第十五話 射落とせ、炎

 巨大なヤゴは地面から前脚を出すと、百貨店の壁に爪を引っ掛けた。


 ヤゴの全長は約七メートル。姿形はオニヤンマのそれに酷似している。


巨大なヤゴは、百貨店の壁を登り始める。


、う……な、何だあれ……⁉」


 薫が痛みに喘ぎ、驚愕する中、


「……何がロクロクビだよ……」


 咎が呻くように呟いた。


「は、え……? どういう事ですか?」

「ロクロクビは……けもののロクロクビは、もっと……プナラリアっぽいんだ。あんな蜻蛉の子供なんかじゃない……!」

「ど、どういう……?」


 事ですか、と聞く前に、咎が動き出した。


 咎は抜刀しながら走り出し、百貨店に向かって跳躍した。一瞬でヤゴの背面まで迫り、上段に構えて振り下ろし──、


「っ⁉」


 斬撃がヤゴの体に弾かれた。


 咎は刀が弾かれた反動で吹き飛んだが、どうにか着地した。


「硬い⁉」

「ならもう一度……!」


 薫が驚く中、咎は立ち上がった。刀を液状に変形させ、長く伸ばしていく。


「斬れないなら……」


 刀は刀身と柄を伸ばしていき、やがて全長四メートル程の長大な槍に変貌を遂げた。


「これでどうだ!」


 咎は槍を逆手に握り直すと、渾身の力を込め、ヤゴめがけて投擲した。


 槍は空気を切り裂きながら飛翔してヤゴに激突したが、傷一つ付ける事すら出来ずに刃が折れた。


 ヤゴは攻撃を気にする事なく、百貨店の壁を登っていく。


「嘘だろ……」


 それを見て、咎が呆然と呟いた。


 ヤゴは百貨店の壁の中央付近で動きを止めた。


「何だ……?」


 咎はそう呟きながら、右手で短刀に手を掛ける。


 次の瞬間、ヤゴの背中に真っ直ぐに亀裂が入った。そこから表面が裂け、中からトンボの成虫が這い出ようとする。


 その全貌を見ていた薫は、目を大きく見開いた。


「何っ……だ、アレ⁉」


 ヤゴから這い出したのは、トンボではなく、『全長二十メートル、飴細工艶やかな輝きを放ち、トンボの頭部が付いたヒレが人間の腕の骨になっている鯨の骨格』という異形の怪物だった。


