黒角姫Ⅰ

 十数分ほど、一人で考え込む。

 幸いにも先ほどの金髪の女の子はまだ戻って来なかったので、じっくりと思考できた。


 その結果……


 何もわからない、というのが出た結論だった。まだ寝ぼけているのだろう、もう少し経てば現実に引き戻されるはずだ。


「&8〒5÷なp」


 そんな俺の浅はかな判断は、戻ってきた少女にあっけなく覆される。彼女はとても喜んでいるようで、誰かの服の裾をグイグイ引っ張りこちらの視界に入り込んでくる。フードを被った背の高い男を連れて来たようだ。


「i_・°」

「)00<2€」


 何かを話しているがまったく理解出来ない。男の方はきょとんとしている俺に気付き、手を俺の顔に近付ける。


万国言語プレリット


 男がその言葉を口にした瞬間、彼の手がほんの少し光を放った。


「私の言葉がわかりますか?」


 男は俺に問いかける。先ほどまでまったくわけがわからなかったはずの言語を、俺はまるで生まれてからずっと聞いてきたかのように完璧に理解できた。


「『まおー様』!私があなたを召喚したんです!」


 金髪少女は男と俺の間に入り込み、言葉を理解出来ているとわかっているのか止まらず話し続けてくる。


「やめないかシェリ……まだお目覚めになられたばかりだぞ」


 男は金髪少女をシェリと呼び、彼女の頭をコツンと叩いた。男はそのままシェリを抑えて俺に対して一緒に頭を下げる。


「偉大なる魔王の子、『黒い角の姫君コンタンヴィレ 』、私達はあなたに仕えます」




「何を言ってるんだアンタらは!?何かの撮影か!?俺はどうなってるんだ!?」


 俺は動く口をこれでもかとフル活用する。身体が動かせない以上、こうすることでしかこちらの疑問に答えは与えられないだろう。



「もしや……お身体が動かせないのですか?」


 察しのいい男は気付いてくれた。



「シェリ、だからお前はまだ半人前だと言うのだ」


「『黒い角の姫君コンタンヴィレ』に不完全な身体を与えてしまうとは……」



 言葉はわかるのに、何を言っているのかわからない。『黒い角の姫君コンタンヴィレ』は自分の事を呼んでいるのだとわかるが、何故『姫君ヴィレ』なのか。俺は普通のおっさんだぞ?


「ごめんなさい!まおー様!私、まだ未熟で……!」


 シェリは深く頭を下げ、俺の視界から消えた。やはり首すら動かすことができない。



「お待ちください。今あなたに完全な肉体をお渡しします」


 男は微笑み、こちらに手を伸ばす。その手はまた先ほどのように光を放っていた。



 それはおそらく一瞬の出来事だった。男の手から放たれる光は暖かく、まるで春の野原に寝転がっているのかのような心地良さを感じた。


「お目覚めください。『魔王の子タイメッソリファ』、『黒い角の姫君コンタンヴィレ』よ」


 わけのわからない肩書きで俺を呼ぶんじゃない。そもそも俺にはwt@5("mという名前が……


 なんだ?


 俺の名前は……?


「俺は……誰なんだ?」


「あなたは私たちの救い主、『黒い角の姫君コンタンヴィレ』です」


 男は何の迷いも無く答える。


「違う……俺の名前は入江……イリエ……」


「まおー様のお名前は『イーリエ』って言うんだね!」


 金髪少女、シェリは満面の笑みで勝手に俺の名前をアレンジした。だが、今思い出せるのはこれだけなのだ。不服だが一応そういうことにしておこう。


 ため息をつく。


 そして気が付いた。さっきまで身体を縛り付けていた何かが消えており、とても身体が軽い。


「……動ける」


 俺は自分が寝かされていた場所で、身体を起こした。まず一番に今まで見ることのできなかった身体を確認する。どう考えても、それは俺の身体……三十路の男の身体ではなかった。


 服を着ていないから否応無しにその現実を思い知らされる。


 俺の身体はどこからどう見ても、思春期頃の少女の身体になっている。


「なんなんだ……俺の身体が……」


「混乱されるのはわかります。我々の魔力ではかつてのあなたを再現することは出来ず……そのようなお姿でしか……」


 男はやはり淡々と混乱する俺へ語りかける。


「かっ、鏡はないのか!?」


「はいっ!イーリエ様、どうぞ!」


 シェリは準備よく部屋の端の麻袋から手鏡を取り出し俺に手渡した。そこに写っていたのは、銀髪の少女だった。この世のものとは思えない透き通る白い肌、そして真っ赤に輝く瞳、人形のように美しいが、その表情は怯えている。


 当たり前だ。今まさにこの少女の中身である俺は困惑していた。まさか、俺がこんな美少女になったというのか?どんなに高度な整形技術があればこんなことができるんだ?


