気遣い少女は空気力学少女の夢を見ない

@shira-no

だから、私は

「みんな、何か意見ある?」

 涼しくなってきた教室に声が響く。みんなの注目を集められるように、けれど反感を持たれることもないように、そんなフラットな口調を意識する。

 教室を見渡すと、私に目を向けている人が五割、ひそひそ話したり、雑談にふけっている人が三割、残りは窓の外を眺めたり携帯をいじったり。

 こんなものか。

 先ほどよりも少し大きめな声で「誰か意見ない?」と聞く。

 うしろ五割のうち半分くらいがこちらに目を向ける。とりあえず最低限の場は整ったものの、意見を言おうとする人はいない。みんな顔を見合わせて、他の人の様子を伺っている。ときたま私を見るも、目が合うと気まずそうに顔をそらしてしまう。

 なんとかしてくれないかな、実行委員。

 クラスの空気がそんな声で満たされていた。

 なんとかねぇ。

 そう言われても、別に私は志願して実行委員になったわけでもないんだけどな。私ならうまくやってくれそうだから、こういうの得意そうだから、そんな場の空気でなんとなく選ばれただけ。もとよりやる気なんてものはないし、責任なんてものはまったく感じてない。

 なーんて、言い訳したところで、このやな空気が変わるわけでもなくて。

 それに、私ならうまくやってくれそう、得意そう、っていうのは間違いではないし。むしろ、この手のことは得意だ。たぶん他の誰よりも。だから、みんなの期待に応えるとしよう。

 教室をもっかい見渡してから、目的の人物に焦点を合わせた。

「なんか意見ない、タケやん」

「えっ、俺かよ!」

 急に当てられたタケやんは、机をガタっと鳴らして盛大にずっこけた。教室の注目が彼に集まると同時に、すこしの間を置いてクスッと笑いがもれる。

「いや、急に言われても。俺にも心の準備ってものが」

「任せた!」

「無茶ぶりっ!」

 タケやんの大声につられて、みんながドッと笑う。ナイスリアクション、タケやん。

「無理だって~、沙耶ち~ん」

「まあまあ、つれないこと言わんで、なんか考えてよ。あと沙耶ちん言うなし」

「え、沙耶ちんダメなの?」

「ダメ、意見はやく」

 再び笑いがもれる。

 肩を落としたタケやんだったけれど、すぐに顔を上げる。

「お化け屋敷とかよくね」

「おっ、いいじゃん」

「でっしょー!」

 ドヤ顔が腹立つが私は笑顔で頷く。

「暗くて不安な女の子が袖をつまんでくる。お化けに驚いた女の子が思わず抱き着く。やだ、たけやんカッコいい。そしてそこから始まる恋。そう、男のロマン、それがお化け屋敷なんよ!」

