第六話 夜更かし
その日の深夜。
薫が通う高校の敷地に、一人分の人影があった。
その人影はどこかに向かっていた。足を引き摺り、頻繁によろめいてはいるが、その足取りは確かだった。
「…………」
月や星の明かりが雲に覆い隠されている上に電灯を意図的に避けているため、その容姿は不明。唯一判るのは、長身痩躯という事だけ。
人影は足をもつれさせ、盛大に転んだ。少ししてから立ち上がり、再び歩き出す。
それから十分程かけて歩き続け、人影は、百葉箱の前で立ち止まった。百葉箱の周囲が街灯に照らされていたため、人影の容姿が顕になる。
人影は、長身痩躯の男だった。乱れた髪は、黒の長髪。ボロボロの奇妙な服を着ていた。足元は裸足だった。詰まる所、薫を襲った妖(あやかし)童子(どうじ)だった。
「……起きて、る?」
妖童子は、百葉箱に声をかけた。女性の声で、地の底から響くようだった。
ほんの少し間があってから、妖童子の表情がほんの少しだけ明るくなる。
「……お、起きたか」
妖童子はすぐに沈鬱な表情になり、悔し気に話し始める。
「……ごめんな、鬼に……やられた……」
少し間を開けて、妖童子は話を続ける。
「お母さんか? ……お母さんも……鬼に……」
そこまで言って、妖童子が崩れ落ちた。
「……憎い、か?」
そう言いながら妖童子は苦し気に顔を上げる。
「……そうか、それでいい」
妖童子は、全身に力を込めて立ち上がり、百葉箱に向かって歩き出した。左右に大きく揺れ、崩れ落ちそうになりながら、どうにか百葉箱に手を掛ける。
「……さあ、ご飯にしよう、か……」
妖童子は、百葉箱をの蓋を勢いよく開けた。
次の瞬間、百葉箱の中から、無数の〝何か〟が凄まじい速度で飛び出した。
それらは、妖童子を包み込んでいき──。
「──っ!」
咎は、突然起き上がった。
咎は目を見開き、視線を四方八方に動かしていた。明らかに動揺している。
「…………」
咎はベッドから抜け出して走り出し、ドアを勢い良く開けた。
「うわっ⁉」
それを見た薫が驚いて、大声を出した。
「ビックリした……何かしたんですか?」
「……いや、今……」
咎はそう言いかけて、せわしなく周囲を見渡す。
「え……ちょ、え……?」
薫が困惑していると、咎は脱力した。
「……あ、あの?」
「……いや、気のせい……か?」
「え、ちょっと。あのー?」
「あっ……あ、いや、何でもない。か、厠(かわや)だ、厠」
咎が少し慌てた様子で言った。
「そ、そっすか……んじゃ俺、もう寝ますね。お休みなさい」
「お、おう」
薫はリビングに敷いた布団に潜り込んだ。少ししてから、小さく寝息を立て始めた。
「…………」
咎は暫くそれを見てから、薫の自室に戻った。ドアを後ろ手で閉じ、
「……今〝聞こえた〟のって、どう考えても化獣の……でも、童子は……」
咎はブツブツと呟きながらベッドまで歩いていき、静かに腰かけた。
「かと言って、子供というのも……あれは親が定期的に食糧を持ってこないとすぐに死ぬから……」
咎は独り言を止め、横になる。
「……判らん。……仕方ないな、寝よう……」
咎はそう呟くと、そのまま目を閉じ、眠りに就いた。
学校の百葉箱に納まり直しつつ、影は、親の肉体や記憶から情報を咀嚼していく。
これまで親は、多くの
一日の始まりに一人、持ってきてくれた。多い時には、四、五人も。『一度に沢山見られてしまったから』、とは言っていたが。
一日を終えたのを、五十回超えた辺りだろうか。
両親は、急に人を持ってくる回数を、三回に一回まで減らした。
その時から、何かに警戒していたようにも思える。
それから少ししてから、その理由を告げられた。
『鬼が出た。我々の天敵たる鬼の末裔が出た』、と。
それから、両親は忙しそうになっていった。時折、鬼とやらと戦っていたのか、ボロボロになって帰ってきた事もあった。
助けになりたかったが、陽を浴びたらすぐに崩れ落ちるこの体ではどうしようもなかった。
せめて、大人になれれば──。
そう思っていた矢先の事だった。母が、鬼に殺されたのは。
瀕死の怪我を負っていたのに、父を逃がすために鬼の前に立ちはだかったのだそうだ。
立派な最期だったと、父は、泣けるはずがないのに、泣きながら言った。
同感だった。大人になって、母の仇を取りたい。そう思った。
それからも、父は、たった一匹で、人をかき集めてきた。そのお陰で、体は随分と強固になり、白昼堂々と外を歩き回れるのも近くなっていった。
そして、今日。父は、どうにもならない怪我をしてしまった。
だからなのだろう。 自分の事を、ご飯だなんて言ったのは。
親の肉体をゆっくりと食べながら、影は考え続ける。どうして、父と母は殺されてしまったのか、と。
答えが出ない事は、解りきっていた。
創造主が、こんな答えを遺していた。
『主食を人間にしたのは、特に深い意味はないよ。ただ沢山いて、殺してもそんなに減らないから』
今思い返すとどうも胡散臭いが、この際そんな事はどうでもいい。
鬼よ、顔を覚えたぞ。
死にぞこないめ、臭いを記憶したぞ。
そう思いながら、人間には聞こえない周波数で、絶叫した。
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