第13話

「大丈夫か?」

駅のトイレから恐る恐る出てきた悠人を迎えたのは心配そうな顔をした森岡だった。

悠人は完全に俯き、周りを見ないようにしていた。視野に入るだけでその人の心が伝わってしまうのだ。


「だめだ、人混みだと煩くてパンクしそうだ」


会話の間も視野の隅に入る人たちの声で煩い。ずっと居酒屋のうるさい店内にいるような感覚だった。


頭の中で渦を巻く言葉たちが悠人を責め立てる。ダイレクトに伝わってくる意思たちは悠人の脳内を洗浄するようにくちゃくちゃにして回った。


「人の少ない所に行こう。いい喫茶店を知ってるよ」


「ああ、頼む。ほんとに辛い」


移動の間、煩い雑音に耐えながら悠人は考えていた。神さまがいるとしたら、なぜこんな能力を与えたのだろう。そしてそれを放棄しようとした瞬間に強制的に聞こえるようにするなんて、一体どんな意地の悪い神様なんだろうか。せっかく能力を与えたんだから、存分に使ってみろと傲慢に笑うようだ。


人の少ない喫茶店に入り一番隅の席に座る。衝立があっていい感じに人目を避けてくれる場所だった。男二人で喫茶店というのもなんだか妙な感じがしたが、そんなことは今はどうでもよかった。

静かな店内とまばらな客。視界に入る人間はほとんどいない。やっと一息つけると安堵した悠人は大きくため息を吐いた。


「ここなら大丈夫みたいだ」

「そうか良かった」


高めのコーヒーを注文し奥へ引っ込む店員さんの姿を見送る。

ー今の人、男子大学生2人だった!変なの、もしかしてそっち系?


どう思われようがもはや構う暇がなかった。好きに思ってくれ、と投げやりな気持ちになる。


「それで、どんな感じなんだ?」

「視界に入る人すべての声が聞こえてくるんだ。思考の大合唱だよ」

「それはどうにか回避する方法がないのか?逆に意識を集中させてみるとか」

森岡は真剣に考え込んだ。うんうんと唸り、顎に手を当てている。運ばれてきたコーヒーに手もつけずお互いじっと思案を重ねていた。

ー体験してみないといまいち分からないな。

「体験したら絶対に公開するぞ。聞きたくもない音楽を大音量で耳元で流される感覚だ」

「それは辛そうだな」


森岡は俺が心を読んで返事をしたことにすこし驚きはしたが、すぐに受け入れたようだった。コーヒーの湯気が白く立っている。黒の液体とコントラストが際立っていて美しく見えた。

「視界に入る人の声が聞こえるんなら視界を制限して見たらどうだ?」

「どうやって?」


ほら、と差し出されたのは眼鏡だった。伊達眼鏡だが、たしかに一枚ガラス越しに見るだけで違いがあるような気もした。

やってみるよ、と言い眼鏡をかけて人のいる方に目を向ける。


水面に波立つざわめき、白波のような囁きは耳元でわずかに震えた。聞こえてはいるけど幾分かましに思えた。無視できる音量になったように思える。


「効果はあるかもしれない!」


思いがけない成功に嬉しくなって声をあげた。口角が上がる。森岡の手を取ってぶんぶんと振り回した。


「よし、じゃあ眼鏡を探しに行こう」


今はとりあえずその眼鏡を貸すからそれで凌いでくれ。と森岡が微笑んだ。まだ熱いコーヒーをぐっと飲みくだしカップの中を空にする。新しい発見に体がうずうずとした。


そこから眼鏡屋までの道のりはまるで祭りのようだった。あちらこちらで声が聞こえてくる。その音量は無視できる範囲のものだったが、ざわざわと木の葉が風にかすれるようにひっきりなしに脳内をかけてまわった。

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