第4話

 いきなり青い空がピカッと光った。UFOだ! と興奮する者もいれば、雷でしょ、と冷静な者もいる。ドーンっと何かが地面に叩きつけられた音がした。UFOが落ちた! と騒ぐ者もいれば、雷が落ちたんでしょ、と蔑んで窓の外を眺める者もいた。


 グミは窓の外を十分に見ることができなかった。何とか壁に手をついて窓を見上げることはできたものの、首を後ろに倒す角度にも限界があった。何か光ったのは感じることができたが、それも一瞬のことであった。何が起こったのだろうか。それを知る必要もないのだが、グミにとっては何か忌々しいものに感じられた。


 ざわざわ。やっぱり、忌々しいものがこの地球にやってきたに違いない。


 1人の女の子がグミに近づいてきた。首より少し長い髪の毛が顔にちらちらとまとわりついている。紺色のワンピースを着ている。目は笑っていなかった。その女の子は、座っているグミに向かって仁王立ちのまま見下ろす形で口を開いた。

「ねぇ」抑揚のない声だった。

 グミに組み込まれた生得的な遺伝子のうずきが大きくなった。ざわざわ、先ほどの忌々しいものの出現から静かにうずいていたこのうごめきが徐々にヒートアップしていく。グミは咄嗟に方向転換しようとした。

「まって」

 グミはその言葉と同時に肩を押された。何が起きたのか分からないが、この女の子から離れなければならない。けれども、一瞬のことでグミは床に手をついてお尻をあげたまま動けなくなってしまった。顔をあげて女の子の目を見つめる。

「あなた、しんまいでしょ」

 しんまい。グミは確かに新米である。ここに来たのも今日で2回目である。新米でなくなるのは当分先のことだろう。未だにグミは自分を防御できる盾を手に入れることはできていない。この女の子はおそらく敵である。グミの遺伝子はそううずいている。しかし、グミは理解していても言葉を話すことができない。どんなに素早く床を這いだとしても、この女の子にはかなわない。一瞬で追いつかれてしまうだろう。ここは、指示に従うのが得策だと、グミは考えた。いや、考えたというよりも遺伝子がそのようにうずいたのだ。

「ぐみ……。おもしろいなまえね。あなたはわたしたちにがいをおよぼさないかもしれない。でもがいをおよぼさないかどうかはさだかではないわ。まだじかんがひつよう」

 相変わらず抑揚のない声で淡々と語る女の子。さらに話は続く。

「さっきそらがぴかってひかったわね。わたしはびっくりした。そらがひかるんだもの。そして、どーんって、おおきいおとがしたわね。でも」

 そこまで言いかけて女の子はグミの目線に合うように座った。そして続けた。

「あなたはおどろかなかった。なぜ?」

 グミは女の子を見つめる。なぜ? と言われても、聞かれても、分からない。言葉が通じない。グミはここに存在しているから、存在しているというような答えしかできない。グミが女の子の前にいる、それがグミの全てある、としかいいようがないのである。

「あなた、まだしゃべれないものね。あかちゃんだから」

 グミはそろそろ動きたくなってきた。この目の前の女の子の元からはやく立ち去りたかった。グミはぷいと横を向いてほふく前進をした。目的地があるわけではない。はっはっと懸命に手と足を地に這わせ、気づくと壁に突き当たった。グミは壁に手をついて立ち上がった。天井を見上げると、なにやら白い箱のようなものがあった。




「いきどまりよ」

 グミの背後から抑揚のない声が聞こえた。ざわざわ。忌々しいものが後ろにいる。グミはゆっくりと後ろを振り向いた。女の子と目が合った。女の子は右手にふにゃふにゃのやわらかいものを持っていた。それが何かは分からない。グミには当然分からないし、おそらくこの女の子にも分からないだろう。丸くて青くて触るとふにゃふにゃする柔らかいもの。子どもがころころと転がして遊ぶような程のボールの大きさ。グミの片手には到底収まらない。両手でも掴めそうにない。

「これあげるから。いまのところ、あなたはわたしたちにがいをおよぼさないみたいだけど、そのうちわからないもの。おねがいだから、わたしたちにちかづかないでね」甲高く、少し強めの声だった。

 グミは女の子の言葉を理解することもなく、彼女が右手にかろうじてつかまえられている謎の物体に手を伸ばした。これはほとんどがグミの遺伝子に組み込まれた行動である。しかし、手を伸ばしたと同時に謎の物体は後ろへ投げられた。グミの心の眼に女の子はもう映っていない。謎の物体を追いかけようとした。手を一歩浮かしたその時、再び行く手を阻まれてしまった。壁際のグミに、それ以上行かせまいとする仁王立ちの女の子。

「なんて。あまくないわよ。このせかいでのるぅるをおしえてあげる。いまからいうるぅるをちゃんとまもってね。もしまもらないとつかまえられておりにいれられるわよ」

 当然のことながらグミには理解できない。理解しようとすることもないのだが。

「といってもね、るぅるはたったひとつ。ていうか、さっきもいったけれど。るぅるは、わたしたちにちかづかないってことなの。もしちかづいたら、おりのなかへとじこめるからね!」

 女の子はそこまで言い終えると満足げに去って行った。グミはようやく解放された。謎の物体は遠くでさみしく転がっていた。

 



 先ほどまでのグミの遺伝子のうずきは収まった。ざわざわといううごめきも、もうない。グミはこの世界でのるぅるを知った。知っただけでそのるぅるを守るかどうかの保証はない。しかし、グミはなるべくこのるぅるを守らなければならない。万が一るぅるを守らなければ、閉じ込められてしまうのだから。そして、このるぅるこそが、グミにとっての防御盾となりうる。

 


 窓から眩しい光が差し込む。UFOが宇宙に帰っていく! と興奮する者がいれば、雷さんお疲れ様、としみじみ呟く者もいた。

 


 グミは壁に手を当て必死で窓の外を見ようとした。新米のグミはまだ自分では窓の外も満足に見ることができない。しばらくしてグミの体が宙に浮かんだ。真っ青な空の合間からこぼれる光はグミの遺伝子を刺激した。グミは思わず目を瞑った。そして、ひとりでにグミは宙から地に降り立った。

 


 グミは2人組に近づいていった。カップルといって良いかもしれない。カップルのうち1人は先ほどの女の子。もう1人は目がキリっとしたイケメンタイプの男の子だった。イケメンの方は近づいてくるグミをじっと見つめていた。彼女の方は近づいてくるグミの気配に気づき、彼にそっと耳打ちをした。彼の方は戸惑いながら立ちあがり、ティーカップといちごを鞄に詰めて走っていった。そのあとを女の子が追いかけている。それに続いてグミも2人のあとを追った。

 


 女の子が抑揚のない声で言った。

「るぅるをまもって。さもないとおりじゃなくて、ろうやにとじこめるわよ。じゃましないで。つぎきたらほんとうにとじこめるから。あのなかに」

 女の子は大人がかろうじて1人入れるくらいの大きさの洞穴を指差して言った。

 グミは女の子が指さす方を見た。暗くてどんよりとして、ざわざわと忌々しいものがその中にいるような穴を目に焼き付けた。

 


 あの中に入りたくない。きっと怖いところだ。

 

 しかし、のちに、グミはそこに入ることになる。

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