「ごめん、それは分かんない」

 というかキモイ。

「なんでだよ!」

 無視して、黒板に「お化け屋敷」と書いていく。

「妄想はさておいて、お化け屋敷は結構良いと思う。去年の文化祭でめちゃくちゃウケたとこあったらしいし」

 そうなんだ、とクラスメイトが感心する。

 まぁ、出まかせなんだけど。去年お化け屋敷をやってるところはあったので、完全な嘘にはならないでしょ。

「それじゃあね」

 クラスを見渡し、一人一人顔を合わせていく。今度はみんな私の方を向いてくれている。

 場は作った。空気は温めた。だから、あとは背中を押してあげるだけ。

 だから私はもう一度言う。

「みんな、なにか意見ある?」



 十分後。

 黒板には『お化け屋敷』『出店(焼きそば、たこ焼き、クレープ)』『喫茶店』『クラス展示』とおなじみの言葉が並んでいた。

 意見はだいたい出尽くして、そろそろどれにするか。クラスにはそんな空気が流れ始めていた。

 そろそろ多数決をとるとしよう。

 そう思って、みんなに提案しようとしたちょうどそのときだった。

「でもさぁ、なんかありきたりだよね」

 ミカは、頬杖をついたまま、けだるげに言った。さすがミカ。この空気なんて意にも介さない。

「ありきたり?」

「だって、そうでしょ。お化け屋敷とか喫茶店とか毎年やってるし。なんか新鮮味がないじゃん」

 ミカの一声で他のみんなは顔を見合わせる。

 むむむ、この流れはまずい。今まで温めてきた空気が冷えてしまう。

「うーん、確かにそうかも。それじゃさ、今まで出たアイディアの中に、なんか付け足すってのはどう?」

 安易な同調はせずに、けれど意見を汲んで、話を前の方に転がしていく。今までの意見をひっくり返すのはやめていただきたい。

「うーん、ま、いいんじゃない」

 不承不承ではあるが、同意ってところ。やれやれ。どうにかなったみたい。

「あ、じゃあメイド喫茶とかどうよ!」

「タケやん?」

 え、ちょ、おま。

「はぁ? あんた何言ってんの?」

「何って、女子のメイド服見たいじゃん。男として!」

 いやほんと何言ってんの。

 ミカの怒りが目に見えて大きくなっていく。当然のごとく女子からもブーイング。今まで積み上げてきた空気が崩壊していく音が聞こえる……あの~私の心も崩壊していいですか?

「ま、まあ、さすがに、それはちょっとね」

 空気を悪くしないように、できるだけやわらかい言葉で同意する。

 ピリッとした空気が、少しだけ穏やかに。

 や、やったか?

「そうか? 俺はありだと思うけどな」 

 が、ダメ。

 お、おおう……お前もか、和也君。

「えっと、こういう声もあるんだけど」

 と、水を向ける。

 ミカは和也君の方をちらっと見る。

「……まぁ、カズがそう言うんなら」

 驚きの手のひら返し。

 女子達も和也君が言うなら、と威勢が弱まっていく。いやぁ、本当に現金ですなぁ。

 ま、私は助かるけど。

「じゃあ、追加で良い?」

 和也君はうなずく。

「ああ。その、まぁ……なんだ」

「ん、なに?」

「俺も、沙耶のメイド服、見てみたいしな」

「え」

「あ、いや、まあ、……似合うと、思ったから」

 な、なんだこの反応。これはもしかして……いやそんな。

「ふーん、そういうのが良いんだ」

 冷たい空気が背に走るのを感じた。彼女の隣にいた結衣と陽菜が顔を見合わせている。

 しまった。

 思いもよらないボールが来て、対応を誤ってしまった。

「やったらいいじゃん、沙耶」

 氷のような声。教室内の温度が五度は下がったように感じた。

「えっと、そのまだ、メイド喫茶に決まったわけじゃ」

「なに」

「…………」

 ミカは目を細めて私を見ている。クラスメイトは私とミカとの間で視線を泳がせている。当の和也はぽかんとした表情を浮かべている。くそう天然イケメンめ。

「黙ってちゃ、分かんないんだけど」

「っ」

 直感で分かる。これは何を言ってもダメな奴だと。そして、黙っていてもこれはこれで怒りを買う。分かりやすくいうと詰みだ。

 どうしてこんなことに。

 みんなの言葉を代弁して、うまく立ち回れていた、そう思っていたのに。


 ――アホらし


 そんな言葉が、静かな教室に響き渡った。

「綾、アンタ何て言ったの」

 凄むミカに、綾はあきれた口調で言う。

「あほくさ、って言ったのよ。なに、この茶番。私そんな暇じゃないんだけど」

「っ!」

 いきり立つミカ。

 けど綾は彼女の威勢を鼻で笑う。

「自分が和也のこと好きだからって、沙耶に八つ当たりするのやめてくんない?」

「なっ!」

「ちょ、ちょっと、綾」

「だいたい、委員を沙耶にやらせたのもミカだよね。人に押し付けといて、人任せにして、自分は上から目線で意見? 結構なご身分ね。そんなにグチグチ文句言うなら自分でやれば? あんたにゃ無理だけど」

「…………」

 ミカは何も言えない。さっきの一言で、完全に気力を削がれてしまったみたい。

「じゃ、私帰るから」

 それだけ残すと、綾は鞄を引っ提げて教室を出て行った。

 残された教室には、意気消沈したミカと、彼女から目をそむけるように顔を俯かせるクラスメイト達。さながらお通夜状態。

「……えー」

 なにこれ。この状態で残されても困るんですけど……。


 ×


「やっぱりここか」

 学校の屋上に人影がポツリ一つ。見間違えるはずもない、綾の姿。私は彼女のもとへ近寄る。

「はいこれ」

 差し出したのは缶コーヒー。

「苦いの嫌いなんだけど」

「知ってる」

 私が満面の笑みを浮かると、綾はひったくるように受け取った。私は彼女の隣に座りこむ。手には同じく缶コーヒー。こっちはミルクと砂糖がたっぷり入ったもの。綾の好きな味。

「あんた、いい性格してるよね」

「まあね」

 綾は一息で缶を飲み干すと、つぶやくように言う。

「……悪かったわね」

「いや、ほんとに」

 悪いなんてものじゃない。とんでもない爆弾を投げやがって。

「反省して」

「それは無理」

「む」

「私がそういうのできないの、知ってるでしょ」

「……それもそっか」

「それにどうせあんたのことだから、うまいことやったんでしょ」

「一応ね」

「どうやったの」

「簡単だよ。何事もなかったように『じゃ、続きやっていい?』って言っただけ」

「……それだけ?」

 私はうなずく。

「ミカも話を蒸し返されたくないし、他のみんなも下手なこと言ってミカに目をつけられたくない。みんな、なかったことにしたかったの。だから、その空気に応えて打ちやすい球を投げてあげただけ。目の前に甘い球があるんだから、打たない理由なんてないでしょ」

 言うと、私は残った缶の中身を飲み干す。口の中に甘さが広がり幸せな気持ちになる。私好みの味だ。

「ほんと、いい性格」

「ありがと。……でも、今回は失敗かな」

「? うまくやったんでしょ」

「今回は流せたけどね、なかったことにはならないから。『和也君が沙耶に気があるかもしれない』って空気ができただけで、大失敗。下手したら最悪の状況も覚悟しないといけない」

「最悪?」

「ないとは思うけど、万が一告白ってなったらもう平穏に過ごすのは無理かも。残りの高校生活は日の当たらないところでひっそりとするしかないね」

「なんでそうなんのよ」

「誰とでも会話が弾んで、人当たりが良くて、頼まれると断れなくて、ちょっと抜けてるところもあるけれど、気が利くふつうの女の子、それがクラスでの私の立ち位置」

 自分で言うのもどうかと思うけど。

「……だから、学年でも人気の高い和也君からアプローチされる、なんてことは求められてないの。それは空気を読んでないってわけ」

 綾は「ふーん」と興味なさげに、空き缶を手でもて遊ぶ。わずかに残った水分がピチャピチャと音を立てた。

「あのさ、沙耶」

「なに?」

「そんなに人の顔色伺って楽しいの」

「うぐ」

 ど真ん中直球ストレート。百マイルぐらいの豪速球だ。

「これも人の世でうまくやっていくための処世術なのにゃあ」

「そうやって茶化すのも?」

「……うぐ」

 ほんと、容赦ないなぁ。

「そこまでしてまで空気読む必要ないと思うけどね、私は」

「…………」

 これは紛れもない彼女の本音。私には仕方ないほど分かってしまう。

「あなただってそうでしょ」

 問いでもない、これは確認。

 その言葉は私の胸の奥に深く突き刺さる。

 だから、私はこう言うしかなかった。

「話は変わるけどさ、こんな都市伝説あるの知ってる?」

「……………」

 あら、お手本のような不機嫌顔だ。

「最近、中高生くらいの子に不思議な現象が起こってるって話で」

「…………」

 話したいならお好きにどうぞといった顔だ。遠慮なく続ける。

「なんかさ、人から見えなくなったり、何もしてないのに身体に傷跡ができたり、家から出ると体調悪くなったり、同じ日を繰り返したり、人が分身したりするらしいの」

 私の瞳を見つめたまま、綾は何も言わない。

「思春期症候群っていうんだけど」

 大きなため息。

「……嘘くさ」

「でも、いろんな人が言ってるし」

「うわさ好きね、みんな」

「でも、ねぇ」

「はぁ」

 綾は空を見上げる。私もそうする。秋晴れの空が夕焼けに染まっていた。

「そういうもんかね」

「そーいうもんでしょ」

 鮮やかな黄昏色に尾の長い雲が引かれている。素直に美しい光景だと思う。たぶん、隣にいる綾も同じことを思っている。

 私たちに起こったのはつまりそういうことなんだと思う。

 空に向けていた目を彼女に向けた。

 肩まで下した黒髪、少し華奢な身体、丸い瞳と柔らかい顔。どこをどう切り取っても、私と瓜二つ。

 突然現れた彼女はもう一人の私。だからお互い考えることは同じだ。綾の言った、早く帰りたいってのも、アホらしいって言葉も、八つ当たりやめろってのも、委員を押し付けてきたミカに腹が立っていたのも、全部全部私が思っていたこと。けど、綾はそれを口に出して、私は取り繕っていた。

 彼女が私の目の前に現れた理由が今ならわかる。

 空気を読まず、本音で真っ向からぶつかっていく彼女。

 本当はそうありたくて、でも踏み出す勇気がなくて、それでもどうしてもなりたかった、理想の私。

 それがきっと綾なんだろう。

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