第3話

 美代子の1年間の育児休暇後の仕事復帰。初日の勤務を終えた後の週末。幸か不幸か、外はどしゃぶりの雨だった。

 土曜日の11時過ぎに夜勤を終えたタカが帰ってきた。その時美代子はキッチンで昼食の準備をしていた。グミは熱が下がらず、寝室で布団の上で寝ている。


 タカが靴を脱ぎながらただいま、と言う。美代子もネギを刻みながらおかえり、と言う。

「とうとう梅雨入りか、雨にやられたよ。傘持って行っておいて良かった」

 そうね、と美代子は小さく頷く。

 タカは冷蔵庫から冷えたぶどうを一個皮ごと口に入れた。そしてそのままグミの眠っている寝室へ入っていく。美代子はタカの行動をいちいち見ることもなくせっせと湯を沸かした鍋に一袋だけうどんを入れる。ゆで上がったうどんを器に入れ、インスタントのつゆを注ぎ込み、先ほど刻んだネギをぱらぱらと振った。美代子はしまった、と思った。本当は溶き卵も入れる予定だったのだがタカが帰ってきたことにとらわれて忘れてしまったのだ。もちろん、今からでも遅くはないが冷蔵庫から卵を取り出し、熱を通す作業が億劫に感じてしまう。タカは生卵を食べない。色々と考えると面倒になってしまい、結局のところ具はねぎだけのうどんをタカに食べさせることにした。



「昼前にグミが寝てるの、めずらしいな」タカがキッチンの部屋に戻ってきて言った。

「昨夜熱が出たから。薬を飲んで寝てるの」

「どうりで。いつものグミには見えなかった」タカは床に座り、お茶を一口飲んでからうどんに手をつけた。

 


 美代子は一応、昨夜熱が出て病院へ行ったことをタカに説明した。タカは表情を変えずにただ黙って聞いていた。いまだ、グミの熱は下がっていないことも伝えた。今日と明日、休みで良かった、とタカは言った。

「初めての保育室はどうだったんだろう」タカはふと思いついたように美代子に尋ねた。

「一度も泣かなかったって。ぐずることもなく」美代子はコンビニの菓子パンをかじりながら答えた。

「それはいいことなのか。悪いことなのか?」

「先生が言うには、それは、まだ状況が飲み込めていないからかもしれないって」

「状況なんて、小さい子に分かるわけがないだろう」

「たぶん」

 二人の間にしばしの沈黙流れた。

 


 沈黙の後、タカが口を開いた。

「疲れているだろう。今日はゆっくり休もう。洗濯もしなくていいし、夕飯も適当に惣菜を買って来よう」

「ありがとう」

 美代子はタカが自分を責められるのではないかと思っていた。しかし、タカが美代子を責めることはなかった。

 タカの言うとおりに、美代子は今日、グミに関すること以外に何もしなかった。定期的にグミの熱を測り、水分を与え、決まった時間にグミに薬を与えた。洗濯もしなかった。夕飯はタカがコンビニで弁当を買ってきた。美代子はシャワーも浴びず、グミの体温が昼過ぎの38.6度から37.4度に下がったことを確認してそのままグミの隣で眠りについた。夜の11時を回ったところだった。


 翌日、日曜日の朝。グミの熱は36.5度になっていた。6時にそれを確認したのはタカだった。美代子はグミの横でぐっすり眠っていた。

タカがキッチンで朝食を作っている間に、美代子は目が覚めたが体を起こすことができなかった。グミの額に手の平を当てるのがやっとだった。美代子はタカがグミの体温を測っていたことを知らずに、手の平に伝わる温度でグミの熱が下がっていることを確認した。タカがキッチンで何やらやっている気配には気づいているが、美代子はそのまま横になりぼうっとしていた。



「あとはトースト焼くだけだけど」タカが美代子に言いに来た。

「いい匂いがする。でももう少しあとでもいい?」

「いいよ。じゃあ僕は先に食べるね。グミには雑炊作ってあるから」タカはそう言って先に朝食を食べ始める。

 何だかぎこちない、美代子はそう感じていた。おそらくタカは普通なのだけれど、美代子自身が上手く言葉を紡ぐことができないでいるように、感じている。

 結局、美代子は37.2度の微熱と気怠さを持って風邪を引いた。明日は月曜日、つまりは明日から仕事。タカも同じく仕事である。グミはすっかり元気になったようだが、美代子の体調は芳しくなかった。しかし、グミは子供だけれども美代子は大人である。自己管理をしなくてはならない大人である。美代子は気を引き締めなければと思いながら布団から出られずにいたが、タカが家のことは全てやっておいてくれた。グミの世話もしてくれた。


 こうして、週末は終わりを告げた。

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