黒角姫Ⅲ

 扉の先の大広間は、阿鼻叫喚の有様であった。

 鎧の女達の仲間であろう完全武装の兵士達は、粗末なボロ布を纏った人々を囲み、その包囲を破ろうと飛び出す者には容赦無く槍を突き刺した。死体は悠に二十体ほど横たわっており、見るからに重傷でうめき声を上げる者も多くいる。


「シェリ……教えろ」


「これがこの世界の……普通なのか」


 シェリは答えなかった。いや、答えられなかったのだ。


 彼女にとって、自分たち弱者が強者に蹂躙されるのは当たり前のことなのだろう。だからこそ、俺を魔王として召喚し、その運命に抗おうとしたんだ。


 世界を滅ぼすことに興味はない。だが、今は……今この時だけは……


 目の前で絶望する人々を助けたいと思った。


「シェリ、望みを言え」


 俺はシェリに、彼女の意志を確認する。


「俺はお前の望みを叶えてやる」


 彼女は深呼吸のあとに、曇りない瞳をさせて答えた。


「私たちをお救いください」



「わかった」


 俺は、俺に与えられた力をここで使う。


 その使い方は、ほとんど勘だった。



「鎧を着る者達よ!そこに跪け!」


 大声で俺は指示する。兵士達は背後の扉から入ってきていた俺たちにようやく気付いたようだ。いきなり自分達に命令を下した少女の姿の俺に、戸惑っている。


「お前達も邪教の信者だな!拘束する!」


 一人の兵士がこちらに向かってこようとする。だが、彼の意思に反して身体は地面に引き寄せられた。まるで土下座をしているかのようだ。


「おいっ!どうした!?」


「身体が勝手に……!」


 その兵士が引き金となり、その場にいた鎧を着た兵士達は全員地べたに平伏した。包囲され、絶望していた信者達は何が起こったのかわからず、呆然としている。


「これが……『魔王の子タイメッソリファ』である『黒い角の姫君コンタンヴィレ』のお力……」


 フードの男もまた呆然とする一人だった。


「凄い……イーリエ様は本当に救世主だった!」


「凄い!凄いです!」


 シェリはぴょんぴょんと跳ねながら俺の手を上下に揺さぶる。神への敬意というものは無いのか……?



 少しして、信者達はようやく落ち着いた。そして、フードの男は改めて彼らに俺を紹介する。信者達は新たな救世主の誕生に歓喜した。


「『黒い角の姫君コンタンヴィレ』!こいつらを血祭りに上げ、完全な復活を我等にお示し下さい!」


 信者の一人が、うずくまる兵士達を指差して言う。兵士達は、まったく抵抗出来ずに今から自分達が見ることになる地獄を想像し、「助けてくれ」「やめてくれ」と懇願する。


「無駄な血を流す必要はない。お前達もそいつらと同じになるのか?」


「『黒い角の姫君コンタンヴィレ』、何故止められるのですか?こいつらは私達の仲間を多く殺し、あなたへの信仰を絶やそうとしたのです。罰を与えるべきです」


 フードの男は、俺の目の前に立つ。顔は笑顔だが、その眼は俺を操り人形として手元に置きたいという狙いが透けて見える。


「だ、ダメだよ!」


 シェリは兵士達を嬲り殺しにするために近付いていく信者達の前に立った。


「まおー様は!無駄な血は流すなって言われたんだよ!」


「うるさい!恨みを晴らさなきゃ気が済まねぇ!」


 信者の一人がシェリに棒で殴りかかる。バキッという音と共にシェリは倒れた。


 俺の中で、何かの糸が切れた。



 同じなのか?

 お前達も自分が絶対優位となれば容易く自分が受けた痛みを忘れるのか?


