綺麗な人って?」

「え……、あーいや、単純に弁当届けてくれただけ」

「いや、どういう関係よ? 何、彼女?」

「いや違う違う違う、そういう関係じゃない」

「んじゃ何よ?」

「えー……あー……姉! そう、姉だよ! 姉さんだよ!」

「……お、おう」

「うん……」


 返事をしつつ、薫は教室を見た。教室の中はざわついていた。先程までいた着物の少女の話題で持ち切りになっているようだった。


──うわ、速攻話題になってるし……。


 薫がそう思っていると、酒井が話しかけてきた。


「……薫? 授業始まるよ?」

「あ、うん」


 薫は返事をして、教室に入った。

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