第4話

その川はホタルを見ることができる川ではあるけれど、それほど有名な川ではない。二つの小さな道路に挟まれ、少し谷のようになっているが、水深は浅い小さな川だ。川幅もそんなに広くはない。水に濡れるのを厭わなければ渡ることは難しくない。日本ならどこにでもあるような川だ。

道路わきに設置された階段を使って川岸に下りる。川岸には砂利がたくさんあって所々に草が少しだけ生えていた。もう少し上流の方に行かないとたくさんのホタルは見れないだろう。私はさらに歩くことになった。ジャリッ、ジャリッ、という砂利を踏む音とサーッという川の流れる音だけがしていた。月明かりはあるものの暗いので足元が見えづらい。空を見上げると星がよく見えた。

やがて足音がガサガサと草をかき分ける音に変わる。さすがに危ないと思ったので、懐中電灯の電源を入れて照らした。

草をかき分ける歩くこと数分、草の無い少しだけ開けた場所に出る。蛍から教えてもらった場所は多分ここだ。懐中電灯の電源を落として目を閉じる。心の中でゆっくり1分数えて目を開いた。

ホタルはたくさんいた。辺り一面とまではいかなかったけれど、川の近くに生えている草には一本につき2、3匹は必ずいる。月明かりに照らされたホタルの光。この光景を「幻想的」と言うのだろうか。

もう少し近くで見たい。川岸ギリギリまで近づいていった。少ししゃがむ。するとホタルが1匹目に留まった。

ホタルは動くことなくじっとしている。光は一定のリズムで点滅を繰り返していた。ゆっくりと明るくなり、ゆっくりと暗くなる。その点滅の繰り返しはホタルが確かに生きていることを実感させた。そのリズムはまるで心臓の鼓動のようで、目をはなすことができなかった。生きている。このホタルは確かに生きているのだ。

そのままじっと見ていると、ホタルは羽を広げてパッと飛び立った。見失わないように必死に目で追う。ホタルの光は飛んでいるとほんの少しだけ筋を引いたように残像が残るようだった。漫画に出てくる人魂みたいだ。

私は立ち上がって辺りを見た。辺りには数十匹のホタルが光っていた。

ホタルは求愛のために光っているのだという。どのホタルも次の命につなげるために光っているのだ。必死なのだろうか?そうに違いない。命は必死でなければならないはずなのだ。静かに、必死に、ホタルは光っているのだ。

『え、だって、とても健気じゃない?』

気が付くと涙が出ていた。川が流れる音がなければ涙の落ちる音が聞こえただろう。

ああ、ようやく泣くことができた。これは私が蛍のために流す涙だ。悲しくなかったわけじゃなかった。寂しくなかったわけじゃなかった。ただ、蛍、あなたのためだけに泣きたかったのだ。私は。誰かの一緒に悲しむためでもなく、誰かに見せるためでもなく、ただ蛍のために悲しみ泣きたかった。

そう思うとどんどん涙が零れてきたけれど、声は出さなかった。辺りが静かだったから、私も静かに前を見ながら泣いていた。

『そのためにも、清乃はもう少し勇気を出して他の子と関わった方がいいと思うな~。』

蛍の言葉を思い出す。違うよ、蛍。私は怖かったんだ。人と接するのが昔から怖かった。お互い親友だと言っていた人たちが次の日には絶交していた。さっきまで笑っていた人が急に怒り出したこともあった。いつの間にか仲間外れにされている人がいた。人の気持ちや行動なんて本当にがらりと変わってしまう。私はそれが怖かった。だから人に対してとても臆病になったんだ。どうしていいか分からなかったから。それを変えてくれたのは、蛍、あなただ。あなたが話しかけてくれて、一緒にいてくれたからその怖さが和らいだんだ。感謝してもしきれない。あなたは私を救ってくれたんだ。だから今度は私から話しかけよう。そう思ったのに。

遅かった。致命的に遅かった。私が必死になっていた時にはもうあなたはいなくなっていた。私はもっと勇気を出して、もっと早く自分からあなたに話しかけるべきだったのに。そしたら、蛍。あなたはどんな顔をしてくれたかな。笑ってくれただろうか。それとも驚いただろうか。それももう確かめられないよ。

それとも、もっと早く出会っていれば違ったのかな。時間が多ければ自分から話しかけることもできたのかな。もっと一緒に居られればケンカとかしたのかな。仲直りはできたのかな。ああ、「もしも」の話が次から次へと出てきてしまうよ。

後悔はしてもし足りない。私は間に合わなかったのだ。だからこの言葉だけでも、せめてこの言葉だけでいいから、あなたに伝わってほしい。

「ありがとう。さよなら。」

ホタルの光る川岸でもう少しばかり私は泣いた。

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