帯剣Ⅰ
シェリとの西への旅の途中、エンリア帝国の首都であるシェード=レジスは大騒ぎになっているらしいと多くの人間から聞いた。
なんでも、帝国の国教である『女神教』の宿敵であり、常に歴史の裏側で蠢いていた『魔王教』の信者達が『
そして一週間以内に各地の有力者達を集めた帝国会議が招集されるらしい。
「なぁ、もしかして大変な事になってるのか?」
「……ふぇ?」
シェリは呑気に途中で俺の上等な服を売って手に入れた金で買った果物を食べている。
「無駄とは思うが……帝国の有力者達について知っていることは?」
一緒に行動していると、シェリはなんとも間の抜けた女であるのが嫌というほどわかった。話はどこかズレていたり、何もないところで転んだり……
「ん〜……多分、司会役は大僧司グルトネウスでしょ。あと、北方十万軍を指揮してるノルスラント軍令のロスラ・ジェイザルはいるだろうね。それから、東方辺境公シャント・ミレドもいるはず!」
「ロスラの一族は代々武勇で名を馳せてきたのに、あの人は大きな戦争に出たことないから手柄を挙げる絶好の機会と思って軍を動かすよう提案するだろうけど……」
「頭脳派でロスラと対立してるシャントは国民を動揺させないように、刺客を使って隙を狙うよう提案すると思うよ」
一体なんなんだこの女は!
ついさっき間の抜けた女と思ったのに、次の瞬間にはまるで万能かのように振る舞う。
「早口でしゃべったから疲れちゃいました」
「イーリエ様、角を触らせてください」
シェリは無表情でこちらに近付き、俺の頭の角を両手で掴んで撫でる。何故かこれにハマっているようだ。特に感覚は無いのでそれは構わないのだが……
角を触られている間、俺の顔はこいつの胸に思いっきり突っ込んでいるのだ!
元の世界では中々体験することの出来ないこのサービスタイムに、俺はただ身を委ねるしかなかった。
シェリはこの旅の途中、たくさんの事を教えてくれた。
この国の神話、歴史、政治、文化……結構シェリの独自解釈は入っているようだったが、それでも知識無しの俺にはありがたい存在である。
だが肝心な事、生い立ちであったり、何故『
旅に出て二日、既に行程のほとんどを終えた。
俺は、この帝国はシェリや『魔王教』の連中が言っていたほど悪いものではないように感じ始めている。
護身の短剣一本しか持たない(側から見れば)ひ弱な少女二人だけの旅でも危険な思いを全くしない治安の良さ。
通り過ぎてきた農地は収穫間際らしい作物を豊かに実らせ、荷物を満載した馬車と幾度となくすれ違った。
『悪の帝国』……と言ったイメージは感じない。それどころか幸福な世界、楽園のようですらある。
にも関わらず、シェリは『魔王』を召喚した。
彼女は無邪気な笑顔の裏に何を隠している?
シェリは何故、この世界の変革を望んでいるんだ?
「シェリ、俺を召喚した日……お前たちは俺に、『帝国は汚職と圧政で民を苦しめている』と言ったのを覚えているか?」
「え〜そんなこと、言ってましたっけ?」
「言ったんだ!だが、俺にはこの国は文句のつけようの無い『良い国』に見える。どういうことだ?」
「まぁまぁイーリエ様、それよりもこのお菓子食べませんか?」
「はぐらかすな!」
大声を上げる。だが、シェリは動じない。最初に怒鳴った時、こいつはぶるぶると震えて怯えたというのに。あれすら演技だったのか?
「本当の事を……聞きたいですか?」
シェリは寂しげな笑顔で俺を見ていた。
「聞かせろ。神を欺くなど、貴様ごときがおこがましい」
クスッ、と彼女は笑う。見た目が少女だからか、俺が凄んでもあまり効果はないようだ。
「たしかにこの国は豊かで平和です。けど、その影では差別されて、虐げられている人がいます」
「私たち『魔王教』の信者は、ほとんどが十年前から帝国が進めてきた『民族浄化』の被害者なんです」
これが本当の事か。俺は少し拍子抜けしていた。その程度の事なら最初から真実を言えばいいものだろうに。だが、彼女はまだ話すべきことがあるようだった。
「教団から逃げ出した後もイーリエ様に本当の事を話さなかったのは、私が『過去』に何をしてきたのか知られるのが怖かったから」
「知ればあなたは……私を拒絶すると思います」
「それでも、知りたいですか?」
少し薄暗くなった夕焼け、よく見えないがシェリの頰に涙が伝っている。
「シェリ……このバカが」
「俺はお前たちが何だろうと救ってやる。何があってもだ。それがお前の忠誠に対する俺の答えだ」
シェリは「うわぁぁ」と大声を上げて泣き、俺に抱き着く。構わない。俺はこいつの『全て』を受け入れてやろう。
俺はシェリを抱いたまま、彼女の背中を撫でさすっていた。何度か引き離して表情を見ようとしたが、「見ないでぐだざぃぃ」と余計に強く抱きつかれる。
もう空は完全に真っ黒になり、点々とした星と一際大きな月が俺たちを照らしていた。
吹く風が心地いい。
もう少し、このままでもいいかな。そう思った矢先だった。
「イーリエ様!」
シェリは突然俺を押し倒し、一緒になって地面に転がった。
「な、何をする!?」
その時見たシェリの顔は、今まで見たどんな時よりも冷たく、恐怖すら感じた。その瞳は少し先の林を向いている。
林の中から、何かが月に照らされキラッと輝いた。その輝きは鋭くこちらへ向かい、地面に小気味のいい音を立てて突き刺さった。
それは銀色の短剣……いや、苦無のようなものだった。
だが、驚いたのはそこではない。
シェリはこの一瞬の内に苦無の飛んできた方向を認識し、さらになんの躊躇いもなく林に向かって走り出す。
「シェリ!待て!」
制止は彼女には届かない。
いつのまにかその手には護身用の短剣が鞘から抜かれ構えられていて、次々に彼女を狙い飛んでくる苦無を弾き飛ばしていた。
「なんなんだ……あいつ」
シェリが林の側にまでたどり着くと、苦無の攻撃は止んだ。ほんの少しの静寂の後、何かが木の上から降り立つ。
人だった。真っ赤な髪に最低限の肌だけを隠す軽装の少女だった。
「『
赤髪の少女は片言で、シェリを睨みつけて話す。
「アンハレナは、オルフで一番の速い。『
「だったら殺してみなよ。オルフ族の『処刑人』さん」
シェリはこの状況に余裕の笑顔を見せている。いや、それどころか楽しそうに活き活きとしている。
オロオロとあからさまに狼狽える俺に、赤髪の少女は指差して声を掛けた。
「アンハレナは一人で仕事する。他は誰もいない。安心していい」
「『
安心していいのか悪いのか。アンハレナと名乗る少女はシェリと対峙し、短めの柄に鎌のような刃がついた武器を構える。
「イーリエ様〜!」
次に話しかけてきたのはシェリだ。こいつら、俺を観客だと思ってるのではないだろうか。
「どんな『私』でも、嫌いにならないでくださいね〜!」
どういう意味なのか。それを考える間も無く、二人の少女は残像を残すような速さで戦いを開始した。
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