自由の街Ⅲ
魔獣の体に小さな点が二つ見える。シェリとアンハレナが魔物の所へ辿り着いたのだ。
魔物は街の破壊を一旦止め、自分の体を無茶苦茶に叩き始める。
「あの巨大な魔物に臆することなく……何なんだあの二人は……」
「性格はともかく、強さはかなりのものだ。俺の配下に相応しい」
まるで見世物のような魔物との戦いに俺達二人は見惚れていた。その間に城内に武装した人間が数十名雪崩れ込んでくる。彼等は整列し、俺とカリンの前に一本の道を作った。
その奥から、男が一人ゆっくりと歩いてくる。黒髪の短髪にヒゲを生やした中年の威厳ある男だ。彼の鎧はカリンの着けているものと同じように白く輝いている。
「サーレンズ……様……」
カリンは驚いていた。こいつが市長の言ったサーレンズ・クオッグなのであろう。序列十三位、おそらくカリンよりも格上だ。
「サーレンズ様!私はあなたの言い付けを守ろうと……!」
市長はカリンの魔法で縛られたままサーレンズへ訴える。だが、サーレンズはそちらには一瞥もせずに俺達の前で止まる。
「カリン・アスタニカ、手を煩わせたことは詫びよう。どうやら行き違いがあったようだ」
サーレンズは固く閉ざされていた口をゆっくりと開く。
「ルードは自治都市という手前、
「そ、そうだったのですか!私もそのような内情を知らず申し訳ございません!」
カリンはペコペコとこれでもかと頭を下げる。サーレンズの視線は横にいる俺へと移った。
「君が『
「よくご存知で。この状況もあんた達の想定通りなんだろ?」
「……やはり君は危険な存在だ」
サーレンズの眼は、もう完全に俺を排除するべき敵として認識している。カリンはまだそれに気付いていない。
「サーレンズ様!あの魔獣が街を破壊しているのを止めなくては!私達
「『魔獣』……?何を言っているのだカリン」
やっとカリンはサーレンズ・クオッグに宿った狂気を感じ取った。
「あれは『聖獣』だよ。この不浄の街を浄化するためのな……」
「仰っていることの意味が……わかりません」
カリンにとって、サーレンズは尊敬する人物だったことがわかる。彼女はこの男が言ったことは何かの間違いではないかと可能性を探っていた。
「あの聖獣は私が『召喚』に成功したのだ。神の試練を果たせなかったこの街の民には死を以って罪を償わせなくてはならん」
信頼は容易く裏切られる。
あの魔獣を暴れさせているのは目の前にいる男だ。
「魔獣でも聖獣でも好きに呼べばいい。ところで、わからないんだが教えてくれ」
「魔法の技術はあんな怪物を召喚するなんてまだ不可能だと聞いたんだが……あんたはそんなに凄い魔法使いなのか?」
あの魔獣を丘で初めて見る直前、シェリはこの世界の魔法では魔獣の実現はまだ出来ていないと言った。
この男がその常識を打ち破ったのだろうか。
「私にそんな才能が無いのは理解している。全ては神に出会い、その声を聴いたことで成し遂げられたのだ」
「『
言い終えるかどうかの瞬間、サーレンズは腰に差した剣を勢いよく引き抜いた。その切っ先が俺の喉元を擦る。
「……!」
危なかった。喉を切られれば、『声を出せなくなる』ところだった。それは俺の全てを終わらせかねない。
後ろへ跳び、サーレンズの続く斬撃を避ける。そして、この状況をどうするか思考を巡らせた。
明確な殺意を持った敵が一人。
その後ろに二十人程の完全武装の兵士が控えており、近付けば対処しきれない。
カリンはどうだ?
今、彼女は目を見開き震えながら、俺とサーレンズを見ている。
彼女は俺とサーレンズ、一体どちらの味方なんだ?
シェリとアンハレナは魔獣への攻撃で手一杯で、こちらの状況は知る由もない。助けは期待出来ない。
剣の訓練を受けた事もなく、ひ弱な少女の身体の俺は『呪いの言葉』に頼らざるを得なかった。
「動きを止め……」
「遅いよ」
サーレンズは俺が言葉を放ち終える前に肉薄する。その刃は全く無駄なく俺の喉元を狙っていた。
「『呪いの言葉』を唱えたくて仕方がないだろう。だが、『
こいつは俺の『呪いの言葉』を封じることが可能だと確信している。魔王が殺された直接の原因……喉を切ることで。
息が苦しい。
身体は既にこの男の攻撃を避けることに限界を迎えつつある。
「カリン……!」
その名前を呼ぶのが精一杯だ。
カリンは戸惑っている。サーレンズは彼女を裏切っていた。だが、そもそも俺自身が彼女が滅ぼすべき『
「カリンっっ!!」
出来る限りに叫ぶ。サーレンズの攻撃を避けることを放棄し、残りの体力、限られた数秒でその名前を呼んだ。
「さぁ、神話と同じよう……死にたまえ」
白刃の鋭い先端が、俺の喉元に向けて突き立てられる。
ガキィン!
死を覚悟したその刹那、金属のぶつかる音が目の前で響いた。俺を守るよう、少女がサーレンズの刃を受け止めている。
俺の声がカリンに届いた。
「何をしている……カリン・アスタニカ」
「『
カリンは精一杯の力で男の力を押し返そうとする。
「それでも……私にはあなたこそ、道を外れていると思えるのです……!」
「乱心したか……『信仰の鎖』よ」
カリンが時間稼ぎをしてくれている間に、俺は呼吸を整えて息を大きく吸った。
「
『呪いの言葉』は冷たい夜の空気の間に響く。遠くの魔獣の叫び声すら一瞬聴こえなくなり、周囲は静止した。
控えている二十名ほどの
だが、想定外の出来事が起きた。
「そんな……なんで……?」
そんなはずはない。事実、他の者達は命令に従ったというのに。
「それが『呪いの言葉』か……たしかに便利なものだな」
肝心のサーレンズ・クオッグ、この男は俺の『呪いの言葉』を無視し、ニヤリと笑う。
「邪魔だ」
「きゃっ……!?」
サーレンズは剣を受け止めるので精一杯のカリンの腹を蹴り飛ばした。カリンは俺の足元に倒れこむ。
「さぁ、次は何を見せてくれる?『
黒い影をまとい、男は一歩、また一歩とこちらへと距離を詰めた。
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