第6話
いつの間にか、事は自分の知らないところで大事になっていた。
KBP内の規則に基づき、違反行為は内部査察の判断で処罰が下るが、
気を失っていたのはたったの二日だというのに、もう僕は上司に対する傷害で処分要員の一人として名前が挙がっていた。
所長である父親の力もここに来て何の権力も示さず、どうやら処罰は免れることなどできない状態だ。
おかしな気分だった。
今のところ立つこともままならない重症な僕が、恐らく右腕の神経をしっかりと守った晴臣さんに対しての傷害罪で何らかの罰を受けることになる。
それにしても体の傷は自分の心までを鈍磨させてしまうのか。
こうなってしまうと、もはや事はなるようになってしまえとさじをなげたくなる。僕はベッドに転がったままさして動転する気にもなれずに査察官の言葉を冷静に聴いた。
自分で自分の腕を刺しこの腹の穴を開けたのは晴臣さんです。
僕はその時言う気にもなれなかった。査察官が過剰防衛の可能性だとか、そういったことを聞いてきたが、それすら僕自身どうだっていいことのように思えたのだ。
僕はそれからの傷が癒えるまでの長い期間、真っ白の壁と天井と、面白みの薄いテレビ番組と、窓から見える空の景色を眺めて過ごした。
それらは時に一定で退屈であり、そして時に信じられぬほど刺激的に自分に語りかけた。
ようやく傷も癒え、リハビリが始まるというところで、僕は査察官から自分が晴臣さんの部隊から除隊処分になった事を知らされた。それは当然晴臣さんの直属部下から外れるという意味であった。
僕はそれもまた呆然と聞き流し、嬉しくも、その反面けして悲しくもない複雑な感情をそのままに納得した。
リハビリはつらく過酷だった。
歩行訓練を這うようにして行うとき、その時ばかりは病院に入って初めて晴臣さんを憎く思った。
左腰に入った傷が、足を動かすと負担がかかり酷い痛みが走る。
完全治癒までは三ヶ月かかった。それでもとても訓練についていくというところまでは体力が戻らず、相変わらず痛い左腰も、その仰々しい傷跡も、体から失せてはくれなかった。
ようやく懐かしいほどの期間を経て合宿場に戻ったとき、榊原が笑いながらよくやったと迎えてくれたのがなんだか少しくすぐったかったくらいで、周りの対応は驚くほど代わり映えの無いものだった。
僕は新しく、木下勇次大尉という晴臣さんから一つ位の下がった部隊長のもとで働くこととなった。木下大尉は今年三十五歳のいかにも体育会系の若い、そしていくらか隊員たちの間でも評判のいい上官の一人で、明朗快活を地でいくような印象のある明るい男だった。木下大尉は僕を見るや否や、ああ所長の、というような見慣れた顔をして、僕の腰を気遣う言葉をまずかけた。
そしてその二言目には、この僕が、どうしてそうも怖いもの知らずなのかといいたくなるほど晴臣さん批判を公言し始めたのだった。
「いや、僕は入隊当時から彼の部下だがね、正直言って僕ひとりだよ。彼の特別待遇を非難したのは。結局権力に押しつぶされてしまったわけだが。君ならば分かるかもしれないが、少佐という男は人間の性質からして凶暴で時に残酷極まりないところがあると思わないか。確かに頭は切れるし、身体能力も同期隊員他現隊員内でも頭一つ悠々とぬきんでているという事実は認めるが、人間の情というものが薄いと感じるのは、少なくとも僕一人ではないはずだ。君は昔から、聞くところによると真面目で誠実だというし、今回の事件で処罰を受けたとしっても、どうも僕には納得がいかないな。もしかしたら、彼に何か不実があってそれを正そうとしたわけではないかと僕は読んでいるんだが、それはどうだね、」
僕は木下大尉の言葉に小さく首を横に振って、なんともあいまいにいいえ、とだけ小さく呟いた。木下大尉は暫くううんと唸っていたが、僕が態度を変えないので、それきり諦めてごく簡単に期待しているというような月並みな社交辞令で去っていった。
僕はその背を敬礼で送りながら、下げた頭に血液がたまっていく感覚で居心地が悪くなった。
噂で聞いていた通り、実に清潔感溢れる正義漢だ。相変わらず痛みなのか熱なのか、定まらないそのじりじりした感覚が左腰でうごめいている。
そのとき僕はただ意味もなく、塩素漬けにされたプールに死んで浮かんだ金魚が、頭にうかんでいた。
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