第11話

大学生の朝は呑気なものだ。目覚めて、朝食をとり、着替えて準備をする。多少遅れてもそんなに困ることはない。大学生が授業をサボるのは当たり前の出来事であるからだ。ゆっくりと時間をかけて、駅まで歩く。

太陽が朝から昼へと位置をずらして照らしていく。ほのかに暑い日差しにじんわりと汗が滲むのを感じる。朝と昼の間の微妙な時間に道を歩く人はそう多くはなく、大半は同じような大学生に見えた。こつこつと足を前へ運んでいく。単調な運動の中で思考は同じことをぐるぐると考えていた。昨日の今日で、祥子に会うのは辛い。もう同じことを何度も考えたけれど、未だに彼女のことを考えることは心臓にダメージを負わせた。

この間ちゃんと現実と向き合って逃げる事はやめようと決めたばかりなのに、いざ対面しようとすると逃げたい気持ちで一杯になる。サークルへ顔を出すことがこれだけ億劫に感じることは他にないだろう。はぁ、とため息をついて頭を振る。吐いた息が鉄のように重たくなって足にのし掛かる気がした。

また森岡に頼ろうか、と甘い考えが頭をもたげる。いやいや、流石にそんなに頼るのは申し訳ない。森岡はお母さんじゃないんだ、何でもかんでも頼ってばかりは良くない。彼の甲斐性がつい甘えたくなる衝動を誘発するが、それは一人の男としてみっともないことだと感じた。今は心を決めて、毅然とした態度を取るしかない。


プシューと音がして大きな鉄の箱が眼前に停車する。規則的に並べられた出入り口が横に開くと、中から数人が出てきて、代わりに何人かと共に中に入り込んだ。

少しだけ話し声のする車内は比較的空いていて、悠人は空いている座席を見つけると当たり前のようにそこに腰かけた。駅から歩いて電車に乗るまでの動作は考え事をしながらでも充分に出来た。慣習になっている動作は無意識でも出来るものだ。意識をしなくても出来る動作で、思考がかき乱されることは今までなかった。

スマホの電池がすぐなくなってしまうから電車の中では極力使わないようにしている悠人は、ぼーっと目の前の人を眺めた。


ーめんどくさいし、今日の5限は休もうかなぁ?


悠人は耳を疑う。正確には脳だ。それは聞こえてくるというより流れ込んでくるという方が近かった。風が体内を駆け巡るようにそのざわめきは音となって頭に届く。

何故聞こえてくる?悠人は驚きで目を見開いて目の前の人を見た。

今までは、心を聞こうと意識を集中させなければ聞こえなかった。しかし今はぼぅっと見ただけで心の声が聞こえてきた。

そんな、まさか。悠人は慌てて別の人に視線を移す。


ー外回り疲れてきたな、ここらで一回休もう。


そんなはずがない。おかしい。俺は聞こうとしていない。


ーあとでななこママにLINEしとかなきゃな。


ー遅刻で学校とか超だるい。一日休めばよかった。


おかしい、おかしい、おかしい。そんな訳ない。なんで聞こえてくるんだ。

悠人が目線を移す度に聞こえてくる声は多くなった。悠人はぐるぐると目を回し、気持ち悪くなって俯く。しかしそれでも声は鳴り止まなかった。


ー早く次の駅 そういえば昨日の まだなのかなぁ これ面白い 彼は今どうしてるんだろう お腹減ったなぁ あ、これ見たことある


沢山の声が折り重なって滝のように流れ込んでくる。目を伏せても状況は変わらず、悠人の頭の中は洪水状態だった。

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