 俺は頭を抱える。

 鏡に映る少女も同じ動きをする。


 手に奇妙な感触を覚えた。そう、俺の頭には角が生えていたのだ。


 銀髪の中から生えた黒い二本の角。


 『黒い角の姫君コンタンヴィレ』とはまさに文字通りの呼び名だった。



「嘘だろ……」


 角はどれだけ触っても取れない。しっかりと頭から生えている。たしかに自分の身体が角の生えた少女になっていたことは驚きだ。だが、そもそも驚くべきことは今この状況のすべてである。


 ここはどこなのか?

 この二人は誰なのか?

 なぜ自分がここにいるのか?


「イーリエ様……お召し物を」


 呆然とする俺に、シェリは服を差し出した。彼女やフードの男とは違う、見るからに上等な服だった。


「あ、ありがとう」


「私はイーリエ様に仕える身です!か、感謝だなんて……」


 シェリは頰を赤らめる。どうやら彼女もフードの男も、俺に害意を持ってはいないようだ。


「私は同志の皆に『黒い角の姫君コンタンヴィレ』、あなたの復活を告げてまいります」


 フードの男は俺に少し頭を下げて出て行った。俺はシェリと二人で狭い四畳半の部屋に取り残される。


「あの……シェリ?」


 俺は恐る恐るシェリの名を呼ぶ。彼女はすぐに飛び跳ねて「はいっ!」と返事をした。


「色々と聞きたいことがあるんだ。俺はなんでここにいるのか、ここはどこなのか……少しずつでもいいから教えてくれないか?」


「えっと……あなたは……」


 シェリはどうも、俺が何も理解していないことを不思議に思っているようである。


「かつて世界を滅ぼそうとした……私たちの崇拝している『魔王タイメッソ』の生まれ変わりで……」


「私たちを導いてくださる救世主……です!」


 救世主だと?世界を滅ぼそうとした魔王なのに?


「あ〜……その話から判断するに、ここは日本じゃないんだよな?」


「ニホン……?聞いたことがありませんが」


 やはりここは日本ではないようだ。不思議な手の光る男に美少女に変身した俺、そして日本を知らない女の子……



 つまりここは、異世界なんだ。



「シェリ……お前はどうして俺をこの世界に呼んだ?しかも、こんな身体にしてまで」


「それは……私はまだ半人前の召魂士で……」


 シェリは目線を逸らしながらごにょごにょと答える。その歯痒さに俺は苛立つ。


「ハッキリ言え!お前らの目的はなんだ!?」


 話の進展の遅さに、つい大声を出してしまった。シェリは明らかに怯え、「すみません」と縮まりながら謝る。


「あ……ごめん」


 我に返る。

 そうだ……彼女にとって俺は崇拝する神なんだ。その神に怒鳴られるのは底知れない恐怖に違いない。


「怒鳴って悪かった。許せ」


 俺は呪文のように謝るシェリに近づき、彼女の頭に手を置いた。


 そして、ある事を思いついた。彼女たちにとって俺は神なのだ。ならば、その立場を利用してこの世界のことを知ることが出来るはずだ。


 そうすれば、俺がこの世界に召喚された理由もわかる。


「シェリ……お前は俺に全てを捧げるか?」


「も、もちろんです!まおー様……イーリエ様!」


 彼女の眼は濁りなく透き通った緑色をしている。その口から出た言葉は、嘘ではない。


「ならこれから先、何があろうと俺に従え。いいな?」


「はい……ありがとうございます」


 シェリはとても幸せそうな顔をしている。俺からすれば、芝居掛かった馬鹿馬鹿しい台詞だったが、彼女からすれば神の声に他ならないのだろう。

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