第10話

人は誰しも心に悪魔を飼っている。有名な小説家がそう言っていた。たしかにそうだ、性善説とか性悪説とか言われるが、俺は性悪説が正しいんじゃないかと思う。例えば誰かが困っているのを見かけた時、面倒臭いからと見過ごすことは簡単に出来るが、助けに動くことは労力を使う。つまり、悪いことをする方が楽で簡単なのだ。それは結局性悪説を支持する要因の一つになるだろう。

物理的に助ける助けないだけじゃない。心理的に相手の不幸を願うのも性悪説の重要なきっかけになる。他人の不幸で飯がうまいとはよく言ったものだ。人々が好む噂話といえば、誰かの幸せな話ではなく、誰かの良くない花、不幸な話の方が多い。日々ストレスのたまる生活の中で、心を慰めるのは他人の自分より不幸な話なのだ。人は誰かが悲惨な目に遭った話が好きだ。それで日々のストレスの中で、少しだけ胸のすく思いをすることができる。自業自得だ、いい気味だ、と面白がって話して回る。テレビなどを見ていればそれは顕著に感じられるだろう。一番気兼ねなくからかうことができるネタといえば、浮気とか横領とかいった小さな不幸たちだ。そういうネタを見つけては、マスメディアは嬉しそうに取り付き、関係者を舐め回す。いいことをして名前を覚えてもらうのは非常に大変なことだが、悪いことをして名前を忘れられなくさせるのは簡単なことだ。そうやって、この社会は回っていっているのだ。だから、悠人が祥子の不幸を願ったことも何も特別なことではなかった。普通の人間として普通の感情だ。しかし、悠人はそれでも、一度は愛した人間の不幸を願ってしまったことを深く反省していた。もし、本当に祥子が不幸になっていたら、いい気味だと笑っただろう。

予想に反して幸せを見せ付けられたからこそ、はっと気付きそして自分を恥じた。人の幸せを直に感じてやっと、不幸を願うことの不毛さに目覚めることが出来た。人間の愚かさに背筋が痒くなる感じがした。


悠人はバイトからの帰り道、何度も祥子と先輩の笑顔を思い出していた。小さい頃から、嫌なことがあった時は、その情景を何度も思い出して心を慣れさせ、フィルムのように擦り切れさせていくことで感情を緩和させる癖があった。幸せな笑顔、心の声。全てが見透かせる悠人の力の前で燦然と輝く二人の幸せは悠人の心に深く黒い翳りをもたらした。光が強いほど影も強くなる。悠人は、あんな風に笑い合ったことが自分にはあっただろうか、と自問した。確かに祥子と二人で幸せにやっていた時間はあったはずだ。しかし今となってはその記憶は色褪せ、自信のないものへと変化していた。

俺もあんな風に幸せにしていたっけ。今ではもう思い出せない。祥子が心から幸せにしていたかはもう知ることは出来ない。もしかしたら、俺では力不足だったから先輩へ移り木をしたのかもしれない。そう考えるとじわじわと背中から焼かれていくような不快な感覚に陥った。悔しい。悲しさと同時に悔しさがあった。どうして自分ではだめだったのか。何故先輩なら良かったのか。今でも俺を好きでいてくれるなら、何故俺の前から去ってしまったのか。聞きたいことは沢山あった。しかし聞く勇気は悠人には無かった。

電車の中で不意に涙が溢れそうになる。これは悔しさの涙だ。彼女を取られてめそめそ泣いている女々しい男になることは避けたかった悠人はぐっと涙を堪えた。

こんな力さえ無ければ真実を知らず、こんな惨めな思いをせずに済んだのだ。俺が人の心なんてものを望んだがために苦しむ羽目になった。悠人は唇を噛みしめる。それと同時に窓に映る自分の情けない顔に喝を入れるようにぐっと頭を振った。

もう人の心を覗くのはやめよう。そう決めた悠人に、現実は甘くないことを知るのだった。

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