 異形の怪物は抜け殻に捕まる事なく、地面に落下した。地面は当然と言わんばかりに、水面のように怪物を飲み込んだ。


地面が熱した鉄球を放り込んだかのように泡立ち、同時に、ヤゴが現れる寸前とは比べ物にならない程に波立つ。


 それからすぐに、異形の怪物が、まるで鯨がジャンプするかのように地面から飛び出した。全身の輝きは飴細工から金細工のように変わっている。

異形の怪物はそのまま飛び立ち、低空飛行を始めた。


 オニヤンマのように往復で飛び回る怪物を見て、薫が咎に聞く。


「ちょっ、あれ、ヤバイんじゃ⁉」

「……かなりマズイ」


 咎が短く答え、腰の短刀を検めた。新しく短刀が差されているのを確認して、左腰を確認する。

 その瞬間、左腰の鞘に刀の鍔が出現し、柄が伸びた。


 咎は左手で鞘を握り、重さを確認しながら薫を見る。


「……薫、悪い。先にアレを倒してくる。……絶対にすぐに終わらせる」


 咎はそう言って、周囲を見渡し、百貨店に向かって走り出し、跳び上がった。



「…………凄い、な……咎さん……」


 咎の姿を目で負いながら、薫は


「……行かなきゃ、いけないって……思った……解ったのに……」


 薫の視界が暗くなっていく。音も、遠くなっていく。


「俺は……なんにも……」



 薫は、意識を手放した。




「────!」


 百貨店の屋上に着地した咎は、すぐに限界まで伏せた。その真上を、トンボ頭の鯨の骨格が通り過ぎる。


突風が過ぎ去ってから音を聞くと、既にパトカーや救急車、消防車のサイレンが飛び交っていた。片膝立ちになって周囲を見ると、所々から土煙が立ち上っていた。


「何でこんなに早く……」


 咎が言いながらもう一度周囲を見渡すと、


「あっ……!」


 低空飛行する怪物が駅上部にヒレを激突させているのを発見した。


「納得した……!」


 咎は駅が破壊されるのを見ながら立ち上がり、打刀を鞘ごと引き抜いた。


「とびきり強く……お爺々じじ様に聞いた、為朝ためとも様の倍は強い物を……」


 咎は呟くと、深く息を吸い、呪文の詠唱を始める。


『血よおこれ、伸びつ曲がりつ、弦を張りて──弓となれ!』


 液状になった刀が、詠唱に合わせて変形していく。最終的に完成したのは、和弓だった。





「あーあー、ド派手にぶっ壊すねぇ。見てて爽快だ」


 高層マンションの屋上から遠方で怪物が暴れる様を見物しながら、黒衣の男が楽しそうに言った。


 黒衣の女は一瞬男を見て、視線を怪物に戻す。


「悶えているようにしか見えないけど」

「えー? そんな事ないでしょ?」

「誤魔化すな。……今回のロクロクビの子供の調整担当はあなたでしょう。本当ならヤゴからあんなのにならないし、一体何をしたの?」


 男が女を見る。その表情は、凶悪な笑顔に変わっていた。


「聞きたい?」

「いいから教えろ」

「単純だよ。他の化獣を混ぜただけ。ロクロクビにバケクジラとガシャドクロを、ね」

「……成程、拒絶反応ね。趣味が悪い」

「ありがとう。……しっかし、あの鬼モドキ、困惑したろうねぇ。三十年位前から、ロクロクビの姿自体、プナラリアから蜻蛉に変わってるんだから」


 男が飄々とした態度で語った直後、怪物──改造ロクロクビの胴体に凄まじい火花が生まれた。


「お、仕掛けてきたみたいだねぇ」





「当たった! 次!」


 咎はそう言いながら、右手で持っていた弓を左手に持ち替えた。右半身から左半身になり、右手で腰の短刀を抜く。

咎は刀身をやや短い両刃に、鍔と柄を矢柄と矢羽に変化させ、弓につがえて渾身の力を込めて引き絞る。


「ぐっ、う……当、たれっ!」


 咎は苦し気に唱え、矢を放った。




 咎が放った矢が激突した改造ロクロクビは体勢を大きく崩し、落下を始めた。


「ちょっ、えっ⁉」「うえぇぇえっ⁉」「うわぁあーッ⁉」


 その真下にいた人間が各々悲鳴を上げる間も改造ロクロクビは落下を続け──、



 人々を押し潰す前に、改造ロクロクビの脊椎の左側面に凄まじい火花が発生した。落下の軌道をロクロクビ一体分程ずらし、線路の上に激突した。


「…………」「…………」「…………」


 人々は少しの間それを呆然と見て、思い出したかのように逃げ出した。


 改造ロクロクビは浮かび上がると、ほぼ全周見渡せる複眼で周囲を観察した。


 手の中に矢を出現させ、弓につがえて放つ咎の姿を見つけるまでに二十秒もかからなかった。

 改造ロクロクビは飛んできた矢をヒレの関節に受けた。火花が散り、ヒレが分断されそうになる。


 改造ロクロクビはヒレの関節を繋げ直すと、咎に向かって突撃を開始した。





「──慣れた! 次で仕留めるッ‼」


 咎は叫ぶと、最後の短刀を引き抜いた。即座に矢に変形させ、慣れた手付きで弓につがえ、一息に引き絞る。


「こういう時、何て言えば良かったんだっけ……」


 凄まじい速度で迫る改造ロクロクビを見て、咎は最後の一矢に込める言葉を思い出す。


「ああ、そうか。──〝飛んで火にいる夏の虫〟」


 瞬間、やじりに業火が宿った。

 

 咎は炎越しに改造ロクロクビの頭部を見て、全身全霊を懸けて絶叫する。


「──当ぁたれええぇぇええええっ‼」


 放たれた矢は無限大にも迫るエネルギーを帯び、完璧な直線を描いて飛翔する。


 咎は時間が恐ろしく緩やかになった世界でそれを見て、大急ぎで踵を返した。矢に凄まじいエネルギーを持たせた事によってマトモに力が入らなくなった体に喝を入れて走り出す。


 咎が走り出すのと同時に、矢は改造ロクロクビと正面衝突した。そのままロクロクビの頭部を突き抜け、脊椎を突き進み、その中央で大爆発を引き起こした。


 咎が屋上の縁の金網を飛び越えた瞬間、改造ロクロクビは爆発し、木端微塵に吹き飛んだ。


 爆風に吹き飛ばされ、回転しながら落下していき──、


「────っ!」


 猫のように着地した。


「う、ぐぁ……」


 咎は呻くと、横に倒れた。よろめきながらすぐに立ち上がり、薫の側に向かう。


「薫……終わったぞ……病院に……薫?」


 咎が見ると、薫の顔色は、既に蒼白を越えていた。


「おい……返事してくれよ……なぁ……?」


 薫からの返事はない。


「薫……薫っ⁉」

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