第14回 待ち人来ず
隣町の少年野球団『高塚ダイナマイトバロン』との強化試合の日まですでに一週間を切っていた。
定陵ゴールデンフェネクスの面々は最後の調整にと入っており、その表情は皆真剣そのものだった。
勿論雄馬も、主将の織田から直々に抑えと10番の背番号を託され、日々練習にと励んでいた。
織田との投球練習の甲斐もあって、最高時速を113
チーム全体の連携も日に日に強くなるのを実感し、あとは試合当日にその成果を出せるよう練習に練習を重ねるばかりであった。
しかし、そんな彼が一つだけ懸念していることがあった。
あの家出の一件後。あくる日から、おっさんが来なくなってしまったのだ。
最初は単に本業が忙しいだけなのだとばかり思いこんでいた。
1日経ち、2日経ち……5日経っても、おっさんは一向に姿を現さない。
待てど暮らせど、姿形も覗かせないおっさんに痺れを切らしたチームメイツがその矛先を雄馬に向ける事もしばしばあった。
「なあ、菅野。次いつおっさん来るんだ? バッティングフォームについて指南してもらおう思ってたんだが」
「俺おっさんにフライの練習を手伝って欲しかったんだけど、めっきり顔見せなくなっちまった! 何かあったのかよ?」
「さ、さあ。それは……」
そして、そんな状況に苛まれて辟易し切った様子でチームメイツとやりとりを交わすのも雄馬にとってはしばしばあった。
☆☆☆☆☆☆
暦も6月から7月に変わり、一層夏本番へと差し掛かろうとしていた。
隣町との試合も、すでに3日前に控えていた。
盛夏の中、今日も1日真面目に皆と練習に励んでいた雄馬は他のメンバーが帰った後も畑と仕事を手伝いひとり汗にまみれるのだった。
「悪いな、わざわざ体育倉庫の片づけを手伝わせて」
「いえ、別に」
「そろそろちょっと、休憩するか?」
「は、はい」
両腕で抱えていた段ボールひとつをそっくりそのまま棚に収納してから、畑に言われるがまま後を付いていった。
冷房が利いた職員室に案内されると、まず椅子をひとつ畑からあてがわれた。
用意された所に小さく纏まっていると、各教員が共有している冷蔵庫の中から冷えた麦茶の淹れられたピッチャーを畑が持ってきてくれた。
ピッチャー共々持ってきた湯呑みを教員机にそれぞれ置き、麦茶を注いだ。
「ところで、菅野さ」
「なんでしょう」
「最近、先輩見ないけど知らないか?」
目の前で麦茶を淹れられながら投げかけられた突然の質問に、雄馬は肝を冷やした。
空調ですっかり引っ込んだ汗がぶり返して背筋にゾクゾクする感覚を覚えさせる。
「さ、さあ。知らないですが」
「喧嘩したのか?」
変な感じに受け取られぬよう、きっぱりと否定した。
「してませんよ」
しかし、返ってそれが畑に要らぬ疑心を抱かせることとなり、今度はうんと詰められながら問いただされる羽目に陥った。
「本当に知らないのか?」
「それは……」
困ったあまり、視線を下げてしまう。
俯いた雄馬を見、畑は猫なで声で呼びかけた。
「言ってみろって。なあ」
☆☆☆☆☆☆
あっさりと語るに落ちた雄馬は、無念な気持ちで出された麦茶をひとり啜っていた。
同席していた畑も湯呑みに口をつけ、半分目まで飲んでから一旦机に置いた。
「なるほどなあ。それで……」
「はい?」
力なく生返事で応じる雄馬。
直後、畑からの質問攻めに目を見張ることとなる。
「転勤の件は、どうなった? というか、お前の親父とはどうなったんだ。先輩に付き添って貰って、ちゃんと謝ったんだよな? 仲直りできたのかよ?」
思わず吹き出しかけたがすんでのところで飲み込んでから、改めて呼吸を整えて臨んだ。
「一応、転勤はお父さんだけが大阪に行くことになりました。仲直りはしましたよ」
すると、畑はなぜかひどく安心しきった感じに雄馬の見てる前で露骨に大きくため息を吐いた。
「しかし、最初転勤と聞いた時はかなり焦ったぞ。せっかく悩みに悩んでスタメンを選りすぐったってのに、あやうくまたやらなくちゃいけないところだった」
そんな言い訳につられる形で、雄馬はクスクスと笑い出す。
でも、と畑が言葉をその先へ続ける。
「お前がお前の親父と仲直りできてよかったよ。血のつながった肉親同士が隔絶することほど、わびしいことはないからな。親子の縁ってのは切っても切っても切れない……例え、正式に勘当したって法律上は親子であり続けるわけだから」