 身体の中で、どす黒い炎が燃え上がるのがわかる。


 信者たちは倒れたシェリを口汚く「裏切り者」と罵り、倒れた彼女を横目に動けない兵士の元へ向かう。


 ダメだ。

 やめろ……


「鎧を着た者達を……安全な所へ送れ!」


 本当にそれが言葉通りとなるのかわからなかった。だがその言葉を放った瞬間、うずくまっていた兵士達は光に包まれた。


 光に目が慣れた頃には兵士達は一人残らず消えていた。



 信者達がざわつく。



「何故なのですか……『魔王タイメッソ』様!何故あいつらを庇うんですか!?」


「そいつは本物の『魔王タイメッソ』様じゃない!偽者だ!!」


 信者達の行き場を無くした感情の矛先は、全て俺に向こうとしていた。



「待て!『黒い角の姫君コンタンヴィレ』には深いお考えが!」


 フードの男は信者達の予想外の反応に焦る。彼にはこの場を収められる力はないようで、信者達は全くその声を聞かなかった。



 仕方ない。わからせてやるか……


 俺の魔王としての力を……



「……!」


 言葉を発しようとした俺は、その違和感にすぐに気が付く。


 声が出せない


 まるで『喉をかき切られた』かのような痛みが押し寄せてくる。


 俺はその場で崩れ落ちた。全身に力が入らない。



「イーリエ様!!」



 シェリは自分が倒れていた場所から立ち上がり、俺の元へ駆け寄った。自分も殴られたというのに、力の入らない俺を抱き寄せる。


「私は誓いました。私は何があろうとあなたに従います!」


 信者達の眼には、俺はもう神に見えていなかった。この場で俺を本当に崇拝しているのは黒髪の少女ただ一人だ。


「イーリエ様、しっかり掴まっててくださいね」


 シェリはそう言うと、俺を抱き抱えて立ち上がる。今の俺は少女の身体とはいえ、それを持ち上げる彼女は中々のものである。


「一気に突き抜けます!」


 シェリはそのまま壁に向かって走り出す。


 信者達は取り憑かれたかのように「裏切り者を殺せ」と叫びながら俺たちを追いかける。


 壁なんかに走ってどうするつもりだ!?


 聞きたいが、声を出せない。


 シェリはそのまま壁に体当たりした。バゴッという音がして、壁が崩れる。そして俺達は壁の中へ吸い込まれ、すぐに下方向に重力で引っ張られて落下した。


「ああああああ!!!!!」


 シェリは叫び声を上げる。俺は声を出せず、ただシェリの身体を強く抱いていた。しばらくの落下の後、俺達は次は水の流れに飲み込まれる。川か水路のようで、浮かび上がるのに精一杯だ。

 彼女は俺を抱えながら、息ができるよう上手く泳いでくれた。この少女は自分を未熟だと言っていたが、体力や身のこなし方は一流のようである。


 流れは次第に穏やかになり、やがて明るい太陽の出ている場所になった。自然と川岸まで流され、ようやく地面に横たわることができた。



 日差しは暖かく、濡れた服はすぐに気にならなくなった。そして、俺もようやく言葉が出せるほど回復した。


「シェリ、これは偶然なのか?」


「いいえ、あの壁はいざという時に脱出できるよう薄く作ってあったんです。知っていたのは信者の中でもほんの少しでしたけど」


 あの一連の逃走劇はどうやらシェリにとっては計算された上での行動だったようだ。


「すまないな……情けないところを見せた」


「いえ!そんなことないです!」


 俺が少しシュンとすると、シェリはその謝罪をすぐに打ち消す。


「私、イーリエ様は本当の本当に救世主なんだと思いました。弱い人達を、敵味方の区別なくお救いくださるんですから」


 彼女の眼は輝き、少しだけ暖まってきた俺の手を掴んで持ち上げる。一気に手に熱が伝わった。


 シェリは本当に俺を信じている。俺はこの世界で安心できる場所を見つけたのかもしれない。


 だが、俺達にはこれからどうするのかという問題が生じていた。信者達は流れ着いた先を予測し、もうあそこから出発しているに違いない。それに、帝国からすれば俺は魔王の生まれ変わりで抹殺対象のはずだ。


 異世界にやって来てほんの数時間の内に、俺は二つの勢力から狙われることになった。


「安心してください!イーリエ様!」


 シェリはどこからそんな元気が出ているのかよくわからないが、自信満々に言う。


「俺とお前の二人だけで生き残れる算段があるのか?」


 彼女は「当たり前です」と胸を叩いた。


「イーリエ様が『黒い角の姫君コンタンヴィレ』として人々を正しく導けば、帝国も教団も恐ろしくなどありません!」


 それが出来たら誰も苦労なんかしない!ツッコミを入れたいが、どうも大真面目なようなので何も言えない。


「ここから西に三日歩き続ければ、また別の隠れ寺院があります!そこにはイーリエ様と同じように蘇られた『魔王の子タイメッソリファ』がおられるはずです!」


「その方を説得し、ともに復活をみんなにお示しになるんです!」


 シェリは饒舌にこれからの行動について提案をする。だが、あまりに情報が多くてまだ処理しきれない。


「待て……『魔王の子タイメッソリファ』ってのはそう何人もいるものなのか?」


「勿論ですよ。だから私たち『魔王教』の切り札なんです」


 三日歩き続けるのは渋々同意することにしよう。

 その間、この世界、魔王についてこの黒髪の少女には洗いざらい話してもらわなければならない。


 俺は角の生えた銀髪の少女になった自分の姿を川の流れに写しながら、これからの長い旅路について期待と不安を同時に感じていた。

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