第2話
翌朝の訓練は最低の出来だ。
それがまた晴臣さんの琴線に触れる。僕はそれを知りながら、どうしても体力が続かずへばるので更にそれで周りの人間に差を付けられる。その日は全員の前で殴られ、いつもの流れで部屋に呼ばれた。
まず、部屋に着いたら頭から強く殴られる。それから、それでも腹の虫の治まらない晴臣さんは机や椅子を蹴る。
僕の性格が晴臣さんは気に食わない。
痛い事をしても僕が堪えないから精神まで弱らせにくる。実際これは最初随分きた。性的暴行、というかもうここまできたら、ヤられているのか殴られているのかという違いさえ危うくなってくる。
性的、などではない。
もうほとんどただの暴力だ。
それに関わらず、僕はどこにそんな余裕があるのか発狂したように興奮し、そしてどこにその男女の営みにあるような恋情やロマンチシズムを感じるのか恍惚の上で何度も果てるのだ。暴力で興奮できるとは、僕はさても変態なのだろうか。
同期の隊員にはもちろん僕と同じように、教育係を担当する上級隊員の直属部下もいた。一年、二年の、今のような長期出張には皆彼女を本部付近に置き去りにして、自分は現場で上司に女の代わりをさせられるというのが、なんとも生臭い伝統ではあった。
そういった自分に不名誉なことはまず同期生同士では話題にも上がらないし、日々訓練と諸所の事情を逃れていくので互いに精一杯なのであった。
もちろん誰しもが誰に対しても毎日のように盛っているような事実はなく、そういった上司からのある意味“拷問”を免れている同期生達はある種ぎらぎらするほど元気で、かえって欲求不満のようだった。
同期の榊原弘は自宅マンションに自分の彼女を置いてきたのだといつも右足を激しい貧乏ゆすりで揺らしながら話している。
何度も電話をかけているが、どうもこの頃態度が冷たくなってきた、同棲中のマンションにかけてもいないから、どうやらマンションは出ていったらしい、他に男が出来たのだと同期生達の中で恥ずかしいほどわめきちらしていた。
そういう榊原ももっか直属上司で四十過ぎの部隊長指導員補にいいように扱われているようだった。
榊原はいかにも戦闘隊というがっちりとした体系で、顎にはひげを蓄えている、何事にも開けた性格で同期生の中でも人気のある男だ。高校時代同じクラスになったことはとうとう一度も無かったが、一度会うと一生忘れられないような強烈なインパクトの持ち主だった。顔が特別どうということもなく、体つきも普通なのだが、声がなにより派手で、ストレートな言葉は気持ちがよく、周りの友人達も名前さえ聞けば、話した事のない人間でも知った口を聞くぐらい面通りが広かった。
榊原は、その噂道理、あけっぴろげな性格をここでも発揮していた。
まず、腕まくりをし、衆人環視の面前でこの傷をあのオヤジに付けられただの、気持ちの悪い匂いの息をかぶせてくるだの事細かに語りだすのだ。それを周りの人間が疎むかというと、その反対で、皆鬱憤のたまった顔を並べ何かの弁論や演説の時のような野次を飛ばし、そして各々の感情の昂ぶりを互いに確かめ合っていた。
まるで一揆の前触れみたいだ。
疲れて普段ならこの食堂の机にへばっているはずの皆は、一様に、榊原の異様な元気さに触れて何故かわくわくした子供のような顔になっていた。
もちろん、僕もその中の一人であった。しかし、その、反抗意識の矛先はやはり晴臣さんではない他の何者かの影だった。
大笑いの渦の中、ひやり、と背に水をかけられたような静寂が一気にそこにいる人間全員を覆い、僕自身確かに体が凍りついたように強張ってしまった。
榊原の直属上司は、四十前半で、体は横に肥えて眼鏡をかけた中年男だった。それが僕たちの目の前に悠然と現れたのだ。とうに現場を引退したようなその体は歩くたびにぶよぶよと振動する。
そういったところも有る意味気持ちのいいほどはっきりしている榊原は、その姿が見えると半分胡坐をかいていた机から瞬時に足を下ろし、上司に向けて大人しく一礼した。正式な場でも行われるほどの最敬礼だった。それから上司が行ってしまうまで顔を伏せ、それから行ってしまっても暫く歩いて行った方を向いて無心の棒切れのような顔でそのあまり見る価値もないような背を見つめていた。
しん、となった周りの人間もその静寂が自分達を追い越していったのを感じると再び熱を帯びた討論を蒸し返した。
それが、ここでの常識だった。
いつも背をあわせる、反骨精神と、激しい敬意。
今はもう、榊原はまた机に悠々胡坐をかいて、さっき敬礼した人間とは思えぬ緩んだ笑みをその頬に称えていた。まるで酒によったように心地よさそうに左右に体を揺らしながら、周りの友人を巻き込んで歌でも歌いだしそうな勢いだ。
僕もその心地よい淡い陶酔の中にいた。もう、ここで目を閉じれば眠れそうだった。そうしたら僕は晴臣さんの夢を見よう。せめて夢でだけは晴臣さんを心から尊敬する事にしよう。ふらりふらりと僕は立ち上がり、友人達に一言二言悪態をついてから、その場を離れた。
自分にあてがわれた部屋に入り、い草の匂い鮮やかな畳に転がると僕はそのまま、目を閉じた。
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