「僕も、仲違いしたままでなくてよかったって心の底からそう思えます。本当に、おっさんが居なけりゃどうなっていたことか」
「話を戻すけど、その一件があってから先輩は練習に顔を出さなくなったんだよな?」
「……はい。ちっとも」
「なるほどな」
一転して、暗い気持ちを覗かせる雄馬に、その深刻さにある程度の理解を示した。
「僕、何かおっさんを傷つけるようなことしたんでしょうか?」
「いや、全然。お前が傷つけなくとも、先輩くらい歳に達した男の身体は過労とストレスでとっくにボロボロのグチョングチョンだ。なにより、お前が問題なんじゃない。要は先輩自身が問題を抱えちまってんだ」
「おっさんが、ですか」
「そうとも。つーか、先輩の親父さん亡くなってたんだな。ちっとも知らなかったよ」
「監督、僕どうしたらいいんでしょうか。わからないんです。わからないんですけど、このままだとおっさんとずっと会えなくなりそうで。散々僕の悩みに応えてくれたのなら、今度は僕がそのおっさんの悩みとやらに寄り添いたいんです。でも、その方法がちっとも思いつかなくて」
「なら、直接会いに行くっきゃないな」
「どうすれば」
「確か、駅前の交番で勤務してるんだろう? 今からでも行きゃいいじゃねえか」
そう言い切ると、それまで机の上に放置していた湯呑みを手に取り、残り半分の麦茶を飲み干した。
「あ……」
遠回りに見えて実は一番身近なところに答えがあると分かり、雄馬は開いた口が塞がらなかった。
☆☆☆☆☆☆
手伝いを終えた雄馬は、畑からの伝(つて)を頼りにおっさんがいる交番のある駅前にと足を運んでいた。
「き、来ちゃった……」
つい最近新しく整備されたばかりな駅前の、大理石の床上に立ちひとり緊張にと晒される。
手配写真のポスターなどがが貼られいる掲示板の前を横切り、闊歩する。
しばらく歩いた後、立ち止った。
見上げると、まず印象的な桜をモチーフにした金の代紋そのすぐ下にローマ字でKOBANという文字が表記されていた。そして、さらにその下に駅前交番と銘打たれているのであった。
ここで間違いない、と雄馬はふんだ。
ここにておっさんは一警察官として日夜勤務にと明け暮れているのだ。
乗り込む覚悟はとっくの昔に固めていたにも関わらず、妙に緊張し切っていた。
雄馬はおっさんと会い練習を積み重ねていくうちに、桜の代紋を見ると反射的に鯱張るような性質に変わっていた。別に何も悪いことなどしていないというのに。
そんな自分に内心軽く呆れながらも、気を引き締めてから門を叩く。
「すいません、お邪魔します」
交番に入ると、まず真っ先に茶髪の頭をした若い警察官が出迎えてくれた。
普段滅多にない小学生男子からの訪問に、やや躊躇いつつも毅然と対応した。
「どう……いたしましたか?」
「僕、そこの定陵小学校の5年生で菅野雄馬っていいます。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
はあ、と気の抜けた様な返事で応対し出した。
構わず雄馬がその要件を伝え始めようとしたものの、
「あの、この交番に……」
そこまで台詞を言っておきながら言葉に詰まってしまった。
彼は気付いてしまったのだ。
自分がおっさんの本名を今まで一切知らないままであったという事実に。
出会った時からずっとおっさんと呼びまくったせいで、完全にしっかりと聞くタイミングを逸してしまっていたのである。
チームの面子もそろっておっさんと呼んでいたため、特に疑問にも感じていなかったのだ。
肝心の姓も名も出てこず硬直してしまった雄馬を前に、警察官が促してくれた。
「ここに何しに来たんですか?」
仕方ないので、雄馬はおっさんの外見的特徴を己の記憶を総動員させて相手に伝える手段に打って出た。
「あ、あのう、この交番に頭のてっぺんが禿げかかってて、そのくせ襟足はまあまあ伸びてて、痩せぎすの背が高いおっさんのお巡りさんっていませんか?」
まったく的を射てないどころか突然ここに務めている謎の警察官についての外見的特徴の情報が飛び出す始末に、思わず素っ頓狂な声を上げる。
「……えっ?」
「ですからこの交番に」
「いや、そうでなくて名前は?」
「名前は知らないです」
きっぱりと否定され、警察官は内心ズッコケた。
首を傾げながら、どうにかして目の前の少年に真意を問いただそうとする。
「知らない人間に会うために、ここに来たと?」
いえ、知ってます。知ってるんです!
