第3話

ふと、緊張が走った。

体がぴたりと固まった。


僕は目だけを開いて、辺りを用心深く眺め回した。ぼやける視界のその中に、晴臣さんの体が次第にはっきりとした輪郭で写りこむ。

眠っているのだろうか、いや、

静かに柱に背をかけ目を閉じている様は、まるで今にも起きだしてこちらに噛み付いてきそうだ。

まさか猛獣でもあるまいしそんな事はあるわけがない。

しかしその気配がするのだ。


おそらく、五十パーセントすら意識の混沌の割合としては多すぎる。覚醒に近い極浅いであろう晴臣さんのその睡眠を、僕はなんとしてもうち破るわけにはいかないと思い息をもこらし、瞬きもせず押し黙った。

うつぶせのまま、這うように腕をつっぷしてその沈黙に耐えた。

ぴくり、と僕の二の腕の筋肉は痙攣を起こし、それで晴臣さんは目を覚ましてしまったが、僕の心臓もそれでさらに目を覚ましたように深く重い鼓動を体中に響かせ始めた。体が揺れているのではないだろうかと思うほど、強い動悸がする。

真正面に晴臣さんがいる。

そして、今目が覚めたというのが信じられない鋭い目で、その視線の強さだけで僕の首を引っつかんでいる。それから、心臓もにぎりつぶしている。

まるで手を触れないでも殺されてしまいそうだ。

もちろん恍惚の中で、などというほの優しいものではない。考える暇も与えられぬままひねりつぶされてしまう。跡形もなくただの液体と破片になる。

そんな気配すらした。  


それが怖いのか、望んでいるのか、僕自身もわからない。それでも、晴臣さんの瞳から目を離す事など、とてもじゃないが出来ない。僕は晴臣さんを見たまま、晴臣さんの意識に決して触れないように、ゆっくりと起き上がろうとした。

しかし、その胴体はすぐにばたりと右に投げ飛ばされてしまった。僕が上半身を起こすより早く、僕の腹に強い蹴りが一発入ったのだ。それから、それに応じて起き上がった頬に派手な張り手が一発。あっ、と逃げ腰になるのを、瞬間で否定される。皮膚が引っ張られる感覚が、まず左二の腕にはしってそれからぐいと畳を引きずられる。


ざりざり、摩擦で熱くなる頬が、差し迫った恐怖でにじんでくる。

突っ伏して転んだ首に晴臣さんの半分の体重を感じる。

訓練で、背をとられた時かわす方を教わるときもこんな態を取ったことがあったが、そのかわし方をよもや上司の晴臣さんに実行することなど僕に出来るはずはなく、そして当の晴臣さんも、僕にそんな事ができるなどとは思っていない。

圧倒的な優劣が、僕の体を支配している。


精神的でも体格的でもなんでもない。ただ皮膚や細胞や、その何もかもがそれを知っている。首の圧力が消え、一瞬ほっと息を吹き返したと思ったら、そのまま転がされ今度はまぶしいほど天を仰がされた。蛍光灯の逆光で暗い表情を、僕は必死になって確かめながら、ただ恐ろしいだけのその痛みを、知らぬ間に逃げる態で堪えていた。胸上を足で踏み押さえられた僕は二・三度惨めな堰をしてそれから以後浅い息を続けた。そして、胸の上にあった足の圧力から開放されたと思うと、二度腹に足蹴りが下りて、体を九の字に曲げたところで、がっしりと髪の毛を掴まれて起こされた。

うつ伏せに投げ込まれそれから文字通り履いていたズボンを力任せに剥かれると、

尻の間を穿つように異物感が滑り込み、瞬間に意識が飛ぶほど強い衝撃で晴臣さんが押し入ってくる。あんまり不条理なその痛みに僕は思わず断末魔のような叫びを上げるが、その口を晴臣さんはぐっと右手で押さえた。というよりもむしろ拳骨を口に放ったという方が正しいかもしれない。

僕の犬歯に引っかかった晴臣さんの手指から僅かに鉄の匂いが広がった。ぐっぐっと容赦なく入り込んでくる紛れもない狂気を、逃げる場所もない僕はそのまま耐える他なかった。次第に痛みを伴ったまま切羽詰ってくる自分自身の欲望をこの時ほど憎く思う瞬間はないだろう。

二度程、強く腹の中に射精を受けた僕はようやっとわずかばかりの安堵の時間を浪費した。起き上がることの出来ない僕を、まだ整わない息で晴臣さんは引き起こし前髪を捕まえて、回転させるように俯いていた僕の顔を持ち上げた。

僕の三半規管はもはや限界で、酷く不均等なリズムで吸ったりはいたりを繰り返している。

がんと左ほほに拳が入る。

僕の静寂の時はどうやらもう終りを告げてしまった。それでも逃げようと、晴臣さんに向いたまま後ずさる。

とたん背にひやりとした感触が当たり、僕はそれを確かめようと少し晴臣さんから顔を背けた。背に押し当たっていたのは、随分前から立てかけたままにしていた部屋の和机だった。そこに後頭部を何度か強く打ちつけられながら、僕は大半の体の重力をその机に任せて、ぐったりともたれかかっていた。

晴臣さんは僕の意識が朦朧としてくると、まるで痛めつけがいが無いというようながっかりしたような舌打ちをした。

それから随分僕の意識は明と暗を急速に移行していくうち、次第にうす暗くぼやけてしまった。

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