第8話

検証の中で分かったことがあった。遠くの人でも目に入る範囲であれば心の声は聞くことが出来ること。複数人の心を同時に聞くことが出来ること、画面越しだと生放送なら可能であること。

一つ出来ることを見つける度に森岡は自分のことのように喜んだ。次はこの力を活かす方法を考えよう、と息巻いていた彼の姿が目に浮かぶ。バイトだからと言って仕方なく別れたが高揚感でまだふわふわしていた。


「坂下くん、ホール回って」

「あ、はい」


先輩バイトの田島さんが食器を片付けながらこちらに指示する。黒髪を肩で切り揃え、切れ長の目がクールな美人だ。悠人は心の中で田島さんに憧れていた。好き、とかそういう感情ではなく、人間として素敵だと思っていたのだ。 近くの女子大に通う田島さんは、女子からもかっこいいと言われる人気具合だ。男勝りな性格はさっぱりとしていて見た目と相まって、くノ一のような感じをさせている。


彼女の指示通りにホールに出る。いつものことだったが今日はいつもと違った。悠人は人の心を読めるのだ。バイト中でも試さずにはいられなかった。

ホールを歩き、注文を取り料理を運ぶ。その流れの中で悠人は客たちの心を覗き見ることにした。


ー明日は会社休もうかなぁ?

ーこのあと家に誘ったら来てくれるだろうか。

ーやばい、明日の準備まだしてない、はやく帰らなきゃ。

ーあーやっぱりこの焼き鳥美味しい!

ー今度こそ告白しよう。これだけデートしてるんだし、オーケーしてくれるよね?


様々な思惑が悠人の頭に届く。それは風に揺られた木々のざわめきのようであり、満ち引きを繰り返す波の歌のようでもあった。声として鼓膜を震わせる感覚でもなければ、文字として頭に浮かぶイメージとも違う。認識が直接脳内に流れ込む情報として悠人の意識に写り込む。心の中に飼っている自意識が過剰に膨らみ、他人の意識までも取り込んでいくようだった。自分ではない誰かの考えが、自分の脳の一部を支配する感覚は怖くもあった。しかしそれ以上に好奇心が勝り、意識を他へ向ける。

目に入る人に集中する度になだれ込んでくる思考の集合体は、甘い毒のように悠人を虜にさせた。人の心を知れるというのは、全知全能の神になったに等しい感覚を与える。俺はお前が何を考えているのか分かるんだぞ、と思うのは悠人を優越感に浸らせるのに充分な力があった。

がやがやと話し声が混ざる店内で、一人いつものように働きながら新鮮な体験に舌鼓を打つ。甘いアイスを蕩けさせるような万能感に浸かって心がぷかぷかと浮くのを感じた。


「ご注文をお伺い致します」


上機嫌な悠人は満面の笑顔で接客する。その彼の心をストップさせたのは思いがけないことだった。


「あ…悠人」

「祥子…」


目の前の客はあまりにも見知った顔だった。祥子と、そして先輩だ。学校から近いこの店に来るのは至極当然の話であって、まさかこんな所で会うなんてことを予測することも出来ただろうにそれをしなかった悠人には一瞬にして表情が硬直するのに充分な出来事だった。


祥子とは、心の中を知れるか試して詰問して以来だった。気まずい空気が流れる。


「坂下、お前ここでバイトしてたのか」


先輩は驚いたように言う。俺と祥子が出す空気に関せず呑気に聞く先輩に苛立ちさえ感じた。


「あぁ、はいそうです」


正直先輩の顔なんて見たくなかった。話したくもない。先輩は祥子を奪った敵だ。俺と祥子が付き合っていたのを知っていたかは分からなかったが俺たちの中を引き裂いた張本人であることには間違いなかった。苦い。砂を噛んだような味がする。一刻も早くここから逃げたかった。素早く営業スマイルに切り替えて、ご注文は?と改めて聞く。それ以上の会話はしなかった。

そそくさとホールからキッチンへ戻ったが、頭の中は二人のことで一杯だった。何をどんな話をしているのか。どんな表情を向けて見合っているのか。知りたくもあったし、知りたくなくもあった。知ったら余計に辛くなるだけだと分かっていたからだ。頭がぐるぐるする。僅かな吐き気すら覚えた。

それと同時に悪い考えが頭をもたげた。もしかしたら祥子は先輩に騙されているだけなのではないか。二人が幸せに恋を育んでいることが許せなかった。せめて祥子の選択が間違ったものだったらいいと不幸を願う。そしてそれを知ることは悠人にとって今や手に取るように簡単だった。

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