雄馬は頑なに、その問いに否定の意思を示しだす。
「何度も会いましたし、お話だってしました。野球も教えてもらったんです」
「えっと結局、どっちなんですか?」
「ただ、名前がわからなくって……ここに勤務しているとは聞いたんですが」
彼からの精一杯の訴えを目の当たりにした警察官。
しかし、無情にもいかにも公務員的な規則に忠実に対処をする。
「申し訳ありませんが、当交番からはそういった名前を提示することは致しかねます。何ぶん、守秘義務というやつでして」
「ですからそこを何とか」
「すみませんお引き取り下さい。せめてあなたの方から、そのおっさんとやらの方のお名前をご提示いただけたら、また違ったのですが」
「でも……」
それでもしつこく食い下がろうとする雄馬に、止めの言葉を投下した。
「そもそも、仮にそのような方が当交番にて実際に勤務していたとして、本当に面識があるのでしょうか? それほど通じ合っている仲であるならば、せめて名前ぐらいは知り合っていなければいけないのではないのでしょうか?」
「……っ!」
文字通りのぐうの音も出ない正論に、雄馬は絶句していた。
「申し訳ございません」
そこまで言われた雄馬は、マニュアル通り頭を下げている警察官の頭頂部をただ立ち止って見るだけしかできなかった。
☆☆☆☆☆☆
駅前の交番からとぼとぼと撤退せざるを得なくなった雄馬は、ひとり線路沿いの道を歩いていた。
フェンス越しの貨物列車が、そんな雄馬を嘲笑うかのようにガタンゴトンと鈍重な音を立て脇を通過していく。
道の真ん中にて立ち止ると、雄馬は突然何かを悟ったように声を上げる。
「そっか、僕何も知らなかったんだ。名前も知らないくせに、おっさんおっさんって馴れ馴れしく……バッカみたい」
一度、自嘲し始めるとその後味をしめたのように次から次へと自嘲に自嘲を重ねていく。
「は、ハハッ。そうか、僕が独りぼっちだったのはお父さんの転勤だけじゃなくて僕が何も知らなかったからなんだ」
自らの道化ぶりに気付かされ、笑いが込み上がってきてさらに自嘲を重ねた。
「何にも知らないで、勝手にいろんなところにツッコむから。それで、皆僕から離れていって……僕は何も知らな過ぎた、裸の王様だったんだ」
そんな彼の心情を表すかのように、夕立が降り出した。
大粒の雨を一身に受けつつ、おっさんとともに駆け抜けた日々を思い出す。
今にして思えば、あれは孤独な自分が生み出したありもしない幻想であったのかもしれないとすら感じていた。
しかし、その思い出はどれもこれもすべて色濃く、鮮やかなまま頭の片隅に残されていた。
「おっさんの言う通り、ふたりじゃ野球なんてできやしない。でも、ひとりじゃ……キャッチボールもままならないよ」
雨に打たれ身体を濡らしながら、頭の中のおっさんと会話を繰り広げた。
しかし、たちまちその声は豪雨によりかき消されてしまうのだった。
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