回想③

蛍が亡くなったのは日曜日だった。そして私がそれを知ったのは月曜日だ。火曜日から中間考査がはじまるという時期で皆テスト範囲の復習に忙しかった、と思う。実はあまり良く覚えていない。わたしはというと、今日は自分から蛍に話しかけるという一大決心をしていたため、そのことで頭がいっぱいだった。

蛍にいつまでも話しかけてもらってはダメなのだということは分かり切っていた。だけど、その日まで自分から話しかけることはできていなかった。なぜかと言うと、答えは話すべき話題が見つからなかったからだった。一言二言で終わるのは会話とは言わない。せめて1、2分は続くようにしたかった。だから日曜日には必死になってシミュレーションしていた。話題はホタルについて。本も購入して知識を頭に叩き込み、漏れがないようにネットでも調べた。どんなふうに返されても必ず続けられるように。私は真剣だった。高2の1学期の中間考査なんてこの一大事に比べたら些細なものだ。話しかける言葉はすでに百回は頭の中で繰り返していた。「実はホタルについて調べたんだ。」堅すぎず、かといってくだけすぎない調子で言おう、表情も柔らかくして、と注意していた。

だから、正直みんながあの朝どうしていたのか、全くといっていいほど思い出せない。思い出せるのは反芻した言葉と話しかけるイメージ、そして「早くきてほしい」という思いだけ。

でもそのあとのことならある程度は思い出すことができる。ある程度だけ。

まず先生が入ってきた。確か何も言わずに。表情はなかった。いつもは「席につけ」の一言くらいはあるのに。そのあと教壇に立つと代わりにこう言った。

「蛍さんが亡くなりました。交通事故です。」

最初は意味が取れた。反芻すると意味が分からなくなった。多分皆ポカンとしていたはずだ。私はどんな顔をしていただろう?

そのあとは、全校集会、授業、次の日のお通夜というか告別式まであっという間だった。私は流されるように参加するしかできなかった。記憶に残っていることはあまりない。中間考査が延びてしまったなと思ったくらいだ。

告別式では泣いている人がほとんどだった。それはそうだ。蛍の人柄、人間関係を考えれば惜しまれてしかるべきだ。皆彼女を悼んでいた。私もそうだったと思いたい。

蛍はあまり見れる状態ではなかったらしい。だから棺だけがあった。蛍と親しくしていた女の子の一人がお別れの言葉を述べていた。すごいことだと思う。彼女は悲しみの中あの短時間で故人に対する思いをまとめきっていたのだ。とても偉い。私はただ流されていただけなのに。この差は何なのだろう?

その弔辞の中では、蛍は誇張されもしない等身大の蛍ともいうべきものが述べられていた。彼女は最初落ち着いた声でそれを読んでいたけれど、途中から耐えられないとばかりに急に涙声になった。周りのすすり泣きは明確な鳴き声に変わった。私はそれを聞きながら、ああ蛍は皆に慕われていたんだと今更ながらに実感した。蛍といる時は大抵二人だったから、蛍に友達が多いことを忘れかけていたのだ。誰もが泣く中で、私は泣けなかった。感情がないわけでもなく、泣くべきタイミングであるだろうにそれでも泣けなかった。なんでなのか、私が一番わからなかった。

ふと周りを見ると、大人たちは悲しみながらも自分のやるべきことを、役割を果たしていた。なんと立派なことだろうか。私は何をやっているのだろう?

告別式が終わった後、担任の先生に声をかけられた。明らかに疲れた顔をしていたのに、私に「大丈夫か?お前は川上と親しかったからな。」と言った。

「大丈夫です。」そう答える。

そう大丈夫。なぜなら昨日は6時間きっちり寝ました。友人があんなことになったと知ったのに。多分今日も寝ることができると思います。本当はそう言いたかったけど、なんとか飲み下す。私が言うべき言葉はそれではない。

「そうか。無理はしないようにな。」

「はい。」

「それにしても、即死らしいから苦しまずにすんだだけ良かったのかもしれない。苦しい思いをしていたのなら、もっといたたまれないからなあ。」

何が良かったのだろう。最善は蛍が生きていて、今頃は実は勉強が苦手な彼女から泣きつかれていることだ。私は「しょうがないな」と返す。それから放課後に一緒に図書館なんかで勉強する。蛍が集中できないのを私がたしなめながら。試験が終われば打ち上げなんかもしただろう。それが一番いいのだ。それ以外は全くよくない。全然よくない。

分かっている。割り切っているのだ、先生は。だけど私の感情は止められなかった。

その場に居たくなくなって、一礼して式場を後にした。そのままどこにも寄らずにまっすぐ家に帰り、ご飯を食べ、お風呂に入り、布団に入って寝た。そこは普段と変わらなかった。

告別式の次の日からは中間考査だった。蛍がいなくなっても私たちの日常は続くのだ。人が一人いなくなった程度では世界は何も変わりはしない。今更なことだった。

何も考えたくなくて私は中間考査に没頭した。多分全校生徒の中でも指折りだったんじゃないだろうか。いつもの試験と違ったのは、皆静かすぎるくらい静かに受けて、静かすぎるくらい静かに終わったことぐらいだった。

試験の全日程が終了し、部活がある者は部活を再開した。私は帰宅部なのでまっすぐ家に帰った。蛍が一緒ならどこか寄り道をしていたかもしれない。彼女も帰宅部だった。

家に着いた後は試験勉強で随分と散らかった部屋を片付ける。山積みの教科書やプリントの山を少しづつ崩しながらの作業だった。そして最後、一番下にあった世界史の教科書をどけると、図鑑が姿を現した。ホタルの図鑑だった。蛍に話しかけるために熟読した本だったけど、どこに置いていたのか忘れていた。私はそれを手に取る。

『やった。約束ね♪』

そういえば約束していた。思い出した。そして、私はその日のうちに蛍を見に行くことに決めた。急いで支度をし、蛍と決めていた場所までのルートを地図で確認した。最後は飛び出すように家を出た。何としてでも今日行かなければならない気がしたのだ。理由はそれだけ。他には特になかった。

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