第13話
木下大尉は僕が昼間、倒れてから気を失ったおよそ半日間の事をとつとつと話し始めた。
晴臣さんは、僕が気を失ってしまうと、僕を起こすために何度か僕を蹴ったらしい。僕も以前それで何度か意識を取り戻したような記憶があるのでそれは全く疑う義務がなかった。それをとめようとしたのか、木下大尉は苦々しく口を噤んで黙りこくってしまった。
なんだか申し訳のない気がして、僕は正座のまま頭を垂れ大尉の温情に礼するつもりもあり、すみませんでしたと小さく謝った。
木下大尉は僕を腕に包むと、まるで父親のように僕の背を優しく何度も撫でつけて、僕の昂ぶった感情を懸命に収めようとした。
暖かい、そしてどこか懐かしいこの感覚は、そのまま寝入ってしまいそうな、居心地のいいものだった。
随分こんな安心できる空間からかけ離れていた。僕はそのまま目を瞑ってしまうのを堪えるのにやっきになった。
しかし極度の緊張から開放された僕の体は自分が思うより鈍重で、知らぬ間に閉じた目は結局朝まで開くことはなかったのだった。
翌朝、目が覚めても、体の重さは変わらない。変わっているといえば、ここは居なれた自室ではなく木下大尉の部屋だということだ。僕が目を覚ましたとき、木下大尉はもう着替えを済ませ、朝一番に届けられた朝刊に目を通しているところだった。
「おはよう」という爽やかな、一種聞きなれない挨拶を耳に通して僕のほうもつられて爽やかに「おはようございます」と言った。
それから結局睡魔に勝てなかった事実をすこし恥ずかしく感じながら僕は木下大尉の部屋を辞するべく玄関に向かった。居間のふすまに手をかけ、自分が通れるくらいを開けた所で振り返り、木下大尉に敬礼をする。
「昨晩は失礼いたしました。以後気をつけますのでご容赦を、」
「かしこまらなくていいよ。また疲れたら来るといい。君、いつも熟睡してないんじゃないのか。夕べ死んだみたいに眠っていたから、起こそうかとも思ったんだが、どうやら大人しく息はしていたから、そのまま寝かせていたんだ。よく眠れないから朝体調が優れないという事もあるかもしれないぞ。自分の体を追い詰める事ももちろん必要だが、そればかりでは参ってしまう。訓練が終わった夜くらい自分を解放してやりなさい。それの手助けができるならいくらでも腕は貸すから。」
僕は柄にもなく赤面しながら、それでも一礼して部屋を辞した。素直にその言葉が嬉しかったからであるが、その反面照れくさかったからだった。
こんな風に純粋に優しい言葉をかけられるのはおおよそ子供の頃以来だったのだ。じんわりと左頬はまだ痛んだ。しかしそれさえ、なんだか父親に叱られた後のようないとおしさすら覚えるから不思議だ。
部屋を出たところで偶然、清水達也とかち合った。昨日見た顔の痣は朝の光に照らされて赤青く痛々しくその左頬を飾っていた。かける言葉など見つかるはずもなく曇った空気のまま僕が通り過ぎようとするのを、清水は高めの鋭い声で引き止めた。「
同期生とはいえ、清水はどちらかといえば、自分より実力のない人間には興味の無いという人種で、もちろんKBP創設者の孫である僕が、設楽であることは知られて当然といえば当然であるのだが、それでもそんなものは同じ年代の同志達には嘲笑の対象でしかなく、血統からくる尊敬や畏怖などあるわけもなかった。
そんな経緯で驚きながらも僕はそれに、振り返ることで答え、そうすると、清水の方も痛々しい頬をいかにも優秀げに歪ませて、笑顔を僕に向けてくる。僕は完全に体を清水の方に向けて話を聞く体勢になった。
「俺がこんな顔になってるのが何故なのかお前、わかっているんだろ。だから昨日俺を見て何も言わなかったんだ」
それは違っていた。
何も言わなかったのはそれだけの理由ではなかった。清水という人間に対して特別声を発する関係性を持っていなかったという単純明快な理由もあったが、あえてそれは言わなかった。僕はそのまま清水の話を聞いていた。
「お前が査問委員会に捕まった時、正直ばかだと思った。誰だって、多少の我慢は強いられるのがここの現状だし、ましてや相手はあの葛木晴臣少佐だ。人より苦難を強いられたとしてもそんなものは代価にならない。少佐に付くことだけでも光栄なことなのに。ついこないだまで本当にそう思っていたんだ。本当に疑いもなく。だけど、それは、お前に失礼だった。お前のことを本当にただの甘やかされたぼっちゃんだと思ってた。ごめん。」
突然横柄な態度で口を開いたかと思えば、すぐそれを訂正する。僕はそんな様子にどう対応したらいいのかわからなくなり、呆然と清水を見たまま首を横に振った。清水はいつもより少しだけ憔悴した顔で微笑むと、それぎり何も言わなくなった。
おそらく清水も、想像し得ないほどの恐怖を味わったのかもしれない。僕らはそれでその場を離れた。
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