第12話
溢れる。言葉が溢れてくる。それは深い海の底で複雑に絡み合う海流のように混濁としていて、暗く見えない。冷たい潮と温かい潮が混ざり合って体を弄ぶその流れは、意識を昏い海底の奥に叩きつけるように激しかった。頭の中を幾百もの囁きが蠢き、鼓膜を内側から震わせる。
それは暴力に近かった。嵐の夜に吹く頬を裂くような烈風を顔から浴びせかけられている感覚。ラジオのノイズが何重にも重なって頭蓋骨を振動させるのに似ている。音、音、音。音が溢れかえる。しかしそれは直接的な音ではなく、脳内に口付ける耳鳴りのような静かな雑音だ。
悠人の頭の中には無数の話し声がざわめいていた。さまざまな人の声で、さまざまな内容が駆け巡る。それは雑踏の中に足を踏み入れた時に似ている。何人もの人が自由に己の話したいことを話し、そこに纏まりはない。とりとめなく流れてくる言葉の川を全身で受け止めているようだった。
耳を塞いでも聞こえてくる音に、なす術もなく流されていく。濁流に飲まれて息を注ぐのもやっとのように溺れていく。言葉の海に沈んでいく。
どうしよう。どうしたらいい?
悠人は困惑の中に立ち竦んでいた。さっきから頭に届くいくつもの言葉たち。誰かの思考が、心がひっきりなしに意図とは関係なしに流れ込んでくるのだ。
聞かないようにと意識してもそれは耳鳴りのように頭に響く。舵を失った船のように悠人の脳内は言葉の海に彷徨い、沈みかけていた。
一体どうしたらいい?だれか助けてくれ。
周りを見渡すが、悠人の異変に気付くものは誰もいない。もしいたとしても、他人の思考が流れ込んできて洪水状態なんだなんていっても、頭がおかしいと思われるだけだろう。
誰か助けてほしい、と思って思い浮かぶのは一人しかいなかった。森岡なら今の状況を分かってくれるだろう。森岡しかいない。
悠人は沢山のブローを食らったボクサーのようにふらふらと電車から降りる。今は少しでも周りに人が少ない場所に行きたかった。駅のトイレへと駆け込む。やっと静かになった脳内になんとか息を吐きながら、悠人は冷静になった。視野に入る人の心を聞いてしまうようだ。個室で一人きりの今だけは静寂が訪れていた。
パンクしそうだった頭を抑え、スマホを取り出す。電話をかける相手は決まっていた。
「もしもし、森岡」
「坂下か。どうした?」
「大変なことになったんだ。能力が、心を読む力が」
出来る限りはやく伝えようと心がせいて早口になる。
「落ち着け。どうしたんだ?」
「心を読む能力が暴走したんだ。意識しなくても無秩序に流れ込んできて止まらないんだ。うるさくて、頭がパンクしそうだ」
「状況が悪いみたいだな。今すぐ行くから待ってろ。二人でなんとか対処法を考えよう」
森岡はそう言って電話を切った。まだ心臓がバクバクしている。脂汗が額を流れた。森岡なら真剣に考えてくれるだろうが、果たして状況を打開する助けになるだろうか。
人知を超えた力にただの一般人の大学生が太刀打ちできるとは考えられない。しかし頼みの綱は森岡だけだ。二人でなんとかするしかない。悠人は大きくため息をついて天井を仰ぎ見た。頭を抱える。すこし頭痛がする気がした。
悠人が一人トイレの中でひたすら待っている中、森岡はしばらく待たない内にすぐに悠人を迎えに来てくれた。
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