第2話
少し汗ばむしっとりとした風が頬を撫でる。コンクリートの上を弾む二つの足音は軽快に鼓膜を揺らした。それは商店街のど真ん中に存在していた。ピンク色の提灯が並ぶ雑然とした道。雑貨屋や洋服屋がずらりと肩を揃える中、それは異質に、突如として現れたエイリアンのように不思議な空間を編み出していた。
「ここか」
それは赤い鳥居を構えて、まるで来る人を誘うかのように奥へと続く細い小道には願い事の書かれた短冊が無数に結ばれていた。入り口のすぐ目の前には蝋燭や線香が背比べをしている。そして正面に構えた神殿には奇妙な形の像が置かれていた。蛸を裏から見たような形の像はとても特徴的で、そこが普通の神社とは違った異質なものであることを囁いているようだった。
「これに手をかざして願いを込めるといいらしいぞ」
森岡は俺に首を向けながらその蛸の像に手をかざした。そして目を閉じる。それを横目で見ていた俺は、彼が何を願っているのか、そして自分は何を願おうかと逡巡した。からりと掛けてある風鈴が揺れる。しばらくして悠人に場を譲った森岡は、願う時は名前と住所を忘れないようにするんだぞ、とうんちくを宣った。
さて、何を願おうか。悠人は考えた。蛸の足に手をかざしながら、一連の出来事を思い出して目を瞑った。祥子のこと、結局俺は何が一番辛かったのか。振られたことが一番じゃない。それまでの楽しかった時間までもが嘘だったのじゃないかと考えるのが一番嫌だった。祥子に初めて告白した時、はにかみながら受け入れてくれた彼女の顔の愛らしさに心を奪われた。それから手を繋ぎ、歩幅を合わせて並んで歩いた。その一つ一つの挙動が、彼女と一緒だと楽しく思えた。俺が好きと言えば彼女も、私もと返してくれた。くすりと笑う仕草が視界の中で揺れる光景に胸の底から温かいこそばゆい何かが溢れて来る気がした。彼女と過ごした日々の毎日が大切に思えた。しかし彼女はどうだ。あっさりとそれを手放して、まるで何もなかったかのように冷たく振る舞った。いくら新しく好きな人が出来たとはいえ、俺は彼女のその残酷な幕引きに愕然としていた。いつから、とか、何故、とか聞きたいことは山ほどあった。しかし一番聞きたかったのは彼女の心だ。彼女の考えていることが知れたならば結末は違っていたのだろうか。彼女の考えていることが分かれば俺は納得出来たのだろうか。出来るならば彼女の心が知りたい。何を考えているのか、それさえ知れたら良かったのに。そうだ神様、どうか俺に人の心を読む力をください。彼女の思考を理解出来る手かがりを。
ぐっと頭の中で念じる。と同時に不思議な感覚が悠人を包んだ。かざした手がぼんやりと熱くなり、じわじわと侵食していくような感覚を覚えた。驚いて手を引く。その余韻に森岡に何か言おうか迷ったが、悠人はなんとなく言わない方が願いが叶う気がして口を噤んだ。
「お前は何を願ったんだ?やっぱりモテますように、か?」
森岡が線香に火をつけて立てた。煙と共に独特の匂いが鼻をつく。悠人も真似をして線香を立てながら彼を見た。
「それは秘密だ。願い事を話すと叶わなくなるって言うだろ?」
「たしかにそうだったな。俺も俺の願い事は秘密にしておくよ」
そうしてくれ、と笑い、俺たちは神社を後にした。またね、と幼子のような甲高い声で鳴く風鈴が二人を見